ユメミルユメコ、の日。
2023.3.31
母は亡くなり、
父は施設にいる、と知ると
『ご実家はどうされるの?
住むの?売るの?』
と問われることが、多々ある。
『水道代や光熱費も
ばかにならないでしょう?
固定資産税もあるし、
年間にしたら、結構な額でしょう?』
と、続けて言われると
わたしは、いったい何と
答えていいのか、わからなくなる。
ほんとうに、わたしは
莫迦なのだと思うけれど、
まだ、父も母も
この場所に在るような気がして、
ただ、ふたりとも
《留守》にしているだけで、
わたしが、週末、
荒れ果てた庭にいて
そこに、手とこころを
たくさん使って、
ふたりが夢見たように
花でいっぱいに
しようとしていることを
喜んでいる、と思っていて、
だから、『無駄でしょう?』と
言われると、困惑する。
わたしは、なんにしても
直線に、びゅっ、と進めない性分だ。
誰もいなくなったから、終わり、
などと、きっぱりと思えるチカラが弱い。
しかし、その分、
母が亡くなって、10年強
父のこころを映すように、
だんだんと荒れ果ててしまった庭を
新しく、なつかしく再生できる
と思えるほどは、強い。
こつこつと手を動かしていれば
その日が来る、と、
こどものように信じている。
夢見る夢子、が、わたしの別名だ。
お金のハナシには滅法弱い、
ユメミルユメコ。
🌿
きのうは、
マサキの葉に、
赤ちゃんの虫の幼虫が
ひとつの葉に、5も、6も
びっしりと並んでいるのを
いくつも見つけ、
くー、これが、去年
新雪、という名の薔薇の葉を
ぜんぶ、食べたコたち、だよ
と、瞬時に閃き、
そのあたりの葉を、ごそりと茎ごと剪って
垣根全体に木酢液を500倍に薄めたものを
スプレーで塗布した。
(わたしは、虫は怖くない派である)
それから、百日紅の、
可愛いから、と残しておいた
枯れた実がついている枝を剪った。
剪定は、奥が深い。難しい。
わたしは、父が
木をこんなに庭に植えなかったら
良かった、と正直、思う。
せめて、3年に一度くらい
植木屋さんに入ってもらって
さっぱりさせていてくれたら、と。
しかし、父は
ジブンで十分できる、と信じていた。
そういう意味では、父も
ユメミルユメオ、で、ある。
🌿
アパートで種を蒔き、
寒い2月から、育てていた
ダリアの苗の、よく育っているコを
庭に植えた。
すこし早いかな、と思ったが、
DAISOの紙のポットで育てていたら
だんだん、紙がぐずぐずとなり
(そりゃ、そうだ。紙なのだから)
ここらが限界である、と判断した。
ダリアさんたちの間に、
よく育ってきたジニアさんの苗と、
今、種から育てている
アスターを植えようと思っている。
背が高くなるマリーゴールドも、
足元には、ナスタチウム(金蓮花)も
間に植える予定だ。
この花たちの組み合わせは
好きな絵本の夏の庭の花壇の再現。
ユメミルユメコは、
そういうことばかり、やる。
ていうか、そういうことしかやらない。
🌿
昼ごはんを食べそびれて
14時過ぎ、バスで町に出て、
JAで、苗をいくつか買ってから
ヒレカツとエビフライのお弁当を買い
庭へ、とんぼ返りした。
しっかり食べてから、
草取り、をした。
ことしは、庭の東側に
たんぽぽがたくさん来た。
痩せている、硬い土にこそ
たんぽぽは来て、そこが
豊かな土になると、自然に
去っていく、と読んだことがある。
来てくれたのは
足で踏んでばかりの
10年以上、なにも植えてない場所か
根が張った木の根元だ。
硬い冷えた暗い土のなかを
たんぽぽの長い根が
あたたかに伸びていく。
地に、あたたかな黄色の花を
咲かせながら。
それを思うと、ありがとうと
見つめてしまう。
たんぽぽは抜かず、
荒れ果てた庭を見守ってもらう。
日暮れが来た。
見上げれば、西の空に夕焼け。
道具を片付けて、今日はお仕舞い。
部屋に戻って。あしたの庭を夢見る。