僕が僕であるために 〜My Song〜
『僕が僕であるために』
あなたはこの曲をご存知だろうか?
そう尾崎豊の名アルバム『17歳の地図』のラストを飾る曲である。尾崎豊と言えば『卒業』とか、『15の夜』といったヤンキーソングのイメージが勝手に先行しているが、実はボブ・ディラン並みに、尾崎は深く人の心に問いかける文学的な歌詞を書いていた。いまだに名曲『I love you』が流れているもんな。しかも尾崎はこのアルバムを高校3年生の時に作った。凄い。本当に凄い。天才はいるもんだ。
僕はそんなに熱心な尾崎信者ではなかったけど、学生時代、車の中に『17歳の地図』のカセットテープが常に置いてあった。なぜか、今でも冬になるとこの曲『僕が僕であるために』が聴きたくなる(僕は季節で聴きたい曲が変わっていく)。
大学時代、僕はそれなりに血気盛んな若者だった。戦う相手を求めて、それに向かっていく自分に酔っていた。遅れてきた反抗期もしくは中2病ですね。ホンマ今、思うと顔から火が出るくらい恥ずかしい。
それでも僕がぶち上げた理想に賛同してれる仲間がいた。もちろん一方で反発する人も少なからずいた。お陰で喧嘩する相手には困らなかったし、少々過激な行動で、テロリスト呼ばわりされたこともあった。暴言、暴走上等。この頃の打ち上げの飲み会はよく荒れたものだった。お互い腹が立ってビールを頭からぶっかけあったこともあった(本当スイマセン)。
若い炎は荒ぶる。
自分に気合を入れなきゃ行けない時、反骨精神丸出しの尾崎はBGMとしてぴったりだった。
『ハイスクールRock'n'Roll』『15の夜』『十七歳の地図』『卒業』。
『盗んだバイクで走り出す〜♪』
そんな曲を車のカーステレオから大音量で流し自分を鼓舞した。大人への不信感、暴力的な衝動、よくわからない焦燥感、本当の愛への憧れ。そんなものが全部詰まっていた。
その中で、スローで淡々としている『僕が僕であるために』はちょっと異質な曲だった。最初はあまり気にならなかったが、スルメを噛むように後から後から味が出来てきた。それはまるで尾崎が謎を問いかけるように歌っているのだ。
はっきり言って無理である。人は勝ち続けることはできない。今をときめくスーパースター大谷選手の勝率だって7割弱だ。
ならば尾崎は一体何に、誰に勝ち続けよと問いかけていたのだろうか?
30年間、僕はその答えを見つけることは出来なかった。
僕がその答えがわかったのは、つい先日のことであった。
2月8日の夜。退職願を出した後。
僕はいつものバーに顔を出しマスターに事を報告し、ささやかな祝杯をあげた。自分で作ったジントニックは、最高に美味かった。
その帰り道、夜空にはオリオン座とシリウスが頭上、きらめていた。大阪のど真ん中でもこんなに星が綺麗に見えるのだ。しばらく、星があるのにも気づいていなかった。
「もう、負けない」
ふと、そんな言葉が湧いてきた。自分の内側の深いところから。
そう、これまで僕はたやすく自分に負けてしまっていた。
朝、起きれない。締め切りを守らない。勉強しない。ジャンクフードに手を出す。ジムへ行かない。苦手な人を避ける。衝突を避けるために自分に嘘をつく。朝、今夜は飲まないの決めても夜になると酒を飲んでしまう。
そんな自分にほどほど嫌気が差していた。
そして自己嫌悪感を誤魔化すために、さらに酒を煽った。そしてこの負のスパライラルを僕は延々と繰り返してきた。何年も。
3年前の冬、この夜道を涙しながら帰った。「もう、こんな悔しい思いはしたくない」そう、誓ったはずなのに自分を変えることができなかった。
でも、退路を断つことによって自分の中で何かが変わった。
もう誰のせいにもできない。全ては自分の責任だと。
そして僕は正しいものが何なのか、この胸にわかった。
僕は僕に勝ち続けなくてはならない。
誰かに勝ち続けることはできない。
けど自分には勝つことができる。
そうか尾崎よ。そういうことだったのか。
僕が僕であるために、僕は僕に勝ち続けるよ。
それは、ほんの小さな勝利の連続かもしれないけど、その積み重ねが大事なんだね。
もし、また自分に負けそうになったら、僕をまた励ましておくれ。
ありがとう、尾崎豊。
追記:尾崎が魂で歌う『僕が僕であるために』。ぜひお聞きください。