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「近年のJ-popはオルタナ化してる説」について徹底検証してみた
前回、オルタナの定義を改めて振り返ったわけなんですが、現在のJ-popでも似たような現象が起こってるのではと感じたんですね。
初めにそう思ったきっかけは、みのミュージック氏の発言です。
彼は田中宗一郎氏の対談やBillboardのインタビューでこのような事を語ってました。
(以下抜粋)日本ならKing Gnuとそのデビューアルバム『Tokyo Rendez-Vous』ですね。Suchmosの成功や米津玄師のデビューをきっかけとして、Jポップの中心がオルタナ寄りになったと思うのですが、その真打がKing Gnuじゃないでしょうか。他のミュージシャンたちはラップやファンク、ジャズのイメージを打ち出していたところに、King Gnuはパッケージとしてロックスター的な演出をして、それが当たっているのが特徴ですね。
そう、「Jpopの中心軸がオルタナ寄りになってきてる」説です。
確かにKing gnuは言わずもがなですよね。
ヒップホップやロック、テクノ、ジャズ、現代音楽までごった煮にしたスタイルが、Jpopシーンの中心として躍り出ることは、今までになかった現象です。
今までJpopしか聴いてこなかった人ほど、「白日」の世界観や、「Vinyl」のあのファンキーなギターに衝撃を覚えたはずでしょう。
そして同じく邦楽のトップバンドの座に位置している髭男も、狂気じみたアレンジが特徴です。
「Cry baby」では10回くらい転調したり、「ミックスナッツ」ではフリージャズばりに騒がしいドラムだったりと、かつてのJpopのメソッドだったらまず間違いなくやらないものを大胆にこなしてます。
これは間違いなく"オルタナティブ=大衆に迎合しない逆張り姿勢"なのかもしれません。
しかしここで一旦見て欲しいのが、この方の一連のツイートです。
これ別にKing Gnuを下げるために言ってるとかじゃなくて、単純に両者の出自の違いが起因するものだよねってこと。
— ○代目 (@askaryohukkatsu) January 1, 2023
King Gnuはアンダーグラウンドの音楽から出発し、髭男は最初からJ-POPをやるためにスタートした結果、それぞれの拡張する方向性が今の状態に至るという。 https://t.co/6eVfVytLaG
それぞれの活動のベクトルの違いを端的に捉えたツイートであり、そしてどちらも「Jpop」という巨大秩序の中で格闘しているわけです。
凡百のバンドのように投げやりに独自性を発揮するだけでなく、きっちり大衆性を確保しているわけですね。
つまり彼らの活動は、「大衆への迎合」でも「大衆への逆張り」でもなく、全く別の意識が働いてるはずなんです。
そしてそれは彼ら2組だけでなく、現在活躍するJpopアーティストの大半に共通していると思われます。順に振り返ってみましょう。
○米津玄師の場合
まずここ10年でベストの実績と才能を誇る米津玄師ですね。
上の記事のように地下室タイムズが、だいぶ前に気づいてますが、やはりその特徴的な音使いが耳を惹きます。
その後のヒット曲となる「アイネクライネ」も後ろでシューゲイザーが鳴ってたり、「Loser」もポストパンクっぽいギターリフとEDMを融合させています。
以前、関ジャムのインタビューでこのように語っていました。
やっぱその、機能的じゃないものってすごい好きなんですよ。
すごく無為なものというか。
(中略)
別にあってもなくてもいいよねみたいなものを
どっかに宿したいと思う気持ちみたいなのが、曲を作ってるとすごく感じますね。
「Lemon」の「ウェッ」が象徴ですが、従来ならただの良質なJpopで終わるはずですが、使わなくてもいいはずの音を、あえて入れてやることで、少しの違和感を零しているわけです。
ですが彼の楽曲はしっかり「J-pop」の体裁をなしており、必ず「Aメロ→Bメロ→サビ→繰り返し→Cメロ→半音上げ大サビ」という定番の楽曲構成を忠実に守ってます。
○星野源の場合
米津と共に邦楽を復活させたといわれる星野源。
『Yellow dancer』や『Pop virus』の頃はブラックミュージックとJ-popの身体的融合を試みていた段階だったのだが、それ以降はさらに前衛さを増している。特にやべえのがこの曲だ。
