人の真価
1 パリオリンピック 柔道男子60キロ級の準々決勝で、永山竜樹選手が対戦相手のガルリゴス(GARRIGOS)に締め落とされて一本負けした試合が物議を醸している。
この動画における両者の攻防を私は次のように理解している(したがって、事実誤認はあるかもしれない。気付いた方は指摘して欲しい)。
①ガルリゴスが永山選手を「袖車締(エゼキエル・チョーク)」に捉え、②永山選手が左手で(ガルリゴスの右手首を)掴んで、「袖車締」をディフェンスしていると、③審判が「待て」をかけた。
④審判の「待て」を聞いた永山選手が、左手のディフェンスを弛めたにも関わらず、ガルリゴスが「袖車締」で締め続け、永山選手を落とした。
⑤審判は、永山選手が落ちたのを見て、「待て」の前に既に永山選手が失神していると判断して、ガルリゴスの一本勝ちを宣告。
この試合のジャッジを巡る騒動を見ていると、「審判も人の子で、それに敬意を払うべきではあっても、信用してはならない」と私は考えてしまう。
(上に挙げた)動画のコメントの中には、「ガルリゴスは「待て」が掛かっても、締め続けたのだから「反則負け」だ」というモノがあった。
審判の不可解な判定に憤る気持ちは分かるが、「待て」が掛かった後にも締め続けたガルリゴスの行為はどういう反則になるのだろうか?
ルールブックを見る限り、ガルリゴスが反則になるとしたら、「禁止事項と罰則 反則負け(重大な違反)5. 主審の指示に従わないこと」に該当するのではないかと思われるが、ガルリゴスが「反則負け」だと主張するなら、感情論ではなくきちんとその論拠を示す必要があるだろう。
2 この試合で、ガルリゴスは「ハーフガード」トップから「袖車締」を仕掛けていたわけだが、「ハーフガード」トップからの「袖車締」は、(マウントから狙う場合と違って)締めに腰が使えないので、手締めにならざるを得ない。
普通締め技で落とすには、相手の頸動脈を少なくとも10秒以上は押し続ける必要がある。
だが、フルパワーの手締めは、どんなに頑張っても数秒しか続かない。
この試合の場合、「待て」が掛かる前は、永山選手が左手で(動画では見えないが、おそらく)ガルリゴスの右手首を掴んで下に引いているので、ガルリゴスの拳は永山選手の左頸動脈を正確に捉えていなかったハズである。
たらればになるが、「待て」が掛かった後も永山選手が左手のディフェンスを解かなければ、落とされる事はなかったと思う。
ブラジリアン柔術(BJJ)では、相手をどれだけ長時間抑え込んだとしても「一本勝ちにならない」が、柔道の場合、現行ルールでは20秒抑え込めば「一本勝ち」になってしまう。
永山選手は、あの状況でまず「抑え込まれる」(=パスガードされる)事を防がなければならなかったので、「袖車締」のディフェンスが一瞬だけ遅れてしまったと思われるが、本来「袖車締」のディフェンスはそんなに難しくない。
ハーフトップとマウントの違いはあるが、「袖車締」は相手の拳(や手刀)が入る前に、その下から自分の手を入れさえすれば(=最低でも、手の甲や手の平で自分の頸動脈をカバー出来たら)、これを喰らう事はない。
3 格闘スポーツは、対戦する両選手が予め定められたルールと、審判の指示に従う事を前提に成り立っている。
だが、審判の指示に従わない場合の具体例やサンクション(制裁)が明確でないと、今回の永山選手の試合のように、審判の指示に従わない選手が得をし、従った選手が損をするという結果になってしまう。
審判は神様ではないし、ルールには常に穴がある。
極論を言えば、審判は信用できないし、ルールは破られるために存在する(皆が等しくルールを順守するならば、最初から反則を定める必要がない)。
「セルフディフェンス」の観点から言えば、「待て」が掛かったからと自分から「ディフェンス」を解いてしまうのは、自分の身の安全を審判に委ねてしまっているに等しい。
審判は人間であり、自分を守ってくれる存在ではないという認識があれば、永山選手は、ガルリゴスが「袖車締」を解くまで、自分で自分の身を守るべく、「ディフェンス」を続けられたはずである。
柔道も、嘉納治五郎がこれを創設した当初は護身術的な側面を色濃く残した「武道」だったわけだが、スポーツ化する事に伴って、「ルールに即して勝つ」事に重点が移り、「自分の身を守る」という点についての意識が薄れてしまっているのかもしれない。
だから、この試合も「永山選手が悪い」とか「永山選手のミスだった」と言うつもりは毛頭なく、永山選手はスポーツ化した柔道の(審判及び戦い方の両面において)犠牲者だったと私は考えている。
人間は、順境ではなく逆境の時にその真価が試される(明らかになる)と言われる。
永山選手は、不運にも目標としていた金メダルへの道が断たれてしまったので、そこで気持ちが切れてもおかしくはなかったのだが、短時間でそこから気持ちを立て直して、見事銅メダルを獲得した。
あの審判やガルリゴスに対して、我々がいくら非難を浴びせても無意味である。
むしろ、逆境に陥っても、その真価を見せてくれた永山選手の姿勢をこそ私は称えたい。