#150:なりたい自分と割れ窓理論
たくさんの投稿の中から見つけてくださって、ありがとうございます。
少し前に自称「運がいい人」に少しだけモヤモヤと感じた違和感を投稿しました。
あらためて考えてみると、自信のある振る舞いに結果がついてくることっていうのもありそうな話。
自分がありたいように徹底して振る舞えば、そっちの方向へ行くというか、まずは周囲の扱いから変わってくるのではないでしょうか。
周囲の扱いが変われば、もう「そうなった!」とほぼ同義。
持続性の有無は置いておいても客観的には到達した状態です。
かなり前になりますが、職場でとある女性との対人関係で悩んでいたことがあります。
私基準では、良くも悪くも計算をきちんとした上で周囲と接することがごくごくナチュラルにできて、いい具合に巻き込むことができるといったような才能に長けたしっかり者。
私自身がその方の利害を損ねない(あるいはメリットあり)と思われていた時は良かったのですが、ある部分で利害が対立することになってしまったのが災難の始まりでした。
それ以降は、上記に挙げた彼女のストロングポイントがダークサイド方向に振り向けられた時にどんなことになるかをずいぶんと思い知らされました。
ちょっと脱線しましたが、その方は自分軸をしっかりと持って自己演出をしているタイプで、「自分が扱われたいと思うように人は扱う」を体現しています。
まぁまぁ嫌な目にもあいましたが、一方ではとても勉強になりました。。。
もうどうでもいいので、許すことにしています。
さてさて。
「自分が扱われたい」という内容については心に秘めているばかりではなく、それをすでにそうあるかのように振る舞ってしまう、ということが実現のスピードを加速させるために必要なのかもしれません。
わかりやすい話で例えると「モテたい」と思っているなら、「モテる人」の振る舞いを先に始めてしまう、みたいな。
そうするといわゆる「雰囲気美人」「雰囲気イケメン」になることができそうです。
で、実績がついてくれば、それはもう立派な「モテている人」になります。
それって根拠のない自信であったり、勘違いな人になりかねないわけですが、「割れ窓理論」と合わせるといかにもありそうな話になってきます。
「割れ窓」が「自分」だとしたら、そんな放置状態の「自分」を誰が大切にするでしょうか?
他でもない自分自身が既にぞんざいに扱っているわけです。
ありたい自分として振る舞い、周囲にも見せる。
その結果、そのように周囲から扱われることで、「ありたい自分」を「当たり前にそうある自分」に変えることができるのでは。
なので「運がいい」についてもそう思うことで自分自身が満たされ、さらに好循環が生まれるなら乗っからない手はないかもしれません。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。