ドリルンベースのトラックに合わせて、「前言を撤回し 音で奴を殴らせろ」という狂気じみたフレーズを、あの優しい笑顔で歌うんだから怖いよ星野源…となってくるわけですね。
彼は米津ほど楽曲構成がJpop寄りとは思いませんが、それでも「ポップス」としての強度はいかんせん高いと感じます。
○ミセスの場合
ミセスもおかしいことやってますよ。
昨年の大ヒット曲「ライラック」をよく聞いてみてください。
なんといっても耳に残るのは、最初のギターです。
プログレ、いやマスロックでやるような非常に技巧的なギターリフが使われてます。
さらに2分半を過ぎたあたりに、さらに楽曲展開は複雑になります。このパートは恐らく3+3+3+1+3拍子という無茶苦茶な変拍子を使っていて、
○クリーピーナッツの場合
「のびしろ」辺りはRIP SLYMEと並ぶほど喫茶店でも全く違和感のないモダンな音作りで、もうその段階で日本有数のHIPHOPアーティストだったわけですが、「Bling-bang-bang-born」でさらなる飛躍を遂げました。
ジャージークラブがまさかその年最大のヒット曲なんて誰が想像したでしょう。
かつての邦楽だったら、まず間違いなく無かったでしょうし、「日本はHIPHOPやクラブ音楽が根付かない」なんていう揶揄も前々からあるくらいです。
ですが、その障壁をとっぱらってくれた彼らは、最新曲「ドッペルゲンガー」もアフロビートっぽいミニマルテクノで、もう勢いが止まりません。
そんでR指定の紡ぐ滑らかな日本語のお陰で、歌詞がビートに飲まれずに、しっかり邦楽として成り立っているわけです。
○vaundyの場合
まあかつてのB'zのように音楽オタクからパクリを散々指摘されてるvaundy君なわけですが、裏を返せば、それだけ「洋楽の翻訳」が上手いということです。
「洋楽の翻訳」を知らない方に説明しますと、まず前提として邦楽は世界の音楽に'洗練度'の面で遅れをとってる、という意識があります。
そこで洋楽の特定の楽曲に見られるアプローチを模倣することによって、一気に垢抜けた楽曲を作ろうとすることです。
昭和の大作曲家 筒美京平もモータウン,ディスコ,フィリーソウル辺りの当時目新しかった音楽を上手~く自分なりに昇華して、邦楽のグレードを引き上げた功績があるわけです。例えば、平山三紀の「真夏の出来事」に見られる有機的なリズムはそれまでの邦楽とは一線を画してました。
井上陽水もフォークにある程度見切りをつけていち早くグラムロックやファンクに目をつけたことで『氷の世界』という大ヒットアルバムを生み出しましたし。
Flipper's Guitarもこの『洋楽の翻訳』を際限なくやるという活動で、「渋谷系」という一大ジャンルを築きました。
あとは小室哲哉だって、結果的には彼独自のサウンドになってしまいましたが、クラブミュージックを日本に根付かせようと奮闘してたわけです。
vaundyも例に漏れず、ブリットポップとかドリームポップとか、ちょうどインディーロックキッズの痒いとこに手が届きそうなジャンルの楽曲を『翻訳』することでJpopのさらなる可能性を引き出してるわけですね。
今のJ-popはどこに向かってるのか?
こう振り返っていくと、これらのアーティストが『逆張り精神』を持ってるかはやはり疑問が生じます。
むしろこれらのアーティストの活躍によって、かつて小林武史と小室哲哉が切り開き、00~10年代でマンネリ化の声も上がるほどフォーマット化してしまったJ-popという巨大ジャンル自体が、全く別の形へと変化を遂げつつあるわけですね。
結果的にジャニ=秋元帝国という権威が崩れたという意味で、2016~18年辺りはオルタナと同じように邦楽にとって一大転換点であることは間違いないのですが、オルタナが持ってた精神性とは訳が違います。
それなら、この現象をなんて名付ければいいのか?
今ん所、名付けてる人はいなそうなので、僕が新たなジャンルとして名付けてあげましょう。
プロポップ
いかがでしょうか?さっそく解説してみましょう。
progressiveとしての「プロポップ」
ロックがやがてプログレッシブ・ロックになったように、JPOPもまたプログレッシブになってきてるんだと思います。
はいはい、いつものようにピアノのオープニングから始まってストリングス入れながらサビでじゃーん!でしょ?
