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風邪がくれる安らぎ

久しぶりに大きく体調を崩してしまった。

しかし僕は実際この状況を静かに喜んでいる。

僕にとって風邪は一種の解放だ。

風邪によって体調を崩した時は忙しない生活において思考や責任の放棄が許される数少ない状態であり、難しいことを考えずに気楽に時の流れに身を委ねられる一時的な救済の状態に他ならない。

解決しなければならない諸問題に忙殺される現代社会の中で「風邪を倒す」ということにのみ集中すれば良いだけの状態は、普段相当に無理をして仕事や生活に勤しんでいる僕のような者にとって不謹慎ながらもこれ以上ない僥倖なのである。

この時ばかりは選択と責務の葛藤から解き放たれることができ、大自然の中で野生動物を狩ることにのみ集中していた感覚に擬似的に戻れるというわけだ。

2021年に大ヒットしたアンデシュ・ハンセン氏の著作『スマホ脳』にも「人間の脳は原始時代のままである」といった旨の文章が綴られており、そこから氏は「原始時代にストレスは敵との物理的な戦いに対して、闘争か逃走のどちらかで対処する短期決戦に用いられるシステムだったが、現代ではそのような極端な方法でストレスに対処することは難しく、またストレッサーも数多くあるため脳の処理が追いつかない」というような内容の言説を導き出している。

すなわち、あちらこちらに散らばるマルチタスクに我々の脳や精神は疲弊し切っているということである。

おそらく上記の僕の文章を目にして、現代を生きる多くの人は見に覚えがあるなぁと感じてくださることだろう。

そんなタスクの濁流に迫られる日々だからこそ、体調を崩して風邪というストレスに対して闘争(=療養)で対処すれば良いという非常にシンプルな状況に回帰できることを、案外少なくない人が胸の内で密かに望んでいるのではないだろうか?


重力に逆らうことのできない発熱した体では『選択』というストレスから解放される。

現代ではマルチタスクが当たり前であるのとおなじように、食べるものに着るもの、友人付き合いから職場の付き合いまで「なにをするか」「誰とするか」という選択肢の多量さに眩暈がするばかりである。


しかしそれらの選択の懊悩さえも、ろくに動けない体の前には全てが砕け散る。

熱を宿した体を横にして目を閉じると、まるで幼子が母に撫でられながら眠る時のように穏やかな気持ちでいられるのだ。

この時に僕は慌ただしい現実から解放されて、遂に感性と感覚の世界に没入することができる。

健康な時よりも風邪の時の方が穏やかな気持ちでいられるとは、まさに不思議なことであるが、それほどまでに労働と生活の掛け算が僕にとっては限界ギリギリのハードなライフスタイルであり、もはやそれに耐えられなくなった体と精神が降参をしたということであろう。

現に療養四日目の今日は驚くほどに健やかな精神状態であるし、願わくばこの生活を半永久的に続けていたいとすら思っている。

世の人が見たらまぁ不真面目なことと思われるであろうが、正直なところ僕にはマイペースな生活が合っている。

別にガンガン稼いでいい場所に住んで良い車を所持して良い女を抱いて……とかいうことに興味はないし(芸術追求のために必要な要素を除いて)なによりそれらを手にするために自分の精神をすり減らしたり、自分が追求したい芸術や哲学が中途半端になったままで人生が終了してしまうことこそが一番避けなければならないことだ。


さて、話がずれてしまったがタイトルの通り「風邪がくれる安らぎ」というものを僕はいまとてもありがたく享受している。

友人やXでのフォロワーさんからあたたかい言葉もたくさんいただいたし、実家の父から支援物をいただいたこともあり、僕は改めて自らの幸せを認めることができた。

風邪がくれた安らぎは、穏やかな時間とあたたかな愛だ。

風邪よ、ありがとう。

キミのおかげで僕は心身を休めることができたし、自分のこころやこれからについてもしっかりと考えることができたことに感謝の意を捧げる。

この記事を読んでいる方がもし今度風邪を引いたら、ネガティブになりすぎることなく是非こう考えてほしい。

「忙しない日々の中で、今だけはやすんでもいいんだ」と。

そして、その時間だけはせめて日頃のあれこれから解放されて、じっくりと自分のためだけに過ごしてあげてくれたら幸いだ。

2024/08/04(土)

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