洋楽バロンドール(最優秀アーティスト賞) を考えてみた 1955~1969年編
サッカー界で最高の栄誉とされる『バロンドール』。受賞資格は極めて単純だ。
その年、最も活躍した選手に贈られる賞である。
そもそも「バロンドール」という字面がかっこいい上に、約70年以上開催されてる歴史あるものでもある。
そして今年はロドリが受賞した。最有力とされていた世界屈指のドリブラー ヴィニシウスを退けて、守備的MFという地味なポジションでありながら大逆転!…というドラマであった。
元はと言えば、フランスのサッカー専門誌が設立した賞ながら、いつの間にか大きな権威を持ち、そのリストを見るだけで大まかなサッカーの歴史を辿れるという面白さも持つ。
さて、もしこれが音楽界にもあったらどうなるだろう?
…分かってますよ。グラミー賞というとてつもない権威があるじゃないかという意見。
だが、この賞はそもそも、多岐にわたる部門があり、その中でも主要4部門とされてるものは、優秀アルバム賞,最優秀レコード賞,最優秀楽曲賞,最優秀新人賞…のいずれかであり、最優秀アーティスト賞というのは存在しない。
そして多くのリスナーが指摘した通り、数々の欠陥が存在する。例えば、その年の頂点に値すべき人達の楽曲やアルバムがなぜか受賞してないことが多く見られる。
最大の例が1984年のプリンスや2016年のビヨンセ辺りだろう。
もはやグラミーはアメリカが権威ぶりたいだけの賞などと揶揄され、日本でいうレコード大賞のような扱いを受けてる。
もちろん、主要部門以外のノミネートされた人達の中には、ネクストブレイクを期待されてる有力な歌手やプロデューサーなどがいるので、そういった人たちにスポットライトが当たるという意味では割と価値のある賞ではあるが。
とはいえ、もっと見やすいラインナップを作ろうということで、私が新たに賞を作ってやりましたよ。
数えきれないほどの名曲やアルバムが生まれる中で、その年を最も輝かせたアーティストに贈られる音楽版バロンドール──その名も『洋楽バロンドール』
安直なネーミングセンスです。
とはいえ、何をもって「その年の顔」と言うべきか? 大ヒットしたシングル? 批評家絶賛のアルバム? それともライブでの圧倒的な存在感?
スポーツのように成績(セールス)で決まるものでは無いので答えは無数にある。
だがあえて定義するならば「その年におけるパワーバランス」であろうか。
優れたヒット曲を出す、もしくは優れた名盤を出せば、当然業界とリスナーの注目度は高くなる。
歌詞の考察が繰り広げられたり、「今の彼は勢いあるね~」なんて俯瞰で見る者が現れたりなど、一挙手一投足が注目される存在になるわけだ。
そういった「パワー」を持つ人がノミネートされ、その中でもより音楽業界への発展に貢献した人を選ぶため「バランス良く選出」しようと思う。
そういった候補も分かりやすく振り返られるように、年ごとに1~3位まで順位付けしてみようと思う。(Wikipediaのバロンドールのページを参考にした)
○ 開催年の設定
ロックの誕生年と呼ばれている1955年から開催されてることにしよう。もちろんそれ以前からポップ・ミュージックは存在してるしフランク・シナトラなどのシンガーやアーヴィングヴァーリンなどの天才的な作曲家も存在していた。しかし今ほどポップス業界は競争が激しくなく、いわゆるスタンダード・ナンバー級の楽曲も3~4年に一度のペースでしか生み出されてなかった。なのでやはりこの年から始めた方が変遷の激化度合いが目に見えて伝わりやすいだろう。
1955年
さてこの年の1位はロックンロール第1号として名高い『Rock around the crock』を作ったビルヘイリーが受賞すべきであると考えた。当然エルヴィスも候補に上がったが、1955年時点ではまだ全国的な人気を博し始めた時期でチャートアクションも地味だったので却下という形になった。というわけで2位と3位はチャック・ベリーとファッツドミノが埋め合わせをするような形で入っている。他にもボーディドリーやプラターズなど、R&Bの礎となる歌手グループも注目に値する。
1956年
エルヴィスは1956年に完璧なシーズンを送った。『heartbreak hotel』『Don't be cruel』『hound dog』『love me tender』と未だにロックンロールやバラードのスタンダード・ナンバーとして挙げられる4つの曲を世に出しており、ぶっちぎりでMVPにふさわしいだろう。当然、当時のアメリカではエルヴィス現象が巻き起こっておりテレビ出演時の視聴率は82%越えという嘘みたいな記録を残してる。
