ウチってなんかキモい。

「ウチってなんかキモい。」

唐突に語り出したのは私のクラスの佐藤である。

「なんか空気感がね、気持ち悪いんだよ。」

そういうと、佐藤はこちらを一瞥する。

なんだ、私にどうしろというのだ。そもそも佐藤とはクラスメイトという関係だけで特別仲がいいわけではない。挨拶を交わす程度の。いわゆるヨッ友、というやつだ。

そんな佐藤が用もないのにわざわざ私に話しかけるという状況は私にとって異常そのものだった。

しかし臆病な私はクラスメイトという一定の関係を崩すわけにもいかず、平然とした顔で応える。

「キモいって何が?」

佐藤は視線を私から教室の窓の方に向ける。私も釣られて佐藤の視線を追うと、グラウンドで野球部が練習をしていた。監督らしき人がノックをしている。なんだろう、ゴロの練習だろうか。

そんなことを思っていると佐藤がぽつりぽつりと話し出した。

「ウチはね、叔母さんと、5個上の兄ちゃんと俺で3人で生活してるんだけど。」

「家の中の空気感?がなんか、なんとも言えないヌェリッとした気持ち悪さがあるんだよ。」

「なんだよ、ヌェリッって」

すかさず私が話に割り込むと、佐藤は少し口角を上げたがすぐに顔を曇らせた。

「俺が気にしいなだけだと思うから、」

そういうと佐藤は視線をこちらに向けて

「悪いな、急に話しかけて」

と、いつものおちゃらけた笑顔を見せて教室から出ていった。

なんだったのだろうか。

今の一連の流れは私にとって怪奇現象と同等の異常さを持ち合わせていた。

いやむしろ怪奇現象やオカルトの類であってくれ。なんなら夢オチでもいい。

とにかく、私は底なしに明るいキャラクターである「佐藤」が「放課後に」「わざわざ」特段仲良いわけでもない「私に」話しかけてきたことが信じられないのである。

自分で言うのもなんだが、私は性格が明るい方ではない。かといって暗すぎるわけでもない。クラスでもなんとなく席に座ってなんとなく授業を受けて、なんとなくそこにいるだけである。

そんな曖昧な存在の私に佐藤は話しかけたのだ。

しかも、佐藤の表情から察するに楽しい話ではなさそうだ。悩み相談、というやつだろうか。

だとしたら尚更なぜ私に?

佐藤が教室を出て行ってから5分も経っていないのに私はぐるぐるぐるぐると思考し続けた。


  佐藤が教室を出て行ってから30分が経過した頃だろうか。
結局、自分が納得できる答えは見つからなかった。
わからないものは仕方ない。どんなに明るく振る舞っても所詮は人間だ。佐藤もそれなりに悩みを抱えているのだろう。その悩みを打ち明ける相手がたまたま私だったのだ。うん。そうだ。
曖昧な存在の私は道端の地蔵と同じ立ち位置なのだろう。悩みを打ち明けるにはちょうどいい、ってやつだ。

そう結論つけて私はようやく自分の席から立ち上がり、帰り支度をはじめる。

そこで私は気づいた。

あれ?佐藤は悩みを打ち明けていなくないか?

