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『バビロン』繁栄と衰退

2023年2月鑑賞 80/100点 ネタバレあり

本映画は映画作りに関するお仕事ムービーだ。

どんなに低俗でも、映画には見た人の孤独を癒す力がある。魂がある。
本作は、そんな〈映画作り〉に取り憑かれた人々の生き様を描く。

舞台は、まだ白黒の無声映画が主流の1920年台ハリウッド。

主人公は3人。
既に知らぬ物はいない大スター役者ジャン•コンラック
ハリウッドスターを夢見る駆け出しの新人女優ネリー・ロライ
ネリー•ロライに恋し、映画制作を志す見習い青年マニー・トレス

物語は上記の3人が映画撮影前夜のパーティーで出会うところから始まる。

撮影前夜のパーティー会場。一緒にドラックを吸い、映画に関する夢を語り合うマニーとネリー。マニーは監督として、ネリーは女優として、いつか一緒に映画を作りたいと約束する二人。響き渡るジャズのトランペットは、繁栄の到来を告げる。

ネリーは、銀幕スターを夢見る駆け出しの新人女優だ。貪欲で、目立つためなら手段を選ばない。役を得るために招待されていないパーティーにも平気で押し入るし、ライバル女優より目立つために乳首を氷で冷やして男受けを狙ったりする。パーティーでは、ほぼ裸同然のドレスで腰を振りまくる。ただし下品な反面、自由自在に泣ける演技派な一面もあり女優としては確かな力を持っている。デビューと同時にすぐに大スターとなるが、貧しい生い立ちと下品な自分に対するコンプレックスに悩まされ、ギャンブルや薬物中毒に陥って身を持ち崩していく__。

ジャンは、知らぬ物はいないと言われる往年の大スターだ。撮影中も飲酒をやめないルコール依存症だが、肝心な時には必ず決める。出演する映画は全て大ヒットで、飛ぶ鳥を落とす勢いだ。気まぐれに映画制作を志すマニーをマネージャーとして雇ったり、パーティーで薬物をキメながらウェイウェイしている。妻を何度も取っ替えひっかえする色男でもある。しかし一方で、映画の編集•制作•キャスティングにも口を出したり出資したりで、映画作りに命をかけている真摯な一面もある。「自分たちが作る映画には大勢の人の孤独を癒す力がある」と信じて疑わない。

マニーは、映画制作を志している移民の青年だ。移民差別を受けながらも健気に映画制作の下働きをして日々を過ごしている。いずれは自らの制作する映画に、ネリーを出演させる夢を抱いて。マニーは上記2人と比べると落ち着いた性格だが、象の脱糞を頭から受けとめたり、撮影のカメラを借りるために救急車をカージャックしたりと映画を撮るためになりふり構わない一面もある。映画という巨大産業。人に夢与える、その大きな物の一部になるという志が彼にはあった。


そして3人の出会いの後、映画界は大きく変わっていく、

無声映画から有声映画、ミュージカル映画が主流に。
映画制作の現場に求められるモノも変容した。それまでは下品かつ過激な映像ありきで受容されていた映画も、音声がつくことで上品な立ち振る舞いや繊細な演技を要求されるようになったのだ。

ジャンは、映画界が変わってから落ち目になっていた。声がつく映画では自分の今までの経験も活かせず、演技も通用しない。親友の死、妻との不仲も重なり、次第にオファーも減る。かつては下賤と見下された映画を、ここまでに導いてきたのは自分なのに・・。ある時、ジャンは偶然居合わせた映画雑誌の記者と口論になる。「なぜ自分が落ち目なのだろうか」と記者に問うジャン。すると記者は答える「あなたはもう終わったの。幸運だった。映画に必要とされて。けどその幸運も終わり。もう必要とされていない。いつかは誰しもが終わるのよ」と。その後、ジャンは拳銃で自殺する。フィルムの中で永遠に生き続ける自分の影を残して。

ネリーは、完全に身を持ち崩していた。借金まみれで、薬物中毒のどうしようもない状態。出世を果たし映画監督となったマニーの支援を受けるも、ギャンブルに耽る。挙げ句の果てには、マニーが苦労して参加させてくれた上流階級のパーティーでもゲロを吐いて暴れる始末。シビアで緊張感のある撮影現場、セリフを上手く覚えられない自分、自分のマネジメントとするも無能な父親。貧しい身分でも、自らの才覚できっとスターになれると思っていた。しかし、結局は自らのコンプレックスからくる劣等感にさまれ続けた。最後には、借りてはいけない業者(マフィア)からお金を借り、路地裏で死体として発見される。

マニーは、3人の中では唯一の出世頭だ。自らのアイデアで撮影した映画が大ヒット、映画会社の役員にまで上り詰める。満を持してネリーを主演に映画を撮ろうとするが、彼女は既に俳人同然。諦められないマニーは、全てをかけて彼女を支援する。だが、そんな彼の努力も虚しく、彼女はギャンブル中毒となりマフィアに狙われる羽目に。最後には、全てを捨ててネリーに「二人で逃げよう」と提案するするも彼女は行方不明に。マニー自身も命を狙われ、ハリウッドから逃げないといけない状況になった。

物語の最後、数年後。マニーは街に帰ってくる。ネリーではない女性と既に結婚し、子供もいる。観光に来たのだ。勤めていた映画会社を見たあと、ふらりと映画館に入る。映画を見て思い出される、かつての日々・ネリーとの恋。かつて思い、映画の一部となった自分に思いを馳せ、涙を流すラニー。物語は、ここで幕を閉じる。

「映画という大きな物の一部になりたい」と願ったラリー。
時代に取り残され、死んでいった映画スター、ジャン。
スターになっても、自らのコンプレックスに苛まれたネリー。

この映画は、3人の繁栄と衰退を描く。
3人の最後は寂しいモノだったが、彼らの魂はフィルムの中に残り続け
今へと至る大きな流れの一部となる。

バビロンという言葉には、繁栄という意味がある。
映画界のバビロンに立ち会った3人。死にゆく者、生き残る者。
繁栄があれば衰退もある。終わりがあれば始まりもある。

それでも〈映画〉というコンテンツは生き続ける。去っていった者達の影を載せて。

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