透き通った師走の空に❄️
師走の空という言葉がなんだか好きで、12月になると師走の空だねえと思う。私が最初に感じた「師走の空」は、今から30年以上前の葛飾区の空だ。
その頃、営業の仕事をしていた私は、葛飾区のお客様に会社のカレンダーを届けた帰りだった。どんなお客様だったのかも、葛飾区の何処だったのかも、全く覚えていない。でも、それは「葛飾区」で、それは「師走」だった。そして、「師走の空はなんて綺麗なんだろう」と感嘆したのだった。冷たく青く、パキッとしてて、どこまでも透き通っていて、清々しいなあと思った。
大好きな寅さんの生まれ育った葛飾区で、空を見上げて、ああ師走なんだと思ったことが感慨深かったからなのか、その日がその年の仕事納めだったためなのか、何か嫌な出来事でもあった後だったのか、嬉しいことでもあったのか、そんなことは全て忘れた。だけど、師走になるとあの時の空を何故か鮮明に思い出す。そして、ああ今のこの空も師走の空なのだとしみじみ思う。
師走の空には、まあなんとか今年も頑張ってきましたよ、どうにかこうにか年が越せそうですよ、そんな気持ちが、映るのかもしれない。青くて、パキッと明るく透き通った空が、今年も頑張ったねえと優しく包んでくれている気がするのかもしれない。
今年も、予想もしないことばかりの一年だった。良いことも良くないことも、何一つ予想通りではなかった。まあ、自分は、よく当たる占い師でもなんでもないんだから、そんなのは当たり前だ。とは言え、何はともあれ、こうして無事でいられたわけだ。師走の空を見上げると、そのありがたみが沁みてくる。
でもきっと、この先、例えば、寅さん映画のラストのような凧が舞うお正月の空を見ても、満開の桜越しの4月の空を見ても、蝉の声の中で真夏の入道雲の空を見ても、ああ無事に今を生きてるなあと思うんだろう。それでいいんだな。あの日、葛飾区で師走の空を見た時に何を考えていたのかなんてどうでもいいんだ。ああ今のこの瞬間の空が綺麗だなあ、と思えたことが素晴らしいんだ。
昔、見に行った「男はつらいよ」で、人間は何のために生きてるのかな?と悩める若き満男に問われた寅さんが、ああ生まれてきてよかったなと思う時がなんべんかある、その時のために生きてるんじゃないか、みたいなことを言う場面があった。当時は、素敵なことを言うなあと思っただけだったけど、今は、とってもその意味がわかる気がする。
いい空だなと思える健やかな瞬間を重ねながら、来年も無事に過ごして行けるといいな。それだけでもう充分なんじゃないかと思う。🍎