見出し画像

からだことばの日本史3-7

頭の良し悪し

 現在通用している「頭」関連の慣用表現のうち、とくに耳にする機会が多い言い回しに「頭が良い」と「頭が悪い」がある。これらは、どちらも明治時代のうちに台頭している。時系列でたどると、「悪い」が先行して社会的に受容され、「良い」は後発に回っている。このタイムラグと前後関係については、そうなるべき理由があった。
 現代語的な「頭が悪い」が普及するのに先立ってあらわれたのが、「頭が痛い」の変化だった。本来は風邪や発熱などの要因によって、物理的ないし生理的に頭が痛む頭痛の症状をあらわしていた。現在も、そちらの意味も十分残っている。それでも明治時代に「頭」が心の本源と認識されていくにつれて、悩みの種があったり苦悩したりする比喩的な意味も上乗せされて、「痛み」の対象が広がった。
 辞書の記載を基準にすると、明治初期の「頭が痛い」はなおも頭痛をあらわすにとどまっていた。ヘボンの『和英語林集成』第2版にある見出し語「Atama(頭)」には「アタマガイタイ」という例文があり、訳語は「the head pains.(頭が痛む)」とされている。従来の和英辞典の訳語を再検討し、吟味したことで知られる市川義夫の『英和和英字彙大全』(明治18年、1885刊)でも、「頭ガ痛ム」を「the head pains.(頭が痛む)」と書いている。こちらも純粋に、頭痛の話だった。明治30年代に入った頃の英会話の用例集にある「頭が痛い」も多くは同様で、「headache(頭痛)」や「I have pains in my head.(頭が痛い)」といった頭痛の話が大半を占めている。
 明治32年頃に出版された辞典には、精神的な苦悩と結びつけた解釈もあらわれてきた。鄺其照著、増田藤之助編訳『英和双解熟語大字彙』(明治32年、1899刊)には「rack one’s brain(「rack」は「苦しめる」の意)」の訳語として「頭を痛く使ふ、頭脳を悩ます、考へ苦しむ」が載せてある。「頭を痛く使ふ」という表現は、独特の言い回しになっている。二番目の訳語は、原語の「brain」をふまえて「頭脳を悩ます」と訳出されている。現在なら頭痛の話に「頭脳」の語は使われないから、これも「頭が痛い」に精神面が取り込まれていく過程で生じた、過渡期の表現になっている。このように訳語が確定するまでの段階では、実験的でユニークな訳語が続出している。
 英和辞典では、この頃から頭痛のことを「頭が痛い」だけでなく「頭が悪い」とも言いあらわすようになってきた。青木義教『英和実用速成新会話』(明治32年、1899刊)も特徴的で、医者に「どこが悪る(ママ)いか」と聞かれた患者が「頭が悪るい」と答えるやりとりが出ている。言い方は「悪(る)い」でも、実際には痛みの話をしている。「頭が良い」に対する「頭が悪い」とは異なり、あくまでも頭痛の話だった。
 今でも時々「胃が悪い」「肝臓が悪い」などといった表現を耳にする。その場合には、指摘した臓器や部位が純粋に悪化しているものと理解されている。ところが「頭が悪い」と聞くと、学力や思考力などの低さや、反応の鈍さなどの話と受け止められている。そのように理解されている現在と違って、明治期の辞書では頭痛のことが「頭が悪い」だった。それでもいったん「頭が悪い」の形が登場してきたことが、変化の第一段階だった。これが頭痛の意から徐々に変化し、頭脳の程度をいう「頭が悪い」が形成され、対義となる「頭が良い」の登場を先導していた。
 ほぼ同じ時期に、「頭が悪い」と実質的に同義の「頭」が「から(空)」という表現も考案されていた。キリスト教の伝道で知られる内村鑑三が編集した『英和時事会話』(明治32年、1899刊)は、見開き左ページに英語、右ページに日本語を配している。第12章の「日本の貴族」には、とある男爵の「心の堕落(対訳はdegradation of his heart)」が「彼の頭脳の空乏(emptiness of his head)」と表現されている。
 この言い方は、以後しばらく踏襲されていく。イーストレーキ『英和会話用熟語集』(明治35年、1902刊)は、日本語の例文で「かれはばか(馬鹿)です」と前置きしたあと、「頭脳はから(空)」だと言い換えている。対訳には「emptiness(空虚さ)」があり、これが「から」と訳されている。本来は思考力や記憶力などが備わっているはずの「頭脳」だから、それが欠けている状態が「から」なのだった。また同辞書では、「He has a great mind.(彼はすぐれた思慮を持っている)」を「その人は誠に脳が達者です」と訳している。精神性を伝える「mind」までもが「脳」と訳されていて、「頭」界隈をめぐる当時の模索の様子が垣間見える。
