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高校生が修学旅行で義烈空挺隊玉砕の地に行ってきた話

開いて下さりありがとうございます
うぇるきょでーす

今回つらつら書いていくのは、修学旅行で読谷村にある義烈空挺隊玉砕の地に行ってきたレポです

天気が少し悪かったです

なぜビーチや鍾乳洞などを差し置いて読谷飛行場跡地、義烈空挺隊の碑を拝みに行ったのか。いつどこで義烈の名を知ったのかなど書いていきます

誤字脱字などはお許しください


義烈空挺隊を知った経緯

そもそも何故一般高校生ごときが義烈空挺隊を知っているかについて書きます

自分は高校1年生の頃に親と「永遠の0」を見ました
というものの岡田准一さんのファンというだけで戦争の事については全く知識がありませんでした。
(巡洋艦という艦種すら知らなかった位です)

しかしこの「永遠の0」こそが1人の高校生の人生を変えてしまいました

作中に出てくる艦のかっこよさ…飛行機の疾走感…何だったんでしょうか。あの心躍る感じは

「なんかかっこいい」
それだけ。
永遠の0は特攻を美化している。だとか、作者の思想が…だとか言われてるらしいですけど、当時はそんな事知ったこっちゃありません。蓮に構えず、純粋に作品として感動を覚えました

それがきっかけで戦争の事をどんどん調べるようになりました

最初にハマったのは「戦艦」
あのゴツさと言ったらたまらないですね
中でも「伊勢」が大好きです。
空母+戦艦というロマンが…

次にハマったのは「零戦」
そらそうですよね。永遠の0から入ったんですから
ここで「〇〇型」や「〇〇エンジン」など基礎中の基礎みたいなのを覚えました

この2つを経由しているうちに「特攻」について考えるようになりました
映画みたいに身内が特攻で亡くなったとかそういうのは無いのですが、妙に興味が湧いた記憶があります

たどり着いたのは「特攻のための特攻」と呼ばれた
"義烈空挺隊"

名前の重みというか、直感で何か感じるものがありました
「敵基地に強行着陸、完全武装の隊員が破壊工作を行う」

とても現代に生きる自分が思いつきも、出来もしない作戦でした。
特攻に優劣を付けるつもりはありません
全員が文字通り命を懸けて闘っていたのですから
それでも自分の中では1番勇敢な部隊だと思ってます

この部隊の名を後世に伝えなくてはいけない

調べる内にそんな使命感が湧いてきました
たかが田舎の高校生に何が出来るのかと言われればTwitterで呟くとか、このnoteを書くとかカスみたいな事しかできません。
それでも書かずにはいられなかったです

いつか忘れてしまうから今日何もしないってのは、歴史への冒涜だと思ってます
そう思える部隊に出会えて嬉しいです

なぜ名所を差し置いて碑を見に行ったのか

さっきテンション上がって理由書いちゃいましたね
一言でまとめると「使命感」です

自分は5人の班でタクシー研修をしたのですが、班の人に無理を言って義烈の碑を見に行きました(もちろん他の名所も回りましたが、自分が唯一提案したのが義烈の碑です)
班の人に「これは本当に譲れない」って迷惑かけましたけどね


平和記念公園

実は読谷村以外にも、平和記念公園に義烈空挺の碑があります

 特攻戦没者慰霊顕彰会より

ここにも行きたかったし、残り100メートルくらいの地点まで行きました。
しかし、クラス行動なんですよ
故に行けませんでした
ほんっっとうに悔しかったので大人になって一人旅する時に手を合わせに行きたいと思います

おわりに

ここまで読んでくださりありがとうございました
戦争に詳しい方は、たかが1年戦争について勉強しただけのガキが偉そうに語ってるからイラついてるかもしれません。許してください
でも後世に伝えたいという想いは本物です
あの日あの場所で義烈に手を合わせた人は自分だけかもしれません
それでもそこで合わせた手が、想いが天に届いて義烈空挺隊員に伝わったんじゃないかと信じています

改めてここまで読んでくださり
ありがとうございました

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