また泣いてしまった。なくつもりなど無かったのに。 昨日の夜8時、大学の教授から話したいことがあるからと翌日呼びだしを食らった。 私は何かいけないことをしてしまったのか。緊張して、今日の朝。早く大学に行 き教授の部屋のドアを叩いた。教授は快く迎え入れてくれた。話の内容としては 先日行った看護技術習得度技術チェックについてであった。私は、しっかりと練 習をしていたにも関わらず再試験となってしまったのだ。一度も練習をしていな い人が合格したのは納得はできないが。まあとに
看護学生一年目。常に何かに追われている。毎日が不安だ。ずっと何かに追われながら日々を過ごしている。 その何かについて考えてみた。 1、国試 私は日々国試に追われている。4年後だからまだまだ先じゃないかと思う人はいるだろう。深くかんがえすぎだと思う人もきっといる。だが私は違う。どれだけ先のことでもそれを乗り越えなければ自分が今までやってきたことすべてが意味をなさなくなると思うと怖くてしょうがない。だって看護学生国試落ちは医療の知識を少し持つただの一般人に過ぎないのだから。
死にたいという言葉をお守りがわりとして使っている。死にたいというだけで心の何かが軽くなっているような気がするからだ。だが本当に死ぬわけではない。私は私のやりたいことが終わるまで死ぬつもりなど毛頭ない。 ただ、死にたいと思うことは人生で何度もあった。その度に死にたいという言葉を1人で笑いながら呟いたり泣きながら呟いたり、時には文字に起こしたり。そうするとなんだか安心する。まだ死にたいと何かに表現できるだけ、現実の何かにその感情を表せるだけ生きたい気持ちがあるのだとわかるのだ。
愛されたい。誰かに抱きしめてほしくて。でも抱きしめてくれる人なんて誰もいないから自分で自分を抱きしめてもなんの温もりも感じない。すべては私の人に甘えられないかの性格のせいだ。と、までは言わないがほぼこの人の気持ちを考えすぎてからぶる甘え方を知らない性格のせいだと思いたい。 大学に入って周囲の女の子、高校の時の友達はみな色づき始めて、キラキラ大学生デビューを果たして彼氏を見つけている。幸せになっていく姿を横目で見ながら私は今日も平凡で変わり映えのしない毎日を送っている。ど
私のお母さんには彼氏がいる。付き合って2年。私もお母さんと一緒にその彼氏と出かけたこともあるしタメで話せるほどには仲がいい。彼氏さんと出会ってからお母さんは変わった。以前は鬱病で最悪な姿のお母さんの印象が強かったが、今では幸せそうだ。母曰く、今が一番幸せなんだと。 人との出会いというものはすごい。良い人と出会うだけでこれほどまでに人は変化するのだと彼氏さんから学んだ。 母の彼氏さんはとてもすごい人だ。大企業の管理職。非常に優しく絶対に否定はしない。私の母のために絵本を作
愛に触れてみたい。ずっとそう考えている。 私は中高女子校で恋愛をしたことがない。故に恋愛への憧れが人一倍ある。大学に入れば出会いが見つかるかもしれないと思っていたがそんな思いは塵になって消えた。私の大学の看護学部、男子が2人しかいないなんて聞いていない。それも女より女子力高めの男子。初日から女子に囲まれて私はそれを横目で見てるだけ。もう出会いなんてどこにもない。自分から出会いを探しに最悪な理由だがボランティア団体に入った。変人しかいない。もちろん自分磨きは怠らず、肌を綺麗に保
私は人に死ぬほど気遣ってしまう。それこそ自分のことを蔑ろにしてしまうくらいには。気遣うということが優しさというか偽善なのか、よく分かってはいないがとにかく人並みの優しさは持ち合わせている。優しさでいったら困っている人がいたら助けなきゃとすぐ動くし、もし困っている人がいたのに助けられなかったらめちゃくちゃ罪悪感と後悔に苛まれてしまう。気遣いの面ではどれだけ自分の意見があったとしてもその場の安定のためには言えない。書いていてあれ?これ気遣いか?と思ったがまあ今は置いておこう。めち
