沖縄らしさへの逆行
気まぐれ沖縄通信 第30号(2024年10月)
前回の ”沖縄の庶民文化が比較的最近のもの”
との投稿に続き
さらに ”沖縄らしさ” の源流へ逆行してみましょう。
”沖縄らしさ” は、もちろん自然に既ににあったはずですが
今日の沖縄の伝統文化の源流を探ると
薩摩支配後に仕立てられた面も大きく影響しているかもしれません
中国が日本との貿易に応じなかったことから、
琉球を実際は支配下に置きながらも
琉球国が独立国として貿易できる体裁を偽装した。
貿易においても事細かく指示していたらしい。
中国からの使節が来る度に、薩摩の役人は地方に隠れたらしい。
しかし、江戸にも、事ある度に慶賀使節を派遣しており
その際には殊更、異国風の趣を整える様になった。
仕立てられた面もあったけど
琉球国の方でも、一応は独立を保てる仕組みを受け入れたようだ
あるいは、したたかに利用したとも言える
だから中国の文化も日本の文化も吸収して
独自の文化を創造して磨きをかけることに活路を見出した。
当時の王府の役人は和漢の学問にはげむことも要求されたけど
芸事にも精進を求められたようだ。
薩摩支配は結果的には日本文化の大量流入に繋がり
中国文化との融合により、特色のある沖縄らしい文化に発展していきました。
よくも、こんな小さな島国にこれ程多彩な文化が生まれたな
と感心せずにはいられないのですが、
そうでなければ生き残れない切実な情勢に必死で対応した結果なのでしょう
いわば弱者の生き残り術です。
今では沖縄の伝統文化としてすぐに思い浮かぶ
組踊や琉球舞踊、紅型も日本文化の影響を強く受けています。
農業に不適な土地柄
琉球国は貿易立国としてスタートしています。
薩摩侵攻以前から、交易品としての工芸品やおもてなし外交は重要でした。
琉球国時代にも多くの先人達によって磨き上げられた文化ですが
明治以降には庶民も参加してさらに発展していったと思われます。
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