「サバイブ」を表現する

1 「セルフディフェンス」柔術と聞くと、どうしてもグレイシー系の型稽古を想起してしまう人も多いだろう。だが、ジョン・ダナハーが述べたように、「型」稽古のみで、習得した「型」を「スパーリング」で試す機会が無ければ、実戦=ストリートファイトでは役に立たない。

 「セルフディフェンス」柔術の究極の目的は、「サバイブ」にある。そして、「サバイブ」とは、自分がどんな状況に置かれても「生き延びる」事を意味している。
 「セルフディフェンス」柔術を日常生活において実践しようとするならば、「危ない場所には近づかない」「危ない人とは付き合わない」と言った心構えが一番重要になるだろう。だが、ストリートファイトのような「逃げる」という選択肢が取れない状況に自分が巻き込まれた場合、そこから「サバイブ」する能力を上げるためには一体どうすれば良いのだろうか?

 型柔術の対極に「競技」柔術があると一般には考えられている。「競技」柔術においては、各種の反則とポイントシステムが定められており、そこで(PEDを使用していない、という意味で)普通の人が勝つためには、上の帯に行けば行くほど、良く言えば「試合巧者」、悪く言えば「ポイントゲームに勝つことに特化したスタイル」にならざるを得ない。
 「試合で勝つ」事が目的なのであれば、ルールを知悉し、ポイントひとつ、アドバンひとつの差で勝つというスタイルは最も効率的な勝ち方だろう。また、そうした勝ち方も、それを身に着けるために相応の(相当の)努力が要求されるという点では、一つの立派な技術だと私も思う。
 ただ、「試合で勝つ」事に特化した「競技」柔術は、相手がギを着ていない、あるいは、地面がアスファルトで引き込みが出来ないような状況では、「型」稽古のみの柔術と同様に「サバイブ」するのにあまり役に立たないだろう。

 つまり、実戦を想定した「スパーリング」で習得した技術を試す機会がなければ、その技術はストリートファイトでは役に立たない、という問題点は、型柔術だけでなく、「競技」柔術にも等しく当てはまるという事である。

2 では、型稽古のみの柔術が「サバイブ」するためには役に立たないという話を前提にして、「セルフディフェンス」柔術を稽古している人間が「サバイブ」力を向上するためにはどうすればいいのだろうか?

 逆説的に聞こえるかもしれないが、現時点での私の回答は、「(競技に限らず)柔術の試合に出て、試し合いの経験を積むこと」である。
 冒頭で、ストリートファイトのような状況で己が習得した技術を役立たせるためには(ストリートを想定した)「スパーリング」の場が必要だというダナハーの言を紹介した。
 
 「スパーリング」は、習得した技術についてトライアル&エラーが許されるために一定の安全性が担保されている事が必要になる。ストリートファイトのように失敗すれば即死するような条件設定では、技量が向上する余地がない。その一方で、「受け」が「捕り」に合わせて動く約束稽古では、何が起こるか分からないという意味での「予測可能性」のない実戦の模擬演習にはならない。
 「競技」柔術においては、特に危険な行為については反則が定められており、それによって一定の安全性が担保されている、つまり、最悪タップさえすれば身の安全を確保する事が出来る。また、相手が何をやってくるのか事前に予測が付かないという意味で、「予測可能性」はかなり低い。
 したがって、「競技」柔術における試合は、ダナハーが述べた実戦に類似した状況を設定した「スパーリング」の条件をある程度満たしている。

3 「競技」柔術の試合は、年齢・体重によって細かくカテゴリー分けがなされているが、とりわけ私のように平素全くフィジカルトレーニングをしていない者にとって、対戦相手は(同じ階級であっても)自分より確実にフィジカルが上で、しかも彼ないし彼女は、勝つために全力で振り切って動いてくる。
 こうした相手に、自分から動いて展開を作ろうとしても、間違いなく無駄である。柔術の組み立てに関して「サブミッションから考える」という言葉があるらしいが、それはごく一部の限られたフィジカルエリートについてのみ当てはまる話だろう。
 
