アートが知の探索の助けになるかも
「両利きの経営(ambidexterity)」- 知の探索と深化のバランスが取れている会社がイノベーションを起こせる、という理論をテレ東Bizニュースアカデミーで学びました。その番組で早稲田大学ビジネススクールの入山教授はこうおっしゃっていました。
人間には認知の限界があり、自分の目の見えるところでしか、知と知を組合せなくなる
国際経済を日本の大学で専攻して、現在は芸術学修士でアート教育をフィンランドで専攻しています。アジアからヨーロッパ、日本からフィンランド、経済からアートのそれぞれの認知の枠を一気に飛び越えています。
感性の実験に少なからず関わっていたのですが、実際にアアルト大学で学んでみるとアート教育は私にとって認知の幅を超えていました。さらにヨーロッパ的なfeminism, decolonization, queerの考えが必ずと言っていいほど入ってくるのも働いて余計にこんがらがります。(教授に聞くとそれらはヨーロッパでホットな話題だそう。) 3つの概念はさまざまな意見や解釈があるためここでの説明はあえて省きます。そして研究が始まったばかりなのではっきりとした定義のないものもあるそう。
ただ、正直なところ日本で育った私には当事者意識がなく、最初は意見として理解はできるものの腑に落ちていませんでした。それらに関する論文、授業、友達との対話を通じて、1年してやっと腑におちて主張を理解できるようになりました。それだけ今までの認知の限界を超えるのは時間がかかるのだと認識しました。
ただ、理解できるのと自分がその考えに賛同できるかは別問題です。やはり育ってきた文化的背景でこれまでも考えや関心が違ってくること、ヨーロッパとアジアの違いを感じ、同時に自分の中に日本的な考え方が色濃くあることを知りました。
by Klockriketeatern
さらに最近また別の認知の壁に当たりました。
タンペレ大学とアアルト大学の共同授業、”Design from the future, creating future”に参加していた時のことです。
Design Thinkingなどは授業や本で親しんでいるつもりでしたが、デジタルデザインとNon-humanizationの範囲は全く新しい領域でした。dehumanizationとは人間中心の世界から離れ、人間でないものから物事を見ます。そうすることで環境問題がどう動物や植物に被害を与えているのかがわかってきます。
新しいことに出会うと、脳がとても疲れ、さらに英語であることも助けて、授業の内容を聞き入れずらくなります。
なるべく自分の認知の範囲に近いことで考えようと思いますが。。。
ただ、この授業はデザイン専攻の人だけではなく、化学エンジニア、アート、ビジネス専攻の学生が集まっています。
そのためよく授業の構成がデジタルデザイン初心者でも楽しめるようにできています。授業最後はオンラインエクシビションをやるという課題に向けて、グループ分けされ、そのグループでブレスト、デザイン、ペルソナ、プロトタイプの流れを楽しくやれるように設計されています。またグループメンバーも違う専攻の人同士で成り立っています。グループメンバーとの対話で分からないけど進めていく、教授も正解がないからとりあえずやってみてって感じdehumanizationを理解できているのかわからないながら、今はグループメンバーとやってみています。
こういった授業を通して、アートは幅広いトピックを扱うし、答えがないものを探っていくので、知の探索のきっかけになると思いました。
初めは苦しいですが、知の探索を広げていくうちに新しい発想に繋がっていくなと。自分の心地良い場所から抜け出すことも必要だと実感する日々です。
by Saara Alhopuro
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