「自分の論理」を疑う――論理は感情の正当化にすぎない
こんばんは、久々の投稿です。
いやぁ、新年度は人も環境も変わり、ガイダンスやら準備やらはじめての仕事やらでドタバタしますね。
さて、本日は
人間の論理は感情から生まれるものです。「自分の論理」を疑いましょう
というお話です。
投資っぽくないタイトルですが今回も投資の話です。ただし、投資に限らず、様々なシチュエーションに当てはまると思います。
論理は感情から生まれると書きましたが、感情と論理って、世間ではむしろ反対語のイメージですよね。だから、何を言っているのかピンと来ないかもしれません。
別の言い方で、論理=感情に、理由を後付けしたものといったほうが伝わりやすいかもしれません。
つまり
何事も先に感情がある。論理とは、湧き出てきた感情を正当化するために、あとから理由をこじ付けているだけ
ということです。
なお、「不快」な時は、その原因を拒否したり、解消したり、徹底的に避けるための論理を探します。一方、「快適」な時は、より快適にしたり、現状をできるかぎり維持するための論理を探します(言い換えると、現状変更から目を背けがちになります)。
しかも、これは無意識で行われています。
まず、ちょっとアホらしい具体例から始めましょう。
「警察官が制服でコンビニでご飯を買っている」という苦情を入れる人が世の中にはいるそうです。
その論理は、「制服は勤務中に着るものだ。勤務中にコンビニでご飯を買うなんてけしからん」というものだそうです。
…無茶苦茶ですよね(笑) 制服のまま警察がコンビニに行っても、セキュリティの向上という利益こそあれ、誰にも不利益はありません。むしろ推奨すべき。
しかし、その人の中では、正当な論理があるつもりです。
これは、大元をたどれば、単に気に食わなかった、という感情が全ての発端です。制服姿の警官がコンビニに居るのを見てなんとなく不快だったから、その感情を正当化し、不快感を排除するための論理をでっち上げたわけです。
もっと露骨に言うならば、最初からその人は不機嫌で、難癖をつけられる対象を探していたのです。たまたま警官が目を付けられただけです。
ただし当の本人には、でっち上げたつもりはありません。いたって冷静に考えた結果出てきた、正義のご意見だ、と思っています(笑) なぜならばここまではすべて無意識で行われているからです。
さて、だいぶ極端な例だったと思いますので(笑)、投資でも具体例を挙げましょう。
投資歴が長い人ほど、暴落していようが「結局長期では上がるので、相場に居続けるのが正解です」と、あたかも仙人のようなことを言います。そして、「どうしてそんなに平然としていられるのか」と理由を聞かれると「結局長期では上がるので、相場に居続けるのが正解です。実際、この暴落にも耐えていますよね。それは長期投資によってこれだけの含み益があるからです。」と、一見もっともらしい理由を挙げるわけです。
…これ、全然論理的じゃないですからね。
以前書きましたが、長期投資は投資額が時間とともに大きくなり、それにつれてリスクも増大し続けます。だから、投資期間が長いほどリスク管理が大切になっていきます。
また、それだけ含み益が増えている状況だと、当初の目標資産の達成も近いはずです。であれば、無理にリスクを取るよりもむしろ、資産を減らさないためにリスクを下げて守りを固める段階のはずです。
だから、「長期では上がるから相場に居続けるべき」は正解だとしても、ポートフォリオは見直すべきなんです。それを、ガチホが正義と言って憚らず、運用後期にも全く投資方針を変えないでいるのは、今がいいから大丈夫、という感情から、「長期では上がるので、相場に居続けるのが正解」という論理を曲解して、未来を見据えたポートフォリオ調整を行わない理由付けをしているにすぎません。
言い換えれば、メンタルがすごいんじゃなくて、含み益が乗っているから「安心=快適な状態」にあり、「快適だから動かない理由を探し、出口の値動きにも鈍感になっているだけ」です。
※もちろん、「俺は目標額など極めず死ぬまでにできる限り資産を増やすのが目標!だから、リスクが増大するのは覚悟の上でさらにリターンを狙う!」という人ならば、それでも構いません。
※あるいは、「80%暴落しても目標資産額は維持できるので、リスク取り放題です!」という人も、リスク度外視の戦略を取って遊んでも良いかもしれませんね。
そういう人はこの話の対象外です。
ほとんどの人は、将来心配のない資産を作り、それを守るのが本来の投資の目的のはずです。ならば、前述のように、資産の増加に応じて、少しずつローリスクにシフトしていくのが妥当でしょう。
もちろん、そうすることで期間を通じての期待リターンは少し低くなってしまいます。しかし、目標リターンをすでに達成しているならば、そのこと自体は問題ではないでしょう。それより、暴落してせっかく超えた目標額を下回る状況の方が問題です。