っていう目論見が通用しなくなってきているわけです。
先程紹介した曲のように、転調を意味わかんないくらい繰り返したりとか、海外のビートをまんま持ってきたりとか、歌詞が文学的で抽象的だったりとか、「実験を行うことを妥協しない姿勢」が散見されてます。
ただそれをやりすぎて破綻しないように、Aメロ→Bメロ→サビの楽曲構成だけ最低限守ってる、もしくはメロディーが際立っていて日本語としての質感を保つことによって、無理やりJ-popの枠に収める荒業をやってのける方が多くなってきてる印象です。
professionalとしての「プロポップ」
先程からなんとも言ってるように、彼らには『逆張り精神』というよりかは、実験性と大衆性をきちんと両立させた上で人々に届けようというサービス精神が感じられます。
そして、星野源,米津玄師,藤原聡,常田大希…などどの人も職業作曲家としても食っていけるんじゃないかってくらい純粋なソングライターとしての腕前があるんですよね。元々の楽曲の強度が強いので、多少突飛な音作りをしていても口ずさみやすいものが多いんだと思います。未だにカラオケランキングで上位に位置しているのはそうゆうことですよね。
初期衝動で音を奏でてるというより、成熟しきった「職人」としてのプロフェッショナルさを感じさせます。
そして、何よりその傾向を加速させたのはアニメタイアップの文化ですね。
今まではアニソン歌手、アニソン作曲家といった具合で非自作自演の分業システムが当たり前でしたが、2017年辺りからJ-popの最前線にいるシンガソングライター達が主題歌を担当することが多くなりました。
以下はアニソンに絞った年別のヒット曲です。
2017年
・ようこそジャパリパークへ (アニメ「けものフレンズ」OP)
・orion (アニメ「3月のライオン」ED)
・ピースサイン (アニメ「僕のヒーローアカデミア」OP2)
・打上花火 (アニメ映画「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」主題歌)
2018年
・ドラえもん (アニメ映画「ドラえもん のび太の宝島」主題歌)
2019年
・紅蓮華 (アニメ『鬼滅の刃』OP)
・インフェルノ (アニメ「炎炎ノ消防隊」 OP)
・お願いマッスル (アニメ「ダンベル何キロ持てる?」OP)
2020年
・DADDY! DADDY! DO! (アニメ「かぐや様は告らせたい?~天才たちの恋愛頭脳戦~」OP)
・廻廻奇譚 (アニメ『呪術廻戦』OP)
・炎 (アニメ映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』主題歌)
2021年
・怪物 (アニメ「BEASTARS」第2期OP)
・優しい彗星 (アニメ「BEASTARS」第2期ED)
・Cry Baby (アニメ「東京リベンジャーズ」OP)
2022年
・ミックスナッツ (アニメ『SPY×FAMILY』OP)
・喜劇 (アニメ『SPY×FAMILY』ED)
・残響散歌(TVアニメ「鬼滅の刃」遊郭編OP)
・裸の勇者 (アニメ「王様ランキング」OP2)
・KICK BACK (アニメ「チェンソーマン」OP)
・ちゅ、多様性。 (アニメ『チェンソーマン』ED7)
・トウキョウ・シャンディ・ランデヴ (アニメ『うる星やつら(2022)』ED)
・新時代 (映画『ONE PIECE FILM RED』主題歌)
・逆光 (アニメ映画『ONE PIECE FILM RED』劇中歌)
・私は最強 (アニメ映画『ONE PIECE FILM RED』劇中歌)
・すずめ (映画『すずめの戸締まり』主題歌)
・M八七 (映画『シン・ウルトラマン』主題歌)
2023年
・ホワイトノイズ (アニメ『東京リベンジャーズ 聖夜決戦編』OP)
・アイドル (アニメ「【推しの子】」OP)
・W●RK (アニメ『地獄楽』OP)
・飛天 (アニメ『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』OP)
・青のすみか (アニメ『呪術廻戦 懐玉・玉折』OP)
・勇者 (アニメ『葬送のフリーレン』OP)
・SOULSOUP (劇場版アニメ『SPY×FAMILY CODE: White』主題歌)
・美しい鰭 (劇場版『名探偵コナン 黒鉄の魚影(サブマリン)』主題歌)
・地球儀(「君たちはどう生きるか」主題歌)
2024年
・Bling-Bang-Bang-Born (アニメ『マッシュル』OP)
・晴る (アニメ『葬送のフリーレン』OP)
・ライラック(アニメ「忘却バッテリー」OP)
・Same Blue (アニメ『アオのハコ』OP)
・オトノケ (アニメ『ダンダダン』OP)
特に、鬼滅の刃が巻き起こした空前のアニメバブルによって、その年に大ヒットしたアニメの主題歌がまんまその年最大のヒット曲となる現象が5年くらい続いていますね。
特に米津と髭男とyoasobiが顕著ですが、ただタイアップでヒット曲を出すのではなく、いかにアニメの中のストーリーを汲み取って、人々に強く訴えかけるメッセージに昇華できるかという、いわば大喜利のようなことをずっとやってるわけですね。
かつて80年代ではその「大喜利のお題」というものが「アイドル」でした。例えば松田聖子という完璧な虚像に松本隆が複雑なシチュエーションの恋愛模様を編み出したりなど。
でも後のアイドル産業が等身大・バラエティ路線へ舵を切ったわけじゃないですか。
となると、完璧なフィクションの対象が「漫画原作のアニメ」に取って変わったんでしようね。
ただ彼らが受けるプレッシャーは並大抵のものではないでしょう。なにせ、今のアニメの地位ってメディアミックスの頂点みたいなものじゃないですか。
絶対に主題歌はヒットさせなければいけない。
ベタに大衆に媚びた楽曲じゃ飽きられるし、実験的すぎてもついてこられない。
だからますますプロの御業を使って両立させていかなければならないのでしょうね。
○あとがき
いかかでしたでしょうか?恐らくジャンプが暗黒期に突入したのでそろそろアニメバブルは一気に失速すると思うので、このプロポップはどんな新たな形を迎えるのでしょうかね。