そしてその勢いに拍車をかけるように、前年のメンツに加えリトル・リチャードやカール・パーキンス、ジーンヴィンセントなどもブレイクしている。
1957年
昨年に続いてエルヴィスが受賞。昨年ほどではないにせよ、精力的な活動と人気は相変わらずで、『jailhouse rock』『all shock up』などを世に放っている。昨年同様エルヴィス含むロックンロール勢の快進撃が続き1~3位を独占している。
チャック、リトル・リチャード、ファッツ・ドミノは当然のごとく、そこからさらにジェリーリールイス、バディ・ホリー、エヴァリーブラザーズも加わるという後のビートルズへの伏線も垣間見える。
R&B部門ではサム・クックが新人としてデビュー。
1958年~1962年
1958年にペイオラスキャンダルによってロックンロール勢がほぼ壊滅といっていいほどオワコンになり、以降はその空いた枠を埋めるかのようにソウル勢やオールディーズ勢が台頭していく。正直この5年間は、これといって目覚しい活躍をするミュージシャンもおらず歴史上で最も地味な期間かもしれない。逆に言えば60年代に向けての嵐の前の静けさともいうべきだろうか。
とはいえ決して何も無かったという訳ではなく、この時期のオールディーズの楽曲は大瀧詠一などのアーティストもよく参考にしているし、R&Bがジャンルとして成立し始めたのもこの辺りだ。地味だが、無くてはならない期間なのだ。
1963年
そしてここから一気に激動の時代が始まる。
ビーチ・ボーイズ含むサーフロックがアメリカの若者層の間で人気を博し、再びロックが熱を帯び出す。そしてディランが反戦歌を歌い、文化人やインテリ大学生の間でフォークミュージックが熱烈な支持を集め始める。またオールディーズの最高傑作と呼び声が高いロネッツの『Be my baby』が発表された記念すべき年でもある。ジェームズ・ブラウンのアポロシアターでの名演だって立派な出来事だ。
だがやはりなんといってもこの年はビートルズだろう。1月に『please please me(曲)』で一気にチャートを駆け上がり、その勢いでデビューアルバムは30週1位を飾る。そこからはもう止まらない。『from me to you』→『she loves you』→『i want you hold your hand』といった破壊力抜群のポップソングを世に送り出し、ライブでは失神者が続出し、エリザベス女王に皮肉を飛ばし、もうやりたい放題である。1962年の秋に、リバプールから狼煙を上げたバンドは瞬く間にイギリス中で熱狂を生んだわけだ。その勢いは1956年のエルヴィスと似通うものがある。
1964年
歴史的な無双シーズンだ。年明けから春にかけてビートルズの人気はアメリカ中に広がり、初のテレビ出演は視聴率72%を記録。そして4月のビルボードシングルチャートで1位~5位を独占。これはサブスク時代が到来するまで一切破られなかった記録である。こうして天下を取ったビートルズに乗じるかのように、ストーンズやザ・フーやアニマルズ、はたまたキンクスなどの後輩バンドが続々デビュー。彼らもアメリカのビルボードにランクインし始め『ブリティッシュインベイジョン』が起こる。一国の音楽の産業構造を軒並み変えたのだ。
因みにこの年の候補として先程のキンクスやザ・フーなどのイギリスのロックバンド、もしくはボブ・ディランやシュープリームなどの別の勢力も名が上がったがひとまずはこれでいいだろう。また、バカラックやヘンリーマンシーニなどの職業作曲家も元気な時代だ。
ただこの年の最優秀楽曲賞を決めるならサム・クックの『A change is gonna come』を推したい。
1965年
ここまで無敵の状態だったビートルズに遂にライバルが現れる。ボブ・ディランがエレキギターを携えロックに転身したのだ。これにより、表現の幅が広がり『like a rolling stone』や『Subterranean Homesick Blues』などの大名曲を世に放つ。ディランのキャリア全体で見ても、間違いなくこの年が彼のキャリアハイだろう。
そしてローリング・ストーンズもこの年に『Satisfaction』でよりハードな音楽性を打ち出し、ビートルズに負けない存在感を放ち始める。
ザ・フーだって『My generation』をリリースするなど負けてない。
アメリカのポップシーンも健在で、モータウンが『My girl』で初めて1位をとり、ビーチ・ボーイズも頑張ってる。ライチャスブラザーズなんかも人気だ。