私が変なちゃちゃを入れたせいで、佐藤は話したかったことを話さずに終わってしまったではないか。

またぐるぐるぐると考えてしまう。

そんなこんなで、私が思考の渦に囚われていると遠くから足音が聞こえてきた。

「わり、忘れ物。」

ドアの方に目をやると、そこには走ってきたのだろう、ハアハアと息の上がった佐藤がいた。

「まだいたんだ。」

机の中をゴソゴソまさぐりながら佐藤はこちらを見てそう言った。

「家族と仲悪いの」

しまった。

思わず口にしたその言葉に佐藤は少し驚いた表情を浮かべて。
悲しそうに笑った。

「なに、聞いてくれるの?俺の話。」

そう言うや否や佐藤は机の中から手を抜き、こちらを振り返る。

おうよ、ここまできたらとことん聞いてやろうじゃないかお前の話。

決意を浮かべた私の表情を察してか、佐藤は一言悪いな、と言い、話し始めた。

「そうだな、これから話すのは俺の家の話だ。これは誰にも言ったことがないからクラスのみんなには内緒で頼む。」

私は首を縦に振る。

「さっきも言ったけど、ウチは3人で生活してて、俺と兄ちゃんで生活費と家賃を工面してるんだ。」

「両親は離婚、父親に引き取られたんだけど、その父親が病気で死んだ。」

「そんで、俺が中3の頃、父親の妹の叔母さんと生活するようになったんだ。」

「だけど、そこから地獄だった。」

「叔母さん、働いてなかったんだよ。」

「一緒に生活するまでは分かんなかったけど、あの人、仕事してなくて、生活費も俺の父親からの仕送りでやりくりしてたっぽくて。」

「働けって言っても聞く耳持たないし、一日中テレビ見て芸能関係のニュースとか炎上記事見て暴言吐くし、人一倍食べるからぶくぶく太って豚みたいだし、この前なんか俺のバイト代から勝手にアイドルのCD買うし」

佐藤の語りは止まらない。

「俺の話は聞かないくせに何故か兄ちゃんの話はちゃんと聞く姿勢で聞いてるし、口を開けばアイドルの話と悪口しか言わないし、働けとかそれはないんじゃないとか俺が言うと目に見えて不機嫌になるし、理不尽に不機嫌になって勝手に拗ねるし暴れるし」

とめどなく溢れた佐藤の感情はとどまることを知らないようだった。

「生活費も渡してるのに勝手に通販で買って、カードローンはリボだっていうからその分のお金も俺が出して、どうにかこうにかカードが使える状態を維持してるっていうのに、なのに」

そこまで言って佐藤は止まった。

「なのに、朝は玄関まで来て送り出してくれるし、洗濯物はキチンと畳んで置いておいてくれるし、俺が好きなメロンパンを買ってストックしておいてくれるし、」

佐藤が顔を上げてこちらを見据える。

「結局、やりたい放題してる叔母さんに対して強く言えねえ俺が1番気持ちわりいんだよ。」

そういって、力無く笑う佐藤にいつもの面影はなかった。

「カーストのトップってやつ?なんだかんだ逆らえねえんだよ、潜在的に。客観的に見たらそんな叔母さんから離れて生活した方がいいに決まってるのに、離れられねえ。離れて生活するために準備する気力も金もないからそれならいっそこのままの状態で、今まで通り俺と兄ちゃんが我慢すれば良いかなって。俺なんか、あと2年もすれば卒業してあの家を出れるからさ。」

「でも肚の中では憎んでて時々殺してやりたいって思うくらい嫌いなのに、表では叔母さんに対して気を遣って立ち回ってる。兄ちゃんと叔母さんが喧嘩してる所も見たくないし何より面倒くさいから双方に気を遣って話しかけたりしてる。テレビ見てふざけて笑いあって仲いい家族を演じているんだよ。」

「ほんとキモいよ。俺」

そこまで言って佐藤は、ふーっ、と息を吐いた。

「あー、スッキリした。」

「ありがとな、愚痴聞いてくれて。」

「なんか悪いな、あんま話したことないのに急にこんな重い話聞いてもらっちゃって。」

「てか冷静に考えて、自分語りした上に自分が悲劇のヒロインみたいに話しててマジでキモいな俺w」

「良かったらお礼に自販で奢るけど、何飲む?」

、佐藤が何か色々私に話しかけている。

それはわかる。

だが私はまたぐるぐるぐると思考を巡らせていて、笑顔の佐藤が話している言葉を理解する余裕はなかった。

危なかった。

佐藤は爆弾を抱えていたのだ。

それは佐藤本人が自覚するよりももっと巨大で爆発寸前の危うい爆弾が。
佐藤の目の奥は暗く、黒く、澱んでいた。

あの時、佐藤が忘れ物をしなかったら?
教室に戻って来なかったら?
私がすでに学校を出てしまっていたら?

どうなっていたのだろう。
こんなにも肥大化した爆弾を佐藤は私以外に打ち明けることができたのだろうか。

いや、やめよう。
これは考えても意味がない。
とにかく佐藤が爆発しなくてよかったではないか。これからのことは佐藤自身が決めることだ。私が干渉すべきではない。一介のクラスメイトが。

「じゃあモンエナ奢ってよ。」

「おいそれ1番高いやつじゃんかよ!お茶とかにしろよ!」

ツッコミを入れながらガハハと笑う佐藤に先ほどの憂いはなかった。

窓の外からカキーン、とスッキリとした音が聞こえてきた気がした。

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