…この話を読んでも、恐らく、長期で投資をされた方のほとんどは、理由を付けて現状維持を選ぶでしょう。「もし今から80%暴落しても、元本から見ればまだ含み益だからいいんですよ」とか「ポートフォリオを変に触ると、上昇する瞬間を逃すんですよ」とか、答えになっていない答えを返すでしょう。(本当は、元本ではなく目標額だけが基準であるべきですし、上昇する瞬間逃をしても、投資後期ならば、目標額が守られていれば何の問題もないはずなんですけどね。)
結局、今の現状が心地よく、満足感と自信という感情が大元にあり、その現状を維持したいから、現状を肯定するための論理を後付けしているわけです。
成功体験にこだわって、結局変化ができなくなって長期で見れば失敗している。しかし、失敗していても、破産する程ではなく特に困ってはいないので、それでいいと思っている。
…なんか凋落する日本の大企業の話をしている気がしてきました(笑)
人間じゃなく、日本企業に例えると、具体例がいっぱい浮かんで出てきて、分かり易いかもしれないですね。
というわけで、とにかく金を増やしたい、という主義を持っているとか、すでに暴落してもびくともしないぐらいの資産があるなら別ですが、大体の人は、お金の心配を解消するために投資を始めているはずで、死ぬまで今の暮らしを続けられる資産があれば十分のはずです。だから、一定の資産を築いたら、むしろ暴落によりその水準を下回ってしまうリスクをこそ恐れるべきです。
さて、これとは反対のパターンも見てみましょう。
さっきの例は投資経験の長い人でしたが、投資の入り口にいる人(だいたい1~3年目ぐらい)は、行動も反対で、小さな値動きに敏感です。私もそうでした。そして、値下がりすると、「この投資法は正解なのか?」と疑ったり、今やっている投資を批判する情報の方に、説得力を感じたりします。
ところが、これも決して論理的とは言えません。
長期投資のはじめは積立額が小さいです。例えば、そこから30年ぐらい毎月同じ額を積み立てるなら、30×12=360回積み立てるわけなので、その数回分の数字の、たった数%の上下にそこまで反応するのは、あまり意味がありません。
※厳密には少し間違った説明なのですが、結論は変わらないのでこのように説明します。
ということで、感情を無視すれば、そんな小さな数字を気にする必要はないし、初期はその時点で一番の正解とされている方法に全額つぎ込んでおいて、値動きを見るくらいなら、その時間を投資の勉強に使い、数年後にリスクを考慮する必要が出てきた段階で、正しい知識で再配分すればよいのです。
ただ、この説明に、たとえ頭では納得したとしても、そんなことは無理だ。心配なものは心配だ。と思うかもしれません。その心配は、決してメンタルが弱いのではなくて、俗にいう含み益バリアがないため、ちょっとした拍子で「損=不快な状態」に陥るからです。その結果、些細な値動きに敏感になるのです。
仕方がないとも言えます。
もし本当に耐えられないなら、最初の投稿で言った通り、自分のリスク許容度が高くないことを認め、リターンを下げるのは覚悟のうえで、貯金比率を高め、耐えられる分だけ投資するのをお勧めします。
※なお、これまでは貯金していて、結構な額を元手で新たに投資を始めるという方は、なおさら
・少し減っただけで自分の財産への影響が大きい
・含み益という心理的なバリアが少ない分、余計にリスクを大きく感じる
と思いますので、やはりリターンを下げるのは覚悟のうえで、貯金比率を高め、耐えられる分だけ投資することをお勧めします。
我々は生き物なので、無意識に不快を避け、快を求めるのは自然な本能です。しかし、現代の社会においては、この本能はマイナスに働く場面も多いです。その代表例が投資です。
これを意識して自分の「論理的思考(?)」を疑う癖がつくと、短期的な行動を起こしてしまう可能性を減らす一方、快適な状況に甘んじて逆にリスクを高めてしまうことも、徐々に減ると思います。
最後に投資期間全体における方針をまとめておきますと、
(1) まだこれから十分に長い投資期間が見込まれる投資初期の人
持てる額のうち余裕資金のできるだけ多くをVOO, VTI, VTなどに投入し、その後も長期分散積立する形で投資のスタートを切り、当面は何が起きても気にせず続けるのが一番期待値の良い投資法、ただし目標額に近づいた段階でリバランスは必要
(2) 投資期間が長くなって、うまく資産が増えている状況の人
もしこれまでのリスクが過大ならば、守りのためのリスク調節が必要であり、株式以外への分散も効かせるべき段階である
ということになります。もちろん、理論的に正しかろうが、確率論的な話は理論通りに物事が動くとは限らない(むしろ乖離することもよくある)ため、いつもどおり自己責任ですが。
私は当初から一貫して人の言うことを信用するな、と言っていますが、他人だけでなく、自分自身についても、今考えている論理が、一時の感情に都合の良いものになっていないかも、疑ってみてください。
お読みいただきありがとうございました!