モーツァルトのレクイエムを歌う 8
舞台袖にはけたあとはそのままそこで待機し、客席が空くのを待って、合唱団は客席に降りる。座って待っていると、西本マエストロが舞台上に戻り、お言葉をくださる。
「ゲネプロの時と同じ人たちですか?」と冗談で彼女はおっしゃったが、本番の出来はよかったようだ。もちろん私としても、西本さんの指揮による舞台に立てたことは嬉しかった。西本さんは、これをご縁にまたどこかでご一緒できたら、とリップサービス含みでおっしゃってくださったが、本当にそうありたい。
その後、各ソリストからもひとことずつ挨拶があり(お一人は、西本さんと共演できて嬉しかった、という私みたいな感想を語っておられた)、最後にお二人の合唱指揮者からのコメントをいただく。お二人からは、今後の活動への期待を寄せていただいた。
中でもお一人の合唱指揮者は、今回のプロジェクトでは、この地元における実力の、3割程度しか発揮していないと思う、とおっしゃっておられた。3割の力でこれだけの演奏ができるのだから、本当はもっと余力があるはずだというお話だった。そうだとすると嬉しい。
幸いにして、いらしてくださったお客様からも、好意的な感想を複数いただいた。聞いていただけてよかったのであれば、舞台に上がった側もそれに勝る喜びはない。
一つの本番が終わると、ほっとすると同時に寂しさも感じる。それでも普段、私は仕事をしているので、どこかの合唱団に所属して、定期的に歌おうという気持ちには、今はなかなかなれない。今回のような単発の合唱団のほうが、気楽でいいのだ。しかし、今まで何とか時間を作って参加しようとしてきた、毎週火曜日の練習がなくなるのかと思うと、すでにロスになっている。
そしてコロナ禍という経験を経て、合唱のできる日常というのは、当たり前ではないことも学んだ。音楽は不要不急ではない、と余裕がないと切り捨てられてしまいがちなのだ。
ひと息ついてまた参加したくなったら、そのうちまた、私はどこかの合唱団に参加することになるのだろう。次はオペラだろうか、それとも次こそヴェルディのレクイエムだろうか。
私が普段ホームグラウンドにしている劇場が、来年は二つとも改修工事に入ってしまうので、もしかしたら私にとって、長いお休みになってしまうかもしれないが、休んでいればそのうちまた歌いたい気持ちがわいてくるに違いない。
次のご縁はいつになるのだろうか。楽しみにその時を待ちたいものだ。
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