そして極めつけはジェームズ・ブラウンである。
『i feel good』や『Papa~』でファンクを成立させていく。
だがしかしそこはビートルズ。彼らもまた新たな挑戦と進化を遂げた。『Help!』『Ticket to Ride』などのシングルヒットは勿論、『Yesterday』でポール・マッカートニーの作曲能力が覚醒。
そしてこの年の年末、とどめを刺すかのようにアルバム『Rubber Soul』がリリースされる。かつての溌剌な音楽性はなりを潜め、湿っぽい世界観を確立し実験的なアイデアが何個も含まれたこのアルバムで、彼らは単なるポップバンドの枠を超え、アーティストとしての地位を確立してしまったのだ。ディランは残念ながら相手が悪過ぎた。可哀想だが、この年もビートルズが受賞です。
1966年
そんなビートルズにまたしても最強のライバル2人目が現れる。それがビーチ・ボーイズのリーダーであるブライアン・ウィルソンだ。元々アメリカのバンドの中で唯一イギリスに対抗できる人気と実力を有していた訳だが、音楽の限界に迫る狂気の探究心、ビートルズに対抗しなければならない焦り、仲間から理解されない苦悩…崩壊寸前のメンタルが彼の作曲能力を異次元の領域に押し上げ、遂にアルバム『pet sounds』という傑作が完成する。
しかしビートルズだって負けてない。ブライアン同様ロックの限界に迫り、アルバム『Revolver』でサイケデリック・ロックという新しいジャンルを確立。
アメリカvsイギリスの頂上決戦ともいうべき熾烈な戦いなのだが、ここは僅差でビートルズに軍配が上がる。
なぜならこの年ビートルズは傑作『Revolver』に収録されてない名曲『Paperback writer』と『Rain』もリリースしているからだ。後ろ盾がないブライアンを嘲笑うかのように余裕な素振りすら見せてるビートルズ。前人未踏の4連続受賞だ。
そして、3位にランクインしたのはフォークロックの集大成としてアルバム『blonde on blonde』をリリースしたディラン。正直ストーンズと迷った。
因みにこの年の候補としては『You can't harry love』がシングル1位に輝いたシュープリームが真っ先に挙がる。60年代でR&Bの地位と知名度を最も押し広げたガールズグループなのだが、いかんせんこの時代はロックが強すぎてランクインを外れてしまう。無念。
さらには、自作自演色を強めたストーンズ、フォーク畑からサイケっぽくなったザ・バーズやサイモン&ガーファンクルもノミネートしたものの上位には食い込めず。
1967年
この年、ビートルズは1964年同様、歴史的なシーズンを送る。アルバム『sgt papers~』で見せる芸術性は多くの批評家から絶賛され、ポップスの歴史においてひとつの金字塔を打ち立てた。
グラミー賞においてロックアーティスト初の最優秀アルバム賞を受賞し、おまけに何故か『michele』も最優秀楽曲賞を受賞してる。
さらにこの年『strawberry fields~』『penny rain』『hello goodbye』『all you need is love』『I am the walrus』などもう大名曲をフルスロットルに放ち続けており、化け物としか形容できない。ポップスの全ての歴史を見ても、ここまでのシーズンを送ったのは82~83年のマイケルジャクソンくらいしかいないのではないのだろうか。
そしてこの年最も割を食ったのは、天才 ジミ・ヘンドリックスである。デビュー1年目にして世界初の野外フェス「モンタレーポップフェスティバル」においてトリをつとめ、そのレベチなギタープレイは世間を震撼させた。楽曲面で見ても『purple haze』『stone free』『little wing』などの名ナンバーを世に放っている。ディランもビーチボーイズもジミヘンも例年の年であれば文句なしの受賞なはずなのだが…。
3位は『good vibration』がスマッシュヒットしたビーチ・ボーイズがランクイン。
他の候補としては、ジミヘンと同じくサイケロックの代名詞として名を馳せたドアーズ、ソウルの女王として一瞬でトップに君臨したアレサ・フランクリン、サイケに迷走しつつも「She's a rainbow」という名曲をきっちりリリースするストーンズ、ジミヘンについでギターロックの頂点に立とうとするクリーム、ヒッピー文化の集大成とも言える「forever changes」をリリースしたLoveなんかも欠かせない。
そしてなんといってもヴェルベットアンダーグラウンドもひっそり大名作を生み出してる!
