よい文章には、よいリズムがある
只今をもって「万華鏡」第1回の投稿を締め切ります。
次回予告は、明日18:00に投稿する「あとがき」にて。
どうも、高倉大希です。
あなたの文章は、おもしろいけどリズムがわるい。恩師にそう言われてからというもの、書いたら必ず音読をするようになりました。
声に出して読んでみると、いろいろな発見があるものです。たとえば、「〜してる」と「〜している」というふたつの言い回し。「い」があるかないかという、たった1音の違いですが、それだけで文のリズムは変わります。
1音の違いでいうと、「なぜ」と「なんで」にも同じことが言えます。両方とも「why」を尋ねる疑問詞なわけですが、リズムのことを考えるなら、音数が違うのでつかい分けねばなりません。
ふりがなを振らない限りそこまで制限することはできませんが、漢字の読み方なんかも大切な要素です。先ほど「音数」という熟語を用いましたが、リズムのことを考えるなら「おんすう」ではなく「おとかず」と読んでほしいなと思います。両方とも4音ですが、声に出すと「おとかず」の方が、なんだか気持ちがよいのです。
そんなにこだわらなくても、という気持ちはわからなくもないですが、何もひとりで勝手にこだわっているわけではありません。古文を読めば、リズムへのこだわりを、より顕著に感じることができるはずです。
そもそも言語というものは、基本的に音が先行しています。話していた言葉を、文字化したものが文章です。話し言葉と書き言葉がぴったり重なるかというと、そんなことはありません。ただ、声に出したときのリズムと文章の読みやすさが、切っても切り離せない関係であることは、紛れもない事実です。
文章の書き方講座などで、「1文を短くしなさい」と言われることがよくあります。あれは要するに、1文を短くすれば、リズムが大きく崩れづらくなるという話です。1文を短くすれば、自動的に読みやすくなるだなんてことはありません。
文章を読みやすくするのは、書き手による細部へのこだわりです。ずっと述べているとおり、たった1音の違いで、文章のリズムは簡単に変わります。
AIが書く文章の精度が随分と上がってきたようですが、どうしても書くことだけは譲れません。文章の内容をただ伝えたい、というわけではないからです。内容を含めた書き手の息づかいを、読み手には感じ取ってほしいなと思います。