私今の気分とか考えてること文字に起こすの大好き なんだけど今の考えてること言うね?ダイエットし ようと頑張ってる私大好き!!!!!大学の小テス トでいい点取ろうと頑張ってる私偉いし可愛い大好 き世界一好き!!努力できるのすごい!!間違って たけど自分で頑張って課題を調べれた私世界一素敵 すぎて鼻血出る。てか昨日全ての課題終わらせた私 宇宙一素敵で愛おしくて最高に天才的!!!なんで こんな毎日頑張っていられるのかわかんないくらい 自分すごい!!!こんな素晴らし
ケルト音楽。どのような音楽なのだと思う人もいると思うが一番わかりやすい例 を挙げると、無印に流れている音楽のようなものだ。アイルランド周辺の伝統的 な音楽で軽やかなテンポの曲調のものから聞くだけで眠りに誘われるようなもの までさまざまな曲調のものがある。最近そのようなケルト音楽にハマりつつある ケルト音楽を聴いていると世界から切り離された異空間。異世界にいるような 気持ちになることができる。どれだけ疲れていてもケルト音楽を聴くでけで心が 軽くなるからおすすめをし
スマホのメモに思ったこと、人生のこと色々と書いているが、あとから見返すとなかなかに面白い
死後のあの世で自分の映画が流れる。人生の。自分 の生きてきた映画、記録が流れる。そんな映画至極 つまらなくて笑いどころもなきどころもなく終わる のだろうなと現時点でわかる。 でもそれは現時点での話。これから変えてゆけばい いじゃないか。大往生だったけど、色々あったけど 生きていてよかったと思えるような人生にしたい。 少しでも誰かの記憶に残ることができたならそれで いいじゃないか。そう思って今を生きようとしてい る私、なんて素晴らしいんだ。
春から看護学生としてのせい活がスタートした訳だが、数日しか看護学生をしてきていない私でもわかる。看護学生はすごい。すごいかって、体力が半端じゃない。大体の単元必修だから看護学校の授業が終わるのが私の大学では五時ごろ。そこからバイトに行くだなんて正気の沙汰じゃない。ヘトヘトだし毎回事後学習として1000文字ほどの課題が出される。それを期限までに提出しなければならない。それもその日、当日の十一時まで。バイトしている暇などない。一年生の時に遊んでおけと先輩から言われたがとりあえず今
私は人は嫌いだが独りが好きなわけでもない。孤独に怯えつつも、他人も怖いから近寄りたくなくて、己のジレンマに苦しめられて自己嫌悪に陥ってしまうタイプだ。けれどお人よしだから、他者が限界まで追い詰められていたら見逃すことができずに手を差し伸べてしまう。本当は、自分だっていっぱいいっぱいなくせに。 繊細で臆病なくせに、心が剥き出しで傷つきやすい。しかもおせっかいなお人よし。 きっと私今まで何度も心が壊れそうになりつつも、他者への関心を殺すことで生きながらえてきたのだろう。だが、社
例えばの話私がさスマホの最新機種だとしてそのそれを求めている人が彼氏だとするじゃん、でも今は最新機種でもそのうちまた新しいピカピカの高性能のスマホが出ると元最新機種の私と比較しちゃって乗り換えられると思うと恋なんてしたくない
最近自分を受け入れることができている。自分が好 きだ。人とは異なる意見、異なる考えを持っている 自分が好きだ。外見は痩せりゃなんとかなるし痩せ なくても愛おしい。この前髪が似合う人など数少な くこんな似合うのは私くらいだろう。自分の個性を 自分が尊重し、向き合い好きになろうと日々思えて いる。それは生きる上でとても重要なことだと感じ る。出会いを待つのもやめた。出会いはいつも突然 だからだ。来るもの拒まず去る者は追わず。これが いかに大事か、18年生きてきて
夢があるんだけど、その夢ってのが、ジブリとかアニメとか好きな彼氏をつくって一緒にジブリパーク行く前日に一日中ずっと家でジブリ映画予習を2人でしたい。ポップコーン買ったりしてゴロゴロしながら家で過ごすの。お昼は映画見て気になったジブリ飯の再現を2人で作って食べるの。