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片づけの本当の「正体」

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辞書で「かたづけ」を引いてみた。
かた‐づけ【片付け】
片付けること。整理。整頓。「部屋の―をする」
本当にそれだけなのだろうか。私は片付けても片付けても「雑然」が残ってしまう。
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自分が片づけをすると、なんだかいつも「雑然」が残る。
気が付くと隣に現れる「雑然」
どんなに物を捨てても、物の配置を決めても、「そろそろ終わった?」と上から目線で隣にやってくる。いつも挑んでは参りましたと白旗を上げ、しばらくするとまた挑んでを繰り返している気がする。

言い訳ではないが、正直、これは遺伝だ。

何故なら、お母さんを見ても、おばあちゃんを見ても、みんな同じ。彼女たちの扱う場所には「雑然」がいる。他人から見たら雑然としているのに、本人たちは「え?なんでわからないの?」みたいな態度を取る。
帰省して、おばあちゃんから「海苔はその棚で、醤油はそこの引き出しで…」と、確かに言われた通りに探すとそこにある。小さい頃は宝探しみたいで面白かった。

それが…

今では夫に同じようなことをしている自分がいる。
確かに自分の中では、使いやすくしまったのだ。だから頭の中にもインプットされているし、迷うこともない。でも、夫の態度を見たら子どもの頃と私と同じだった。

そんな私に対し、夫は片付けが得意だ。
我が家のリビングは定期的に訪れる夫の「配置換えしたい!」欲によって、保たれている。
その日は、私が息子を連れ出し、夫は好きなように配置換えをする。帰宅するとそこには「雑然」はいなかった。そこにいたのは四角いものは角に収まり、飛び出したおもちゃはスッキリとし、部屋の空間の中に違和感を感じない「整然」だった。

「雑然」と「整然」この2つの違いは「誰が見ても片づいてる」という納得感だろう。私は夫に弟子入りをしたいが、果たして受け入れてもらえるか。
そしてどうか、息子にもこの「整然」が受け継がれていきますように…


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