同志社大学神学部、そして慶應大学④〜同志社大学神学部へ進学〜
「とんでもないところに来てしまったと思っている方も中にはいるかもしれませんね」
入学式の次の日、僕は京都の同志社大学今出川キャンパスにある神学館のチャペルにいた。クリスチャンであった新島襄が設立した同志社大学の中でも神学部というのは特別な学部であったと思う。もちろんそのキリスト教精神を体現する学部として重要な役割を担っていたということもあるのだが、「学部はどこですか?」と聞かれて、「神学部です」と答えると大抵驚かれるという点でここは特別な学部であった。神学部の学生なら誰でもこれを経験したことがある。
日本で神学部のある大学は同志社大学をはじめ、上智大学、関西学院大学、東京神学大学など恐らく両手の指の数ほどもないだろう。また神学部に行く人は皆クリスチャンだと考えている方もいると思うが、少なくとも同志社大学神学部においては特別クリスチャンが多いとは感じなかった。確かに他の学部よりかはその割合は高いはずだが、全員がクリスチャンというわけではない。僕もクリスチャンではない。父親は創価学会員で、叔父は幸福の科学の信者という宗教を肌で感じる機会はあったにはあったが、他の人と同様キリスト教を肌で感じることはあまりなかった。高校の時にクリスチャンの友人が一人いたが、彼がクリスチャンだと強く意識することもなかった。僕のようにキリスト教とは無縁で入学する学生もかなり多かった。
そのような学生が多かった理由の一つとして、同志社大学神学部では一神教研究に重きを置いていたことが挙げられる。宗教的には様々な議論があるにせよ、ユダヤ教、キリスト教、イスラームは皆、一神教という括りで捉えられることが一般的である。同志社大学神学部ではこの一神教を学際的に研究しようという試みがなされていたため、キリスト教を専門にする教員だけでなく、ユダヤ教、イスラームを専門にする教員もいた。つまりキリスト教には興味はないが、ユダヤ教、イスラームには関心がある学生も一定数いたのだ。ただユダヤ教に関しては旧約聖書との関連からキリスト教との繋がりも深く、ユダヤ教に関心はあるがキリスト教に関心はないという学生はあまり見たことはなかった。しかしイスラームに関心はあるが、キリスト教にはあまり関心がないという学生は一定数いたように思える。もちろんこれは僕の見た範囲の話であって、実際には違ったかもしれないが。だから神学部に入学してくる人間というのは皆が皆クリスチャンではないのだ。
僕自身は特にこれといって興味が定まっていなかった。佐藤優氏の『同志社大学神学部』を読んで勢いで来てしまったのだから。大学に入ったら大好きな本を乱読するぞ!という決意は固かったが、聖書を研究しようとか組織進学を研究しようとか、そんな決意は全く持っていなかった。ただ、『同志社大学神学部』の引力に惹かれて北海道からはるばる京都までやって来たのだ。兄の友人が実家に忘れて行った聖書を携えて京都までやって来たのだ(決して盗んだつもりはない、神に誓って)。
こうして僕は入学式の次の日、神学館のチャペルで当時の学部長の挨拶を聞いていた。冒頭のセリフは学部長が発したものだが、ここで僕は初めて「礼拝」というものを経験した。この礼拝に戸惑っている学生に向けられたのが学部長の冒頭のセリフだった。礼拝を経験したことのない僕ももちろん戸惑っており、〇〇記の〇〇章〇節を開いてください、と言われてもどこを開けば良いのかさっぱりわからなかった。その時、近くの学部生の先輩か院生だったか忘れたが、優しくどのページを開けば良いのかを教えてくれた。僕はこれが恥ずかしくて恥ずかしくて堪らなかった。この時、衝動的に大学を辞めたいと思ってしまった。だが、その気持ちにはっきり気づいてはいなかったし、仮に気づいていたとしてもいちいちそんな感情に取り合わなかっただろうと思う。この感情が徐々に醸成されていくとも知らずに。何はともあれ、初めての京都での一人暮らしに僕は胸を躍らせていた。