亡き人を想う 酒井抱一の紡ぐ文化ネットワーク
酒井抱一の《夏秋草図屏風》は 二曲一双の屏風絵である。
いずれも銀地に、右隻には 驟雨に打たれてしな垂れる夏草、左隻には強風にたなびく秋草が描かれている。
それぞれをよりつぶさに見てみると、右隻では、画面右上方には一筋の水流が描きこまれている。水流といっても子細に特徴を描きこまれた植物とは対照的に、あくまで意匠的に様式化された文様に近い描かれ方である。幾たびか蛇行し進む水の流れは、濃淡のない群青色に染め抜かれていて水紋もこれはまた退色してしまっているものの銀の線で描かれていたような気配である。薄の葉は画面右方にかけて伸びており、昼顔の 蔓が巻き付く。薄をはじめ夏草は画面下部で茂りつつも薄の葉が幾重にも円弧を描くようにうなだれて、昼顔も白百合もうなだれるごとく花弁を下に向ける。とりわけ白百合は 草叢のただ中にうずもれるように咲いている。
女郎花だけがすらりと直立しその花を左右に押し戴いている。
さて、左隻では、葛の蔓が強風によって画面左方へと向かって吹き流され、藤袴もあおられひくい丈をさらに低くもたげている。蔦紅葉は穂薄にまとわりその葉の赤が映え、数葉は風に飛ばされ画面中央を舞っている。
酒井抱一は百年ほどもの隔たりのある先人、 尾形光琳に私淑し、また光琳自身も同様に師弟関係にはない俵屋宗達に私淑し、今日で琳派と呼ばれるようになった画風を引き継いでいった。
本作は宗達作品を模した光琳作《風神雷神図屏風》の裏側に描かれた。風神の裏に秋草を、雷神の裏に夏草を配している。
抱一は光琳を顕彰すべく展覧会を開催し、『緒方流略印譜』や『光琳百図』といった出版事業にも力を入れた。
玉蟲(1994)は、俳諧における付け合いのように表の風神雷神に呼応させ裏絵を発想し、表の金地に対して古来追憶や死と結びついてきた銀地を配し、「尾花(薄)が下の思ひ草」という思慕の情を表す画題を描いたことで光琳に対する追善として描かれた意図を明らかにした。
私淑した先人、光琳やその先の宗達にはじまる系譜を継ぐ意思の表れであるかに見え、「琳派」という画派を象徴する作品と思われる。
一方で、天上を描いた表絵に対して地上を描いたこと、煌びやかな表絵に対して幽愁で繊細な裏絵を描いたことは先人の乗り越えへの試みであり、また渡辺南岳や伊藤若冲といった京都画壇の影響もうけつつ、自ら命名した「緒方流」にはない新しさを加えた。
その新しさの源流の一つには、彼を取り巻く俳諧を中心とした文人ネットワークの美意識もあっただろう。田中包二の残した図面から推し量られる彼の住処、雨華庵や交流のあった佐原鞠塢の造営した新梅屋敷といった文人たちが愛でた庭園と、この絵は地続きの空間でありその美意識の一つの結実であろうと思われる。
参考文献
玉蟲敏子『絵は語る13酒井抱一筆夏秋草図屏風』(平凡社、1994年)
玉蟲敏子『酒井抱一 大江戸に遊ぶ美の文人』(山川出版社、2018年)
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