死にたいの効力
死にたいという言葉をお守りがわりとして使っている。死にたいというだけで心の何かが軽くなっているような気がするからだ。だが本当に死ぬわけではない。私は私のやりたいことが終わるまで死ぬつもりなど毛頭ない。
ただ、死にたいと思うことは人生で何度もあった。その度に死にたいという言葉を1人で笑いながら呟いたり泣きながら呟いたり、時には文字に起こしたり。そうするとなんだか安心する。まだ死にたいと何かに表現できるだけ、現実の何かにその感情を表せるだけ生きたい気持ちがあるのだとわかるのだ。何を言いたいのか自分でもよくわからないがとにかく死にたいと言葉にすると安心する。本当に死にたい人は誰にも言わずふっと消えるように死ぬだろう。その分、まだ言葉にできるだけましなのだ。これはあくまで私の考えであって他の人全員がそうとは限らないが、私はそう思う。
私の人生には死にたい期間と生きる気力で溢れている期間でできている。二つの期間がどのタイミングで訪れるか私にもわからない。いきなり死にたきなるときもあるし、いきたくなるときもある。死にたい期間がひたすら続くときもある。その期間によく私は死にたいと言葉にする。死にたいという言葉は行動に移しさえしなければ私に取っては最大の味方なのだ。