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日本の鉄造り〜八幡の物語り〜最終回

世界文化遺産『明治日本の産業革命〜製鉄・製鋼、造船、石炭産業〜』
これまで23資産で構成される中の鉄造りについてご紹介してきましたが、最終回の今回は修繕工場、旧鍛治工場、遠賀川水源地ポンプ室の施設をご紹介します。

北九州市八幡東区にある三つの遺産は、ボランティアガイドが眺望スペースで詳しく説明してくれます。

眺望スペースで見る大きな5つの写真。この修繕工場と遠賀川水源地ポンプ室の二つには「旧」という文字がありません。ということは、現在でもなお稼働中ということです。
修繕工場は本事務所が建てられた翌年、1900年にドイツのGHH社の鋼材と設計で建てられた日本最古の鉄骨造り建築物で、製鉄所で使用する機械類の修理や製作加工を行っています。
当初は長さ50m、その後5年後に20m、その3年後に20m、大正時代に入り更に50m増設され、現在は140mになっています。15tクレーンもいまだに稼働しています。
工場内のため見学はできません。

旧鍛治工場も修繕工場と同じ年に建てられたドイツのGHH社製鉄骨造りの建築物です。当時としては350t水圧プレスなどが設置されていました。当初は修繕工場北側にあったのですが、大正年間に本事務所の裏側の現在地に移設され、製品試験所としても使われていましたが、現在は当時の史料類およそ4万点位に及ぶ物が保管されていますが一般公開はされていません。
 工場が出来ていないのに何故この二つの施設が必要だったのか疑問を抱きませんか?
このことについては眺望スペースのガイドが説明してくれますので省きます。

第一期拡張に伴い大量の水が必要で、生産拡大の実現に向けて白羽の矢が当たったのが水が豊富な遠賀川でした。当時は蒸気ポンプ使用のため、石炭ボイラー8基、ポンプ4基が設置されていましたが、ポンプが電動ポンプに変えたため現在はボイラーの煙突が撤去され、ポンプ室のみが稼働中です。八幡からおよそ8km離れた中間市にあります。
因みに、鉄1tを生産するに必要な水の量はおよそ300〜400t使うそうです。
現在はその殆どは回収再利用されています。

1910年ロンドンで開催された日英博覧会で日本の鉄製品などを紹介して、日本も僅か半世紀で産業革命に成功したことをPRしました。
明治日本の産業革命〜製鉄・製鋼、造船、石炭産業〜が、北は釜石から南は鹿児島まで23の資産で世界文化遺産に認定されました。

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