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第24週: 『サーキットスイッチャー』〜安野貴博〜

 安野貴博氏に興味を持ったのは今年の都知事選の頃だ。東大の松尾研に出自を持つテクノロジー畑出身の氏は、自らの政策を学習させたAIに24時間いつでも質問できる環境をつくり、githubで都民の声を政策に反映できる環境を整えた。この取り組みがどこまで功を奏したのかは分からないが、初選挙ながら都知事選で第5位となり、一躍世間の前に躍り出た。その政治活動は他の泡沫候補者とは違い、明らかに理路整然としており、これはすごい人が出てきたと思っていた。年齢が私と同じだという部分が私の興味を加速させた。。。
 実は安野氏は政治家以外にも、起業家、AIエンジニア、そしてSF作家としての側面を持つ。その代表作である、『サーキットスイッチャー』は完全自動運転が実現された未来の日本を描いている。自動運転に使われるソフトウェアは人間が与えたデータから事故を起こさないようにトレーニングされるが、ニューラルネットを利用してトレーニングされるため、人間が厳密にコードを書くわけではない。ゆえに、目の前の状況に対してハンドルをどう切るのかは、トレーニングされたソフトウェア自身が全て判断することになる。昨今は高齢者の運転による事故が問題視されているが、自動運転は人間による運転よりもミスが少ないため事故率は急激に下がる。一方で機械的な故障や外部要因が絡むことで事故は完全に0にはならない。この小説で問題提起されるのは、「もし外部要因などにより複数人が絡む人身事故が避けられないとき、自動運転ソフトウェアは目の前の人間のうち誰に衝突することを選ぶのか」である。そう、これは『トロッコ問題』の自動運転ソフトウェアバージョンだ。トロッコ問題では、トロッコが走る線路の分岐の両方に人間がいて、分岐の先の人数にばらつきがある場合は人間が少ない方を選ぶなどの合理的な選択をすることができる。しかし、両方に同じ数の人間がいる場合は選択が一気に難しくなる。

 人身事故の直前のような極限の状況で、ソフトウェアはどのようにハンドルを切るのだろうか。この小説では、人身事故のデータを解析することにより、ある一つの残酷な仮説が浮かび上がる。自動運転ソフトウェアの開発、人身事故の減少、事故が起こってしまったときの賠償金など、さまざまな要因が絡み合う中、仮説が確信に変わるとき、私たちの社会は自動運転による事故を許容できるだけの勇気を持つことができるだろうか。
 現代では、一部のエリアだけで自動運転車両が運用されているが、全世界で通用する完全自動運転車両は実現していない。だが、テスラ自動車は大量の運転映像をニューラルネットに学習させて、世界のどこでも通用する自動運転を実現しようしており、政治的な問題はともかくとして、技術的にはかなりの割合でそれを達成している。私たちの社会は嫌がおうにも自動運転社会へ向けて一歩ずつ進んでいるのである。自動運転車両はトロッコ問題に遭遇したとき、どのような挙動をとるべきなのか。物語で描かれているような問題がいま、我々の目の前に現実味を帯びて迫ってきている。その現実から目を背けず、我々自身がどのような社会を望むのかについて、今から考えておかなければならないのである。
 


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