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豊臣秀吉の兵糧攻めと栄養の関係

兵糧攻めとは、城への食糧輸送ルートを断ち、備蓄された食糧が尽きるまで包囲して相手の降伏を待つ方法です。

豊臣秀吉は、この戦術が得意だったといわれていて、
秀吉の三大城攻めと呼ばれる攻城戦が
高松の水攻め(備中高松城の戦い)」
「三木の干殺し(播磨の三木合戦)」
「鳥取の飢え殺し(かつえごろし / 渇え殺しとも)」 です

秀吉が行った攻城戦の中でも鳥取城の兵糧攻めは、他の攻城戦を上回る苛烈な攻め方をしたと言われています。

兵糧攻めを受けた鳥取城の城内は過酷な状況になり、地獄絵図と化したと言われるほどの記録が残っています。
(詳しく書かれたサイトがありましたので、以下にご紹介させていただきます。ご興味ありましたら、以下のサイトをご覧ください。)

【地獄絵図と化した籠城戦:鳥取の飢え殺し】豊臣秀吉の城攻めの概要 | 歴人マガジン


では、この兵糧攻めと栄養が、どう関係するのか?

鳥取城が降伏し開城したところで、秀吉側は鳥取城内にいた空腹極まった兵士達に食料(粥)を振舞ったそうです。
すると・・・

あまりの空腹状態だった人々は勢いに任せて出された食料をどんどん食していったのですが、勢いに任せて食べていた人々が次々に死んでいったそうで
記録では生存者の過半数もの人々が命を落としたとされています。


なぜこのような状況になったのか?

秀吉側が食料に毒を盛っていた訳ではありません。
これは、極度の飢餓状態から過度の栄養摂取によっておこるショック死(リフィーディング症候群)だと考えられています。
現代の医学では、長期間で低栄養にさらされた人に急激に栄養補給を行うと代謝性の合併症である『リフィーディング症候群』が起こったとされています。

飢餓状態が長く続いた後に急激に栄養補給すると心不全・呼吸不全・腎不全・肝機能障害など多彩な症状が現れる事があるのだそうです。

鳥取城の戦いについて、鳥取県立博物館と東京都立多摩総合医療センターの医師らとの共同研究で『リフィーディング症候群』の可能性が高いと発表されたという旨の新聞記事を見つけましたので、以下にご紹介させていただきますね。

秀吉が振舞ったかゆで突然死「リフィーディング症候群」か…1581年の鳥取城兵糧攻め : 読売新聞

ここで、今日の本題。


本日、兵糧攻めと栄養の関係でお伝えしたい事というのは、

普段、きちんと食事を摂っていて、ちょっと栄養素が不足している状態では食べ過ぎたからと言って死に至る・・・なんていう事はありませんが、

栄養素が不足している状態のところで、不足している栄養素を急に取り入れると、ダルさが出たり体調が悪くなったり、下痢や蕁麻疹などが起こる事があるという事です。

具体的には、
極度な貧血状態で急にいつも以上の鉄分を摂ったりすると起こる事があります。
タンパク質不足も同様です。

自分の体内の栄養素が「兵糧攻めのような状態かもしれない」と思い当たる場合や、
結構な貧血度合だからと言って、急に鉄剤やサプリ等で鉄分をたくさん摂ると不調が出る場合があります。

こういった場合は、急激に不足分を補わずに段階を踏んで栄養素を摂っていく必要があります。


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たなからぼたもち
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