メンタルブレイク中に見たM-1は久しぶりに面白かった
年末年始、皆さまどのように過ごされましたでしょうか。
私はメンタルブレイクしたりコロナになったり回復したりと、これまでにない年末年始を過ごしました。
今回重めな話になります。途中、夢の話ですがショッキングな表現をしますので、自身の精神が他者に引っ張られやすい方、精神が不安定な方は飛ばすようお願いします。
午前4時30分
12/22(日)、午前4時30分。
気に入っている服を着て、通勤時用のコートを羽織り、カバンを持って駅のホームから身を投げる自分を見ました。真顔だったな。
夢、なんだと思います。ですが、当時の自分の気持ち的に言うと「見た」という方が正しい感じ。フラッシュバックのように突然映像が表れて「見た」んです。自分を。この時、「あ、自分しにたいんだ」と思いました。ストン、と落ちるように納得して何かかが崩れた感覚がして。ポキっと折れるってこういうことか、と不思議な実感がありました。
4時30分に目覚めてからはずっと泣いてました。とりあえず落ち着かないと、と思いホットミルクを飲んだり蒸しタオルを作ったりしたのですが、改善せず。実家暮らしでして、母が起きたら一旦安心する気がなんとなくしたので、とりあえず7時まで、寝ないでずっと泣いてました。
一挙手一投足涙
7時に母が起床して、とりあえずなんか辛いんだけどという話をして。おかげさまで一旦は落ち着きました。母は職業柄、日曜日に仕事があるので8時あたりには家を出たのですが、この時本当に実家暮らしで良かったと思いました。一人暮らしだったら完全に折れてたと思います。
母が出かけてからはとりあえずご飯を食べなきゃと思い、着替えを済まして居間へ移動。とりあえずゼリーとみかんを食べて(この時のみかんが後に胃痛を引き起こすとは知らない)。あとは、自分自身が精神不調を起こしていること、多分鬱か何かの手前にいることは自覚していたので、次は体を動かさなきゃと思い、テレビでYoutubeをつけてラジオ体操をしました。
この間、何をするにしてもずっと泣いてました。立ち上がるのに泣いて、着替えるのに泣いて、ラジオ体操をするのに泣いて。泣きはするんですけど泣く必要はどこにもないので、「なんで泣いてるんだ」と笑いながら泣いてラジオ体操をするというカオスな空間が出来上がっていました。
私はよくソウルジェムが濁るという表現をするのですが、ストレスがかかっている時って鉛が落ちたみたいに心臓の一部が重くなって、それがだんだん重なって全体が沈んでいく感じがするんです。12/22は何をしてもずっとそんな感じでした。一つ一つが鉛みたいに重くのしかかる。
ラジオ体操後は、これはよくある症状らしいのですが、日中にかけて少しですが回復していきました。段々泣かなくなって。ただ、しっかりしたたんぱく質をとりたくてうどんを食べようとしたら、一口噛むごとに涙が出ちゃってうどんは食べれませんでした。ゼリーとかは泣かなかったんですけどね。
私の友人に過去精神科へ通っていた子がいたので、通院先を教えてもらいました。日曜日も開いていたのですが、結局この日は新規予約がいっぱいで行けず。行けはしませんでしたが、外に出るために「化粧」ができました。朝もそうですが、着替えられるし化粧もできるということを確認できて「あ、まだ戻って来られる部分に立っているんだ」という感覚がもてました。
午後3時、敗者復活戦開始
だいぶ落ち着いて泣かなくなって、それでも心がザワザワ森状態の午後。本当に現代はいい時代になりました。なんとなくテレビが見たいけどここから動いたらまた泣くと感じ取った私に、「TVer」という文明の利器が舞い降りまして。更に良かったのは敗者復活戦の同時配信をやっていたこと。
普段とは違うことをしたほうが気分転換になる時ってあるじゃないですか。私、小学生の時にM-1を見て「え、訳分らんなんだこれ」と思って以来、M-1ってずっとつまらないものだと思っていたんですね(芸人の皆様およびファンの皆様すみません)。なので、珍しく、久しぶりに見てみようかなと。これが良かった。個人的に敗者復活戦で面白かったのは「男性ブランコ」。理性で止めろよ、面白かったです。
17時くらいかな、敗者復活戦を見て元気が出ても寂しいものは寂しかったので、友人に電話をしました。あれですね、不調の時に元気な人と話しちゃダメですね。確かに安心はしたのですが確実に疲れました。なので、「ごめん、M-1が待ってる」といって電話切りました。疲れたことも言いました。ありがとう、友人。失礼なことを言える間柄でいてくれて。