 「セルフディフェンス」柔術の実践者が「競技」に出るからと言って、「試合に勝つ」事を目的にするわけではない。むしろ、「試合に勝つ」事を放棄して始めて「サバイブ」力を鍛える場として試合を役立たせることが出来る。
 対戦相手が自分よりフィジカルが上で、しかも振り切って動いてくる場合、最も気を付けなければならない事は「疲れてはいけない」という事である。「パスガード」や「スイープ」しようと競り合いに勝つ必要はない。相手を「(クローズドガードとオープンガードの双方を含む)ガード」に閉じ込める事が出来ればラッキーであり、むしろ自分から相手をパスさせて、サイド・マウント・バックといった悪いポジションで、「ディフェンス」を行い、まずは試合展開を落ち着かせる必要がある。

 試合展開が落ち着いたら、ようやくその悪いポジションからの「エスケープ」を考える。そこから先は、ひたすら相手のミス待ちになる。とりわけ相手のフィジカルが上であれば、自分から動いて「エスケープ」することは困難であるばかりではなく、徒に体力を浪費して疲れてしまう(結果、判断力が落ちてサブミットされる)結果になる危険が極めて高い。
 相手が試合巧者であれば、「パスガード」後に「ニーオンベリー」に移行したまま、リードしたポイントを守ろうとする可能性が高いだろう。それでも動かなければ、ルーチ(指導)が来るかもしれないし、外野は「動け!動け!!」というかもしれない。だが、「サバイブ」を目的に柔術をするのであれば、そうした周囲の圧力に動じず、最後まで相手のミスを待たなくてはならない。

 「競技」柔術における試合を「サバイブ」力を鍛える場として活用するためには、そのゴールを「試合に勝つ」事から「相手が誰であれ制限時間一杯迄(サブミットされずに)守り切る」事へと発想を転換しなくてはならない。平たく言えば(私の先生の言葉の受け売りになるが)「ポイント負けは負けではない」という発想が必要になる。

4 試合のゴールを「サブミット」されない事に設定する事が出来れば、やるべき事は自ずと限られてくる。相手に悪いポジションを取られた時の「ディフェンス」と「エスケープ」技術の習得がメインになり、もし相手のミスを突いて自分が有利なポジションを取れた場合に、彼ないし彼女を仕留めるために必要な「サブミッション」は最低限の基本的なテクニックに絞る。
 やる事が少なければ少ないほど、ひとつのテクニックについて繰り返し稽古する事が可能になるので、その習熟度は上がるし、何より「ポイントゲーム」に勝つために要求されるテクニックを一切無視できるので、柔術に対する迷いをかなりの程度無くす事が出来る。
 また、柔術やグラップリングの「オフェンス」力は、かなりの程度個人の才能に拠る所が大きいが、「ディフェンス」面に関しては、才能は関係なく、誰でも稽古量に比例して確実に伸びる(「競技」柔術のみの道場では柔術の「ディフェンス」面をほとんど教えていない事が問題だと私は感じている)。

 「競技」柔術で勝つためには試合経験が重要だという声をよく聞くし、それは真実だと思う。同様に、「サバイブ」力を鍛えるためにも、未知の(=普段自分が一緒に稽古している人々とは異なる)相手との試合経験を通して、悪い状況に対する適応力を高めていく必要があると思う。
 そうした経験を積み重ねて、自分の限界を知る事が出来れば、「逃げる」という選択肢のない状況に追い込まれる可能性を減らし、「セルフディフェンス」という柔術の目的を達成する道にも繋がるのではないだろうか。

 「競技」柔術の試合に出て、「ディフェンス」に終始し、動かない事は「逃げ」だという人もいるだろう。だが、少なくとも試合に出ない人には「試合から逃げている」という非難をする資格がない。せっかく高額のエントリー料を払って試合に出るのであれば、「試合に勝つ」以外にも、「サバイブ」力を鍛える等自分のやりたい事を表現する場としてこれを有効活用した方がいいと思う。

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 最後に、ヘンリー・エイキンスが茶帯の時(2001年)の試合動画を掲載しておく。興味のある方は、セコンドのヒクソンの指示にも注意を払って見て欲しい。


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藤田 正和
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