茶渋

山籠りの隙間に

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最近の記事

朝のコメダにて

今日は朝7時過ぎにコメダへ行った。久々のモーニング。 店に入れば「お好きなお席どうぞ〜」と店員さんの呼びかけ。 「お好き」と「お席」って噛んじゃいそうだな思いながら、二人席にウキウキ腰をかけた。もちろん一人。 カフェオレとモーニングセットを頼む。 ここだけの話、コメダは逆写真詐欺で好印象!みたいな近年のトレンド、全く納得いってないし素直に嫌いである。明らかに設定料金高いだろ。 モーニングは一見するとお得に感じるけど、やっぱり安くはないよな、と悶々としながら、メタクソ

    • 意見表明のための会話

      どうやら私は「人の会話を最後まで聞こうとする人」とうまく会話をすることができないようである。 他言語を学ぶなかで自分の言葉の紡ぎ方を省みて、それを日本語の会話に当てはめた時、私は断定回避癖、雰囲気任せ癖、話途中で相手の反応を求める癖があることがわかった。 これ、会話の半分以上を相手に委ねようとすることに意識が向いている分、正直なところ内容に頭が回らない。常にぼんやりしている。それゆえに、内容にあまり触れないように、相手にすべての回答を委ねようとする悪循環に陥ってしまう。

      • NASAKENASHI

        初めて会った仕事関係の人に対して、あまりにも稚拙な話しかできなかった。何かしらの助言を求めてるようであったけど、そもそも助言なんてする立場でもなく、何を言えば良いか全くわからず、結局中身のないグダグダの話を長々としてしまった。知的なんてほど遠い。ああ恥ずかしい。醜態晒し。 最後には雑談の内容が面白かったと言われる始末。本題に関われなくてごめんなさいすぎ。 写真は全く関係のないいつの日かのコメダ喫茶のモーニング。こうゆう時こそあのさくっふわの美味しいトーストと絶妙な甘さで整

        • セブンのカフェラテ

          セブンのカフェラテが好きである。 と言うより、ミルクの後にコーヒーが注がれるタイプのカフェが大好きである。 あの種のカフェの醍醐味、それはミルクとカフェが混ざっていない、最初期のあの状態である。 ミルク9割以上カフェ1割未満、あの一瞬の味がたまらなく好きである。 むろん、ひと吸いしてしまえばその割合は瞬時に変化してしまう。 その後はもうただのカフェ的飲み物でしかない。 あの一瞬を吸い上げるために、わたしはセブンのカフェラテを買う。 わたしにとって、カフェラテの価値

        朝のコメダにて

          代わりなんていない

          今日カルディで豆乳を買った。 もちろんカルディらしく、街中のスーパーには置いていないタイプの豆乳である。 どうやら台湾産らしい。 いかにも特別感満載の体裁と濁りにまんまと魅了され、思わず2つ買い上げてしまった。 わたしは日頃なんとなくのルールとして、起床後など、お腹が究極に空いているとき、すぐにご飯を口にすることはせず、できるだけ豆乳+トマトジュースのカクテルを先に胃に流し込むようにしている。そうすれば、その後の食事でいくら脂っこいもの塩辛いものをがっついてもオールオッケー

          代わりなんていない

          白いご飯と

          ご飯が大好きである。 ここでのご飯とは「白いご飯」「白い米」を指す。 よくTVのインタビューで「どうゆう時に日本人でよかったと思いますか?」という質問に「日本のお米を食べてる時ですかねぇ、、」と答える人をみかけるが、それは紛れもなくわたしである。 実際、これを聞くと「けっ、捻りのねぇ回答ッ!!」というのが正直なところであるが、回答者はそう思われてもいいと思えるほどに「白いご飯」を愛しているのであろう。わかる。わたしはお前で、お前はわたしだ。 さて、「白いご飯」の絶対的

          白いご飯と

          段ボールと責任

          今日マンションのゴミボックスから段ボールを回収した。 これだけではわたしがごみ収集に従事している人間であるのか、はたまたゴミボックスの中に段ボールを見つけては人目をはばからず回収する盗人であるのか、判断することができない。 正解はどちらでもない。 単に段ボールのごみ収集の日を1日遅れで間違えてしまっただけである。 「単に」とか「だけ」とか書いたが、こちとらそんな軽い事象とは受け取っていない。 ここ数週間、わたしは少しでも家の中を快適な空間にしようと、さまざまな収納グッ

          段ボールと責任

          鼻の骨へ

          わたしの鼻は真ん中までしか骨が通っていない。 ゆえに鼻先が丸くなっており、見方によっては団子鼻のようである。 なぜ骨が途中までしか伸びなかったのか自分なりに考えてみたが、おそらく小さい頃から思い切り鼻をほじっていたからであろう。指の圧力を柔軟に対処しようと、骨を先端まで伸ばさないよう、わたしがわたしに配慮してくれたのである。 おかげで今も鼻はほじりやすい。ありがとう。

          鼻の骨へ

          統一感の欠如

          昨日はじめてのnoteを投稿してから、さまざまな執筆ネタが頭の中を駆け巡り、どのネタから書いてやろうか、一日待たずして全ネタ投稿してやろうか、などと考えたが、結局一切のメモも取らず寝てしまい、朝起きた頃にはネタも文章も全て忘れてしまった。結局世に生み出されることのなかったネタを考えていたあの時間は無駄以外のなにものでもない。人生に無駄な時間なんてないと他人は言うけれど、いわゆる生存者バイアス的な要素をおおいに感じなくもない。無駄なものは無駄である。認めるところは認めていかない

          統一感の欠如

          羞恥心とともに

          数週間前に一度始めようと思い文章を記したが、なんてことない。飽き性な私は一日のあいだで瞬時に飽きて(忘れて)アカウント作成をおじゃんしてしまった。 しかし、たった今、地元の人気パン屋さんで買ったあんバターパンを食べながら「きのこたけのこ論争」の不毛さに思いを馳せ、これに対する私の見解を述べたい、述べなくては、ならない!!!という欲望に突如として掻き立てられたのである。 ということで、長年(?)の思いがようやくここに身を結び、我がnoteアカウントが設立された次第である。 う

          羞恥心とともに