代わりなんていない
今日カルディで豆乳を買った。
もちろんカルディらしく、街中のスーパーには置いていないタイプの豆乳である。
どうやら台湾産らしい。
いかにも特別感満載の体裁と濁りにまんまと魅了され、思わず2つ買い上げてしまった。
わたしは日頃なんとなくのルールとして、起床後など、お腹が究極に空いているとき、すぐにご飯を口にすることはせず、できるだけ豆乳+トマトジュースのカクテルを先に胃に流し込むようにしている。そうすれば、その後の食事でいくら脂っこいもの塩辛いものをがっついてもオールオッケーという、罪悪感軽減のためのわたしなりの対応策である。
そして、今まさにその機会がやってきた。手足の震えが生じるほどにお腹が空いている。こうなるともう仕事や勉強は手につかない。
ご飯の準備をしながら、今日買ってきたあの豆乳を手にした。お腹が減りすぎてご飯のことしか頭にないとはいえ、いつもとは異なる特別な豆乳に心躍らせ、ギンギンのアルミのシールをキャップの角でこじ開け、ストローを刺してぐっと喉の奥に吸い込んだ。
ああ、美味しくない!
そうだ、豆乳というもの自体、美味しくなかった!!!
わたしがトマトジュースと豆乳をカクテルしている理由もこれにあった。正直、トマトジュース単体も豆乳単体もあまり好きではない。だが一応混ぜれば互いの悪さを軽減できる。
もちろんどこまでいっても好きではないが、身体のさまざまな悩みが日頃の食生活とリンクしていることは百も承知であり、これらの飲み物が身体にいい作用を及ぼすことも同時に知っている。ゆえに強迫観念の結果、豆乳トマトジュースを毎日飲むに至っている。
そして、それが習慣化されすぎていたためか、豆乳が美味しくないということをすっかり忘れていたのである。おいおい、そんなことあるんか(Voice 女将さん)。
だが実はこの現象はじめてではない。
現在の「牛乳の代替物ブーム」のなか、幾度となく経験してきたものであった。
オーツ麦ミルク、アーモンドミルク、米ミルク、、、、
そしてこれらの「偽ミルク」は無添加の自然物に近ければ近いほど、美味しくない。
自然のものであればあるほど美味しくないと感じてしまう自身の味覚の鈍感さへ失望するとともに、すでに自分の中の「ミルク」の軸が牛乳にあることを思い知らされる。
「ミルク」の語源は知らない。インターネットですぐ検索すれば瞬時にわかる事柄であろうが、ここでは調べない。あくまでも自分の経験上の感覚で話を進めよう。
わたしにとって「ミルク」は牛乳であり白い液体である。
そしてコーヒーを飲むときわたしは昔から必ず「ミルク」を注いでいた。
しかし近年、上記の「偽ミルク」たちが「牛乳よりも健康的」「地球環境に優しい」といった前向きなプロモーションと共に世界で広がりを見せており、スーパーやカフェで目にする機会が確実に増えた。
そしてわたしも健康に気を使う身分。思わず気になる。そしてコーヒーを頼み、「牛乳にしますか?豆乳にいますか?オーツミルクにしますか?」と問われた途端、瞬時に「牛乳に近くて健康的なら絶対〇〇ミルク・○乳やろ」ときわめて安直な脳内変換がおこなわれ、きわめて軽い気持ちでこれらの「偽ミルク」を頼んでしまう。
言うまでもなく、飲めばそれは「ミルク入りのコーヒー」なんてものとは程遠い、完全に異なる味の「偽ミルク入りのコーヒー」なのである。
その度に先と同じ感情が全身から湧き上がる。
「ああ、美味しくない!」
豆乳もアーモンドミルクもオーツ麦ミルクも、決して「ミルク」ではない。
「乳液」と言う意味で「ミルク」だろ、とか、牛乳苦手な人にとってはこれらこそ真の「ミルク」だ、とか、そんなことわかっている。
でも言わせてほしい。
てめーら、どのミルクも牛乳の代わりになんかなりゃしないよ。
みんなして寄ってたかって、牛乳否定するような真似しないでくれよ。
そんな文句を呟きながら、わたしは今日も明日も明後日も、豆乳トマトジュースを飲み続けるのである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?