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どちらでもない、中間の大切さ♪
こんな投稿で、(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪と頷く。
最近は、ことさらに残酷なほど追い詰めることが多く胸が痛む。
どんな問題も、中心的人物達・話題・位置が離れれば離れるほど(関係ない人物達にまで話題がいけば)尾ひれがついて収拾がつけられなくなっている。
気が付けば、中心的人物は他の事で忙しくなって
「何やってんだ(・・!?まだ そんなことで騒いでるの・・・」となって完全に外れているケースまである。
そんなことが増えているように思う。
少々ケースが違うが、こんなことがあった。
自己紹介にあるように「青竹を割ったような性格」である。
若い頃は、今以上に好き嫌い・白黒がはっきりしていた。
しかし、ある日突然・・・
好き嫌い・白黒しかないのか?
何とも思わない、関係ないから知らない・関わりたくない・・・など、
どちらでもないというような中間の感情はないのか?
と。
それが切っ掛けでしたね、面白いくらいに気が付いた。
人の顔色を見て、意見(同調)していたことに。
上記の言葉で人に対してハッキリとした思いや意見は言わなくなりました。
思ったこと・行動したことの良し悪しなどは、大人になると結果として「本人」に必ず出ます。返ってくる・戻ってくる。
中心的人物が求めない限り、他者の意見など必要ない。
物事というものの流れは、どんな世の中になっても変わりません。
他者に対してのことなどは、かなり引いた位置から穏やかな気持ちで静観するに限ります。
意見できる立場の人は、決まっていることが殆ど。他者ではない。
世界的に厳しい経済だからこそ 一層 穏やかな気持ちで静観すること、心静かに各自の中で思いをとどまらせることも大切でないかと感じます。
♪ どちらでもない、中間の位置・立場の大切さを忘れないで ♪