生、透明、こたえあわせ

ずっと死にたいと思うような日々でした。
私という魂は、どこにもないようでした。
ただ、呪いのように染み込んだ「恵まれている」ということを握りしめて、私は無理矢理身体を起こしながら生きていました。
大好きだったはずの世界を大嫌いだと思いながら過ごしていました。色とりどりの世界を白黒のようだと思いながら見ていました。時より微笑みかける世界に涙をこぼしていました。
寄木を見つけては縋りついていました。
それがたとえどんなに脆くても、私にとって根が張っていればそれは神の寄木でした。
私は自分から向けられた方向でしか人を見ることができませんでした。それは自分に対しても同じでした。
人の考えていることがわからなくなっていました。全て自分との答え合わせになってしまっていました。
ふと気がつくと自分と他人の境目がなくなっていました。大人になっていく人々を見て、冷たいなと思っていました。子どものままの人々と、幻想的になっていました。
ある日気が付きました。他人からも私が見えているということ。誰かの心にも私がいること。
私が思っていること以外のことも誰かが何かを思っていて、つまり私に対しても他者は私が思っている以外のことを、違う捉え方で、違う角度からみていること。
私は全方向に矢印を向けているつもりでした。そうすれば自分と異なる人間についてもわかっているつもりでした。
私の思考や感情の矢印以外の矢印も感じているつもりでした。答え合わせをすればいいと思っていました。
私は全能ではありませんでした。
私は透明人間ではありませんでした。
すると、私は何にでもなれるような気がしたんです。
誰かの世界では私はヒーローかもしれない。憧れかもしれない。
答えがないのも、粋かもしれないです。

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