R&B方面で見ると、JBはもちろん、モータウン勢も引き続き好調で「Ain't no mountain high enough」「i was made to love her」といったスタンダード・ナンバーをリリースした。
ちなみに、これらの凄まじいアーティストが歴史的名曲を出してる訳だが、チャート面ではモンキーズが独占するという謎年でもある。
あと、プロコル・ハルムの「青い影」も見逃せない。
1968年
ビートルズはこの年からサイケロックをあっさり捨て、再び音楽性を変化させる。後期のビートルズは大衆性と実験性の両立を当たり前のように行っており、中でも大衆性が極まったのが『hey jude』、実験性が極まったのがアルバム『the beatles(White album)』である。67年ほど圧倒的ではないものの、68年も圧巻の活躍を遂げたビートルズが受賞するに至った。
惜しくも2位に甘んじたのが、ストーンズだ。ビートルズのような実験精神をあえて切り捨て、自分らのルーツに立ち返った楽曲『jumpin juck flash』及びアルバム『beggers budget』は彼らの姿勢をより屈強なものにし、いわゆるストーンズの黄金期はここから始まるのだ。
そして3位は前年に続いて、よりエレキギターの限界に迫り続けたジミ・ヘンドリックスがランクイン。「Electric ladyland」といった録音芸術を極めながらも、ライブパフォーマンスもより磨きがかかってきている。
他の候補としては、名盤をリリースしたサイモン&ガーファンクルやオーティス・レディング、クリーム、ヴァン・モリソン、ザ・バンド、キンクス、ゾンビーズが思いつく。
こう見るも、結構な名盤ラッシュな年なんだな。
この年の一発屋としては「Born to be wild」で人気に火がついたステッペンウルフ。
また、アレサ・フランクリンは「Think」「i say a little player」などヒット作を連発。スティービーワンダーだって「for once in my life」で成熟味を見せ、マーヴィンも負けずと「I heard it through the Grapevine」で対抗。
1969年
1969年のビートルズは会社経営の失敗やメンバー間の不和もあってガタガタだったものの、音楽面においては例年通り安定していた。1月に屋上でゲリラライブを行いファンを喜ばせた挙句、『Get back』や『something』のシングルもヒットさせている。翌年に発売されるラストアルバム『Let it be』の楽曲もこの時期に収録されており、環境さえ整ってれば67年にも及ぶ活躍を見せていたかもしれない。
しかしそれを差し引いても、名盤『Abbey road』のリリースだけで受賞にふさわしい活躍といえる。これがビートルズ最後のMVP受賞であり、7連続受賞という記録は未来永劫破られないだろう。
一応活動期間は62~70年なのだが、62年と70年の2年は他と比べると特に目立った活動はしてないので、実質活動期間すべてで1位を獲得していることになる。
「ビートルズはレベルが低い時代だったから活躍出来た」と言う謎の輩がいるが、このライバルとの7年間の激闘ぶりを見てから考えを改め直して欲しいものだ。
さて、話が脱線したが、2位は昨年同様の活躍ぶりを見せたストーンズがランクイン。彼らも彼らで2位を堅守している凄さが伺える。
3位はウッドストックフェスティバルでトリにふさわしいパフォーマンスを見せたジミヘンがランクイン。60年代の最後にふさわしい面子だ。
惜しくもノミネートを逃したのがレッド・ツェッペリンとキング・クリムゾンである。ハードロックとプログレの萌芽がもう見られる。そういえばザ・フーもこの頃プログレチックな事に挑戦していたよね。
ファンク界隈はスライの活躍によって徐々に目立つようになり、
ジョン・レノン自体もとっくにソロ活動を始めて、「Give peace a chance」名曲をリリースしている。
エルヴィスも前年から復活し「suspicious mind」のヒットも飛ばした。
○インフレ度
さて今回はここで終わりにするが、最後に「インフレ度」というものも計算してみた。
これは、その年にどれくらい名曲や名盤が生まれたのかを計る数値であり、インフレ度が高ければ高いほどその年が豊作でレベルが高い証拠である。逆に言えばインフレ度が低い年はシーンが活気づいてない証拠で、そういった年に洋楽バロンドールを受賞したアーティストは「あまりライバルがいなかったから受賞出来た」という印象も生まれる。
少なくともこの数値は「昔は良かった」「昔はレベルが高かった」という懐古厨や、一方で「いや今の方がレベル高いでしょ」「古いからレベルが低い」という若者に対して、憶測のイメージを出来るだけ省き、データとして年ごとを比較できるものになっている。
ちなみに計算式は
としている。ガバガバかもしれないが、憶測よりはマシであろう。
そして1955~69年の中で計算するとこうなった。
こうして見ると、やはりエルヴィスとビートルズの存在が大きいことが分かる。
さて、今後も70年代、80年代と順々にやって行こうと思うので期待してて待ってて欲しい。
それでは。