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アジール ー道場を経営する(七)ー

1 前回の記事で、オリンピック選手を非難するネット民達は、家族・地域社会・職場のどこにも居場所がない人々なのかもしれないと書いた。

 しかしながら、彼ら彼女らの居場所がネットにしかないのだとしても、それは必ずしもネット民達の自己責任とは言い切れない所に問題の難しさがある。

 以下は、宮台真司の(ほぼ)受け売りになる。

 高度成長期の日本人には、家族・地域社会・職場という3つの世界のどこかに居場所があった。

 90年代以降、バブル崩壊やグローバル化に伴って、それら3つの世界は徐々に解体され、人々は今や3つの世界の全てに居場所を失くし、「第四空間」に逃避せざるを得なくなっている、と。

 私が子供の頃は、祖母と同居していた時期があり、家族が三世代ひとつ屋根の下で暮らすというのは珍しくも何ともなかった。
 今では、非婚化・晩婚化のせいで、同居する家族がいないという人も少なくないだろう。

 また、大規模小売店舗立地法の制定に伴い、イオンのようなショッピングモールが全国各地に展開するようになり、地域の商店街がシャッター通りとなってしまい、地域社会そのものが消滅した。

 さらに、終身雇用制が崩れ、非正規雇用が増えた結果、同じ職場で生涯働き続けるという人が大幅に減少し、職場への帰属意識や一体感が失われた。
 
 このように、90年代以降の社会情勢の変化を受けて、家族・地域社会・職場という従来型のコミュニティが消失し、人々はそれらの場所で承認欲求を満たされなくなったため、「第四空間」たるネットに承認の場を求めて逃避している。

 この説明が正しければ、世の中の多くの人々は、家族・地域社会・職場から承認欲求の充足を調達出来ない状態にあり、ネットにそれを求める人が出てくるのは仕方のない面があると言えるだろう。

2 ただ、家族・地域社会・職場といったリアル・コミュニティと、ネットでの承認欲求の充足の調達の仕方は質的に異なっている。

 リアル・コミュニティにおいて、ある人の承認欲求を充足させてくれるのは、顔の見える「個人」であるのに対し、ネットにおけるそれは、もはや承認する人の個性が問題とならないフォロワー数のような「数」になっている。

 承認してくれるのが「個人」か「数」か?という違いは、次のような帰結を生むだろう。

 リアル・コミュニティでは、顔の見える範囲の個人しか問題にならないために、彼等と適切な関係を形成する事が出来れば十分であり、そのために奇矯な言動をする必要もない(むしろ、そのような言動は他者との適切な関係構築の妨げとなる)
 これに対して、ネットにおいては、承認欲求の充足度がフォロワー数のような「数」によって決定されるため、「数」を追い求めようとすれば、「つまらない正論よりも、過激で攻撃的な言説が受ける」というネット空間の特性上、より攻撃的で、より激越な言動を取らざるを得なくなる。
 そして、リアル・コミュニティにおいて与えられる承認が継続的なモノであるのに対して、ネット上のそれは刹那的・一次的なモノに過ぎないので、フォロワー数がいくら増えても「承認欲求」に対する飢えが乾くことは、まず・・・ない。

 そう考えると、「第四空間」としてネットに「逃避」するのは自然な流れではあるが、最終的にそこで「承認欲求」が充足されるとは考えにくい(むしろ、己の「承認欲求」を満たすために、より攻撃的でより激越な言動を取り続ける事に、当の本人がいずれ疲れてしまうのではないだろうか)。

3 ブラジリアン柔術(BJJ)の道場に限らず、習い事全般に当てはまると思うが、道場も(家族・地域社会・職場のどれにも属さないという意味で)「第四空間」のひとつに位置づける事が可能である。

 ウチの道場の場合、高校生や大学生の会員の多くは、(直接聞いたわけではないが)部活やサークルに属していないはずである。
 もし、彼等が部活やサークルに居場所があるのなら、わざわざ道場に通う必要がないからだ。

 彼等は、「BJJで全日本チャンピオンになりたい!」と思って道場に通っているわけではない(少なくとも、入会時にBJJに競技がある事を知っている子はいない)。

 当人達がその点についてどこまで自覚的かは分からないが、彼等は、道場に「部活やサークルに代わる居場所」を求めているのではないだろうか。
 つまり、彼等が本当に欲しているのは、BJJが強くなる事でも上手くなることでもなく、自分を認めてくれる人々の存在だと感じている。

 だから私は、彼等の強い弱いを問わず、コンスタントに稽古を続けている事をまず褒めるようにしている(逆に言うと、真面目に稽古しない子を褒める事はない)。

 そうする事で、彼等に「ここに居てもいいんだ」という安心感を与え、ストレスフルな学校生活に戻るための自信を身に着ける手助けが出来ればいい・・・と考えている。

 今の日本における道場が「第四空間」として機能しているのであれば、これを過酷な日常生活からの「アジール」(=避難所)とし、さらには、個々の会員さん達のリアルな承認欲求を(ささやかでも)満たす場を提供できる空間作りをする事が、これからの道場経営には求められているのかもしれない。

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