性的多様性の多様なこと

私自身、かつては性別って「男」と「女」しかないと思っていました。少なくとも、「割り当てられた性」は染色体で明確に決まるものだと思っていました。しかし、10年ほど前に医学の先生のお話を伺う機会があり、染色体はXX、XYだけでないこと。染色体がXXあるいはXYだとしても、ホルモンの関係でXXでも男性の身体的特徴をもっていたり、XYでも女性の身体的な特徴をもっていたりというケースがあることを知りました。「割り当てられた性」でさえ、非常に多様であるということを知り、それまで思っていた「性とは男女にわけられるもの」という考えが大きく揺らぎました。

今回のパリオリンピックのボクシング女子の競技で性別について議論になりましたが、そもそも性別自体もグラデーションである状況がある以上、「男」「女」の定義をどうするかによって、境界付近にいる人にとってはルールによってどっちになるかが揺らぐことになります。ルールが決まっている以上、ルールに従うということで良いはずなのですが、今回のように、ルール上問題がなくても、納得できないと思った人が、ルールやルールを決めたところに異論を述べるのではなく、当事者に誹謗中傷をぶつけるということが起きると、これは不要に当事者を傷つけてしまうことになると思います(問題を提起したいなら、ルールの改訂について議論すべきであって、当事者を傷つける必要はない)。ルールがあるものは、ルールによって有利にも不利にもなるので、何が公正なのかということについては、継続的に大いに議論することが大事だと思います。大事なのは、何をもって公正とするか。ということではないでしょうか。

性については現在、「割り当てられた性」、「性自認」、「性対象」、「表現する性」の少なくとも4つの視点があることが言われていますが、これがそれぞれグラデーションありますし、更にそれが時間とともに揺らいだりもします。知れば知るほど、事程左様に性とはは多様なものか、と、性の多様性を感じざるを得ません。そして、それぞれに、ルールの話、感情の話、事実関係の話などが整理されないまま議論されているように思います。何のために何の話をしているのか、そのためにはなにをどう整理する必要があるのか。これを明確にする必要があると思います。

これまでは性的多様性があることを認めてこなかった社会で、ルールが作られてきていること。性的多様性が現実としてあることがわかってきた中、社会的ルールはどうあるべきか。これを考えることが大事だろうと思います。

これは、性的多様性の話だけでなく、社会システムや情報システム、国際的な連関性の変化に既存のルールが適用できなくなっていて、それに合わせてどうあるべきかを考えていくこととも通じる話だと思います。そもそも、そういう社会(VUCA:Volatility(変動性)・Uncertainty(不確実性)・Complexity(複雑性)・Ambiguity(曖昧性)とも言われますが)でのルールのあり方とは。とか。

ある条件下で答えが出たとしても、その条件がどんどん変わっていくでしょうから、ずっと考え続けることがとても大事になってくると思います。。。

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