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子どもの学びの多様性②ICT学習の是非2
昨日はICT教育の是を書いた。今日は非。
きっかけはいわゆる「普通の子」のママ友とランチして喋っていたときの話。
たわいなく「うちの子は不登校でさ~」「うちなんか勉強全然できないのよ」「で、知ってる?○○くんと××ちゃんが付き合っていたらしくて」「へ~」とかただの、まあ罪のない近況報告。
育児サークル時代は本当にどんぐりの背比べで、大して違いがなかった子たちが中学生になると、それぞれに個性が出てくる。本当に色々。
勉強が得意じゃない、とか、
うちの子みたいに繊細すぎて学校がしんどい、とか、
部活にはまってる、とか。
私は多分、色々な人の話を聞くのが好きなのだ。「そんな話があるんだ」「勉強になったわ」と思うことが好き。究極の目標は「視点、枠組みをとにかく大きくして、多次元で世界を認識すること」なかなかだ。まだまだ修行中。多分、生涯かけての道。
さて、
勉強の話になったとき、小学校の先生の話になった。
「で、うちの子、○○先生のときは全然算数が身についてなくてさ。」
「え?そうなの?それはどうして?」
うちの娘(ASD,ギフテッド)は先生の教え方によって理解力が左右される、なんてことは全然ないので、すごく興味深く聞いた。2人のママ友が言うには、
○○先生はICTを使いこなしていて、授業も全部モニターに映して、手元のタブレットで回答を答えさせたりして、授業の体裁としてはすごく出来上がっていて、「おお、素晴らしい」「これが新しい時代の学びか」と大人が見たら感心する内容だったのだけど、うちの子は全然知識としては定着していなかった、どうもわかった気になっていただけらしい、
ということだった。
「やっぱりICTの学習は記憶の定着に難があるのよ」
「それニュースでやっていたし、ICT教育じゃないスタイルに戻っていくんじゃない?」
という話。私はそのニュースを知らなかったので、ChatGPTに聞いてみたら、確かにそういう潮流があるらしい。
うちの娘に関して言ったら、その2人のママ友がいう「よくないICT教育」がハマるのだ。むしろそういう授業がいい、わかりやすい、と言うだろう。
その要因の心当たりは彼女はASDなので「視覚情報優位」なこと。でも大半の子どもはそうじゃない。ICTを利用した授業だと記憶の定着率が悪いらしい。定着せずに流れてしまう。
これはなんだろう、とずっと考えている。
確かに、私は電子書籍が苦手だ。
kindleの方が本が安いな~と思いながら、紙の書籍が好きなのだ。kindleは頭にうまく入ってこない、と気づいたのだ。最近はどうも本を読むスピードが落ちてきて10分の1くらいしか読めなくなったのだが、基本的に本が好きなので、積読がたくさんある。全部読みたい。読み返すことも多い。
でも漫画は電子書籍がいい。紙の漫画がなんだかしんどくなって読めなくなった。なぜだかはわからない。あえて理由を考えてみれば、専門書は記憶を残したい勉強として読むものであり、漫画はその場限りのリラックスとして読むもので記憶にむしろ残ってほしくないから、くらいの理由かもしれない。
私一個人でも、ICTで読むことと、紙で読むことには違いがあるのだから、ほぼ全員がなんらかの認知過程における相違は生じるだろう。
では、昔ながらの紙の教科書に戻して、
鉛筆での書きに戻して、
としていくべきなのだろうか。わからない。
昨日書いたように、それだと学びの手法としてマッチしない子どもが一定数いるのだ。私はそういう子ども達の親と付き合ってきたので、紙の媒体、鉛筆を使った学びを軽視しがちな視野になっていた。
でも前から思っていた。
特別支援の子ども達はあくまでスペシャルニーズなのだ。特別支援の子ども達にマッチする学び方が全ての子ども達の学びの助けになるわけじゃない。むしろ普通に教えた方が定型発達の子どもにとってはいいことが多々ある、みたいなことはずっと思っていたけれど、現場の先生たちはどうもそういう風には思っていない(先進的な先生であっても)ことに気がついて、愕然としたことがある。
学びの多様性、最終章に続く。