その後はM-1の決勝戦を見るわけですが、そこで初めて「あ、M-1って面白いんだ」と。正直に言うと、元から大きい声のツッコミや勢い強めのネタが得意ではなく、不調も相まって負担になってしまったので全部見れたわけではないのですが、トップバッターを務めた「令和ロマン」め~ちゃめちゃ面白かったです。熊猿、石僧ね。涙がポチャンね。面白かった。元気ないので面白くても「フヘヘ」くらいにしか笑えないのですが、面白かったなあ。見て良かったなあ、お笑いって面白いんだなあと思った午後でした。
初めて夢占いを信じた
そもそもこんなことになった原因はというと、大きくは仕事だと思います。過去の記事で書きましたが、そもそも出版業界を目指しており、最終面接までいけても中々内定が決まらない中、じゃあ手に職つけられそうなITかな、と思い開発職採用で今の会社に拾われました。ですが、
・結果的に配属されたのはヘルプデスク(大体がパソコン本体やoffice製品の不具合対応なので、社内開発したソフトの運用保守ができるわけでもない)
・入社当時人事に配属理由を聞いたら「どこ配属でも大丈夫かって質問あったじゃん?」「大体面接時に決まってた」
・どうやら開発職の同期によると来年の新人研修の準備をしているらしい
•もっと言うと配属先だったはずの先輩や他部署の教育係が心配している
希望も採られず応募条件と違う所に配属されて、しかもたった数分の面接ですでに決まってて、それなのに次の新人は開発にいれる。ただの人数合わせで採用されるために夢を捨てて違う業界に進んだわけじゃない。こちらにもキャリアや人生があるのに、こんな会社の歯車になるために善意で入社したわけじゃない。絶対に異業種転職してやる。そう思い第二新卒の面接を受けたりしていたのですが、結果一次面接で不合格。まだ語ると、私の家は裕福な方ではないので、将来的な経済面の不安もありました。
色々合わせて現在の職場にずっといる気は最初からなく、何か一つ秀でたものを得られると見込んで開発に応募したのに、全くもって何も得られない部署に配属されたのは大きな大きなストレスでした。
で、ここまでが折れた原因ですがなんで夢占いに繋がるかというと、ホームに落ちる夢の意味を調べたら「将来への不安がある」状態とのこと。「うわそうなんだ」と普通に信じました。初めて夢占い信じた。結局後づけ理論なのかもしれないけど。
まさかこんなことで折れるなんて
今は会社にも普通に行ってますし、少し心はザワザワ森ですがホームから落ちようなんて思ってません。回復して思うのは、「こんなことで折れるなんて」と「そこまで辛かったんだな自分」ということです。
母にも言われましたし自覚していますが、正直、失敗してこない人生でした。多少壁はあったと思いますが、どれも支えてくれる人がいたり、自分自身でなんとかできたり。解決策があって、しかも自分で考えて行動して結果確認までできるという、どちらかというと小規模の壁。ですが、今回は明らかに自分の選択ミスですし、ひとりでどうにかできることでもない。
自分で言うのも何ですが、割と大体のことはできるほうで。アルバイトだったり、勉強や課題において割と優秀な成績をとるほう。なので、自分で考えて動いているだけで、大体仕事ができる人・賢い人になってたんですね。そんななので自分でもある程度の能力はあると。自己肯定感もそこそこに育っていたので、本当に自分が折れるとは思わなかったですし、まさかこんなことで、という感じ。今でも信じられない。一方で「これが辛いんだな」「思っているよりも繊細なんだな」ということを自覚するきっかけになりました。これは私にとってすごく大事なことで。ずっと自分がどんな人間か分からなかったこともあり、何で折れるかを知れたのは本当に良かったです。
最後に
部署の先輩にメンタル不調と部署異動を相談したのですが、その時「グレーでも白に近いところにいてね」と言われました。先輩のご友人に精神科医がいらっしゃるとのことで、その方が「グレーでも黒に近いグレーはもう白には戻れない。だから白に近いグレーでいてくれることが大切」と仰っていたそうです。
メンタル不調を起こした人間として、この記事が少しでも誰かの役に立てばいいなと思います。お伝えできることとしては、「体を動かす」「頭を空っぽにできることをする」「人を頼る」ことを積極的にしてほしいです。
精神的に辛いと特に「人を頼る」ことは難しいかと思いますが、大丈夫です。あなたの周囲にいてくれる人は受け止めてくれます。なんとかしようとしてくれます。相手があなたを癒すにはあなたがしてほしいことを素直に伝えてください。言わないと伝わりません。ぜひ、周囲を頼ってくださいね。
な、なげ~~~。自語りなげ~~~。
まあ、これはメンタルブレイクから回復していつか書きたいと思っていた事なので。冒頭に書きましたが、メンタルブレイクの後はコロナになったりしているのでそれも記事にしたいです。ほんとに怒涛の年末年始だった。ある意味レアだね。
それでは今回はちょっとショッキングな内容になりましたが、ここまで読んで頂きありがとうございました🙇