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戦争を体験していない世代のほうが鈍感で残酷かもしれない。

*あくまで個人的意見です。人によっても地域によっても異なります。

私の祖父母は、戦争中、既に大人でした。

父方、
祖父はシベリアに抑留されていました。
祖母は空襲から逃げ回った話をしていました。
二人とも元々本州にいましたが、戦後祖父の故郷北海道に来たそう。

母方、
樺太に住んでいたが、ソ連の侵攻により北海道に避難したそう。
終戦記念日が来るたびに、当時の悲惨な話が次々と新聞に出るようになりました。これ、大人が読んでも具合が悪くなりそうな残酷な話が多くて、「子供がうっかりこの話読んだらどうしよう」と思うくらい(私は子供いないですが、小学生の頃親の新聞を読んでいたからです。活字が好きな子は、文が目に入れば読んでしまうのです)

しかし、どちらの祖父母も孫娘には過酷な話はしていませんでした。どちらかと言うと冗談のように、嘘だか本当だかわからない話をしていました。
例えば、

祖母
「おじいちゃんがどっかの県庁の偉い人(未確認)で、映画館は顔パスでただで見れたんだよ。でも、空襲で逃げたから結末がわからない」
(この映画が何か知りたくて調べたことがあるのですが、わかりませんでした。代わりに『ぼくらは死んだ』のネタにそのまま使いました)

祖父は、全く抑留の話をせずに亡くなりました。
何が起きていたか知ったのは、私が大人になって抑留の体験者の本を探せるようになってからでした。当時はまだ資料が見つけにくく、最近のほうが詳しい事情はわかっていると思います。
見つけられた本と祖父のイメージから梶村さんが出現しましたが、表現が本そのままではないかと思われても仕方がないかもしれない。そして、内容が残酷だったかもしれない。
祖父本人は孫娘(私)には何も語りませんでした。だから本に頼りすぎた内容になってしまっているかもしれない。
でも、あの章はどうしても必要でした。
読み返すのも辛すぎる場面になりましたが。


母方も残念ながら詳しく聞けていません。
海軍らしき若者の遺影が田舎の家にありましたが、そちらの祖母も「喧嘩をして海に落ちた」というマヌケ話しか私にはしませんでした。

本当かどうか、わかりません。
母は「それはないでしょう」と。


私が思うに、みんな既に大人だったから、時間が経過していたから、孫に伝わらないようにオブラートに包むような言い方ができたのでしょうね。父や母にはもっと厳しい言い方をしたのかもしれない。辛かっただろうけど、まだ考える余裕があるほうだったのかもしれません。

問題は、一回り下の当時の子供たち。

何も耐性がない幼い子供が空襲や原子爆弾や大人の事情で翻弄された。つまり、受けた衝撃は私の祖父母世代より大きいに決まっています。
それが今の80代あたりでしょうか。
大人になっても当時の子供のように、直接的すぎる表現で戦争の情景を語ったとしても、決しておかしいことではない。しかし、それを今の子供や親の世代が聞いたら衝撃を受けるだろうなと、世代の違う私は予想してしまうのです。

実際どうかは、わかりません。

ただ、最近になってもいきなりSNSに戦争の残酷な写真を平気で載せたりしているのを見てしまうことがあります。今年もありましたね。思い出したくないし押さずにすぐ逃げました。しかし、表紙?の画像だけで私でも死にたくなるくらい衝撃でした。

やばいものが視界に入ったら全力回避。
中学あたりで実行していた記憶があります。
一瞬見ただけで一生つきまとうような恐ろしい写真が、なぜか学校の図書室にあったりしました。
怖い話なんですよ。
しかも私は大人になってから発達障害の診断を受けたんです。昔からホラーや残酷な場面が苦手でしたが、本当に見るものを選ばなければいけないくらい刺激に弱かったのです。
「今更言われてもなあ、知ってたけど」
今でも困惑ぎみです。
障害ではなく、
世の中の無神経なイメージの使い方に。


戦争とは関係ありませんが、私の世代が中学生だったときの大人(今の60代?)も厄介な人がいて、歴史上の残酷写真をむやみに見せようとしたり、女奴隷が出てくるオペラ画像を部活で見せる先生がいたり(『アンゲルとエレノア』に出てくるイシュハの広告はあれが原因で出てきたのではないかと思う。今まで忘れてたけど)。ネットがない時代も困った画像を人前に出すダメ人間はけっこういたのです。

中学のとき、卑猥な写真が落ちていたか撒かれたかした事件があったのですが、先生は拾ってしまった生徒には「よく相談してくれた」とからかわずに対応して、他の生徒にも「そういうことがあったらすぐ知らせるように」と言っていました。
悪影響を知っているからできた対応で、決して古臭い話でも真面目すぎる話でもありません。
ニヤニヤヘラヘラするほうが異常です。



どの世代も良い人とダメな人の差が激しく、無駄に映像を見せたがる人に当たると嫌な思い出どころかトラウマになりかねない。
しかも古い学校の図書館には、戦争の写真集が無造作に置いてあった。今はどうか知らないけど、絶対一人で調べないでほしい。何か見ちゃったら誰かに相談してほしい。相談した相手が理解不能なアホでもそこで絶望しないでほしい。

今思うと、オペラや文学など一見真面目に見えるものに紛れている残酷または卑わいな表現が一番まずいのかもしれない。
その分野に興味があると避けにくいからです。
新聞の記事にも時々危うさを感じます。


駄目なんですよ。戦争の話は気をつけないと。
直に戦場に行った祖父でさえ孫には語らないと決めたくらい、危ないものなんです。
なぜか下の世代のほうが、それを理解していない。あるいは、子供時代の衝撃のせいか、未だに語らずにいられないうえに、遠回しに伝える方法や気遣いを学んでいない。
インターネットのせいもあり、やたらに画像を使いまわししたがる。それがすごく怖い。見た人がショックで死んだら責任取れますか?

厳しいようですが、それは戦争というより、戦後の教育、または個人の認識の問題です。

『戦争の悲惨さ』ではなく、
『なぜ起きた?次はどう防ぐ?』
が大事なのです。それには残念ながら、知識や分析力、何よりその時代を生きた人への理解、伝える相手への配慮が欠かせないのです。
悲惨な画像なんていりません。
経済だけ見て分析したほうがまだましな知識が得られるのではないですか?

私は専門知識はないし学者でもありませんが、そう感じています。

自分が書いたものも、少しやりすぎたかなと思うことはあるのです。
あれでも書き上がるまで10年以上かかっていますが、やはり未熟だったなと思っています。





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水島素良(Sora Mizushima)
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