 なお明治中期から後期にかけて出版された英和辞典の著者名には、しばしばフランク=ウォリントン・イーストレーキの名が出てくる。イーストレーキはアメリカの英語学者で、明治17年(1884)に来日し、日本に永住して「博言博士」の名で知られた。国民英学会(明治21年、1888)や東京英学院(明治22年、1889)を創立して実用英語の普及に努め、彼の名で出された英和辞典はかなりの数におよぶ。
 「悪い」や「から(空)」といったマイナス要素の「頭」が認知されるようになってから、プラスの意味を伝える「頭が良い」が登場した。初期の用例では、「頭が良い」も「頭の良い」もある。目安として、どちらも現在「知性」と訳されている「intellect」と「intelligence」の訳語をたどってみると、明治中期の英和辞典にはまだ「頭」を使った用例が乏しい。市川の『英和和英字彙大全』に収められた見出し語「intellect」には「才智、智力、才気、穎敏えいびん(才知が鋭いこと)」と書かれていて、種々の翻訳を試みた跡がうかがえるものの、どれも漢語になっている。
 形容詞の「intellective」の訳語は「さとリ得ル、賢明ナル、才気アル」となっている。もうひとつの形容詞形の「intellectual」も、「聡明ナル、才気アル、心ノ」と書かれている。もっとも平易な訳語でも、最後の「心ノ」止まりで「頭ノ」とはなっていない。「intelligence」関連の言葉の訳語も、ほぼ大差はなかった。
 「頭が(の)良い」の用例は、明治30年代の中盤以降に急増している。英語教授研究会編『実用和英新辞典』(明治39年、1907刊)に収められた見出し語「はず(筈)」の例文に「頭が良い」が出ている。やや長い例文だが、「It is natural that he should excel in mathematics ,seeing that he has a very clear head.」を「彼は頭が良いから数学が得手な筈ダ」と訳している。「頭」の良さと数学が結びつけられているのもポイントで、すでに現在のイメージに近くなっている。
 イーストレーキの『英和熟語慣用句辞典』(明治41年、1908刊)の見出し語「intellect」には「理心、智力」とあって漢語調だが、例文に添えられた日本語はもう少しこなれている。原文の「He has a fine intellect.」を、「あの人は立派な頭をもってゐます」と訳している。形容詞形の「intellectual」には「He is an intellectual man.」に対して2つの訳語が示され、「あの人は智恵のある人です」とともに「あの人は頭をつか(使)ふ人間です」が列挙されている。さらにその名詞形にあたる「intellectuality」にある例文の「He is a man of great intellectuality.」を、「あれは非常に頭のよい人です」と訳している。また見出し語「prodigious(巨大な)」では「prodigious intellect」を「並外れて頭がよい」と訳出している。
 井上十吉編『和英辞典 新訳』(明治42年、1909刊)の見出し語「atama(頭)」には、「頭の善い人(a clear-headed man)」と「頭の悪い人(a muddle-headed man)」が出ている。こうして日本語に、新たに「頭の良い」が加わった。口語の日本語と和英辞典とのタイムラグから判断すれば、「頭」の良し悪しに関する表現は明治時代のうちに定着したとみてもよさそうである。
 昭和の初期に、物理学者の寺田寅彦が「科学者とあたま」(昭和8年、1933発行『鉄塔』所収)を書いた。明治から昭和初期にかけて、随筆や俳句などマルチな活動を展開した寺田によると、科学の歴史は「錯覚と失策の歴史」だった。続けて、「偉大なる迂愚者うぐしゃの頭の悪い能率の悪い仕事の歴史」ともいう。「頭の悪い」人による非効率な研究活動の歴史と述べ、むしろ「頭の悪い」人こそ科学者の資質があるという。
 すなわち「頭のいい人」は批評家には向いているが、科学者当人には向いていない。それは危険性がともなうからである。怪我を恐れる人が大工にはなれないように、失敗を恐れる人は科学者になれない。科学とは「頭の悪い命知らず」の死骸の山の上に築かれた殿堂であり、彼らの血の川のほとりに咲いた花園だからだといい、印象的な表現になっている。多大な犠牲を払った上に成り立つ高みであり、だから「頭がよい人」は「戦士」になりにくいと結んでいる。頭が良すぎて先々の不確実性が見えすぎると、かえって二の足を踏んでしまうデメリットが指摘されている。
 根本的には向き不向きや適材適所の話であり、優劣を論じているわけではないが、説得力に富んでいる。「頭」が精神中枢とみなされるようになるにともなって、「頭」の活用をめぐる議論も大いに活発になっている。

いいなと思ったら応援しよう!