2:フィクションノンフィクション 一歩また終わりに近づいていく
悩みの殆どは人間関係に起因すると、何かの本かネットの記事かで読んだことがある。全くその通りだ。家で一日パジャマで過ごす休日は、なんて心安らかなことか。誰にも干渉されず、自由に寝て食べて過ごす。ずっとそんな生活を続けることが出来るなら、どんな努力も厭わないのに。
妄想は幸せだが現実は待ったなしで、今日も埼京線の中でぎゅうぎゅうになっている。乗り換えまで、あと4駅。この時間はなぜか音楽を聴く気にも、スマホを見る気にもならない。目的地に着くのを、静かに待っていた。
子供の頃、満員電車に乗る人達は皆会社員だと思っていた。疲れた大人達をせっせと運ぶ乗り物。スーツの一員になりたくなくて、今の仕事を志したが、満員電車にはしっかり乗ることになっていた。今なら当たり前に分かるが、乗客には様々な背景がある。特に意外だったのは、学生が多いこと。私立の小学校なのだろう、品の良い鞄を背負った小さい子も乗ってくる。この子にとってはそれが普通なのだろうが、都会と地方ではこうも違うのか。この子は、グループに分かれて6年生に先導されながら通学路を歩くことは無いのだろう。今やもう地方でもそのような通学はしていないのだろうか。
思いを馳せているうちに、目的の駅に着いた。電車は大勢の人を降ろし、それを上回る程の人をまた乗せていく。スーツの会社員集団の中で、チノパンにポロシャツの自分の出で立ちはやや浮いているだろうが、医師である自分も会社員と殆ど変わらないのだ。
今日は普段よりも気疲れした一日だった。外来に患者の母親がやってきて、治療に納得出来ない、カルテを見せろと喚き散らした。あなたは私が素人と思って舐めているんでしょう、こんな若い医者は信頼出来ないと思っていた、こちらにも考えがありますから、出る所に出ますからね、と。
こういうことはハズレ入りのくじ引きのようなもので、医者をやっていれば時折当たってしまう。医師になって8年の自分でも、初めての経験ではないのだ。そこそこ中堅になってきたのだが、若く見られるのは自分のせいではない。そして若くても中堅でもベテランでも、一方的にまくし立てられ責められるのは辛いのだ。今日の患者の母親は、病院内でも有名なクレーマーだった。自分に出来ることはひとつ。彼女の怒りの感情がてっぺんからやや落ち着いてくるまで、じっと地蔵のように耐えた。
医者だからといって威張り散らしている人は、自分が知る限りごく一部の人で、特に年配の人ばかりだ。自分やより若い医師は皆、気を遣いながら馬車馬のように働いている。いい関連病院に派遣されるように教授や医局長の顔色を伺い、収入のため月に5回は下らない当直や山奥の病院へのバイトに耐え、カンファレンスで恥をかかないように論文を読み、休日も院内ピッチを手放さない。
全く割に合わないと思う。人の生命に関わっている、崇高な倫理観を持っていたのは医学部に合格した時がピークで、今や跡形もない。生きていくには充分な収入はあるが、時給で換算したらコンビニ店員よりも安いはずだ。ほぼ思考停止状態で日々責務をこなし続けるだけの毎日は、ブラック企業と変わらないのではないか。
帰りの電車で、鬱々とした気持ちを変えたくて、久しぶりに昔好きだったアーティストの曲を聞いた。学生の頃、勉強で行き詰った時、何度も自分を奮い立たせた歌詞が、今はもう夢物語のように思えた。昔の思い出が濁る気がして、そっと停止ボタンを押した。