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私の人生、人生の夏

noteさんの「夏の1コマ」という写真コンテストに参加していました。
8月に国立西洋美術館に出かけて自分の写真の下手さに驚愕し、これはちょっといかがなものか、1日最低1枚は撮って少しでいいから上手くなろうと思ったのです。

衝撃の下手下手写真が掲載されたのがこちら…⇩
額装されたものの撮影は特殊技術なのは理解しているのですが…とはいえ、もう少しなんとかなったはず。本当にごめんなさい。

そんなわけで日々練習…

時にはちょっと前の写真も…

台風の前も外に出て…

うーん、こうして振り返るといろいろアラが見えてきますが(^▽^;)。
とにかく頑張りました。

そんな私には、コンテストの裏テーマというか、自分だけの目標がありました。
それが
「私の人生、人生の夏」
というタイトルがつけられる写真を撮ろう。1枚でいいから、撮ろう。

夏になると思い出すこの曲に合った写真を撮りたい、そう思っていたのですが…
結果的には出来ませんでした。

9日にコンテストが締め切られたこともあり
「来年に持ち越しの課題だな…」
と思っていたのですが、昨日店でお皿を洗っていてふと思ったのです
「私にはもう『私の人生、人生の夏』という写真は撮れないかもね?」
誰かの『私の人生、人生の夏』は撮れるかもしれないけれど…そして四季は繰り返すものだけれど…私自身にまた正真正銘の夏と呼べる季節は来るのかしら?

8月に見た蔡明亮の「愛情萬歳」

この映画のラストシーンあたりが人生の夏なのかなあ…(観ていない方ごめんなさい。ネタバレになるから詳しくは書けませんが20代後半から30代前半くらいの女性が夢中で生きている姿は「夏」なのかな…と)。
改めて考えるまでもないけれど私は50代で、まだまだ葛藤も欲望もあるけれどでもどこか常に冷静な自分がいて、これからも挑戦は続けるけれど挑戦していることを俯瞰している自分もいる。

映画「愛情萬歳」を観たあとに、見上げた空

もしかしたらここからまた私にも夏が、可笑しくも愚かな夏が来ないとも限らないけれど、でもそれは「人生2度目の夏」で、少し趣(おもむき)がありすぎるかもしれないな…と思ってしまったり。

人生の夏が終わったのかも?
という感慨は意外とそれほど寂しくなく、あえて言葉にすれば
「そりゃそうですよね」
というあっさりとした感じで、考えてみたら50代になってはじめて気づくなんて図々しいし鈍感にもほどがあるのですが、40代は起業して夢中で働いていた10年だったので許してください…。

ただ何かの拍子に、10月とか2月とか、秋や冬に「私の人生、人生の夏」が撮れる可能性も無くはなく、自分の中の写真の裏テーマとしてそっと胸に潜ませておこうとは思っています。

四季というと思い出す名画
秋にも出会いはある

コンテストの参加は、思いがけない様々な気づきをもたらしてくれました。
写真を撮ると、自分のものの見方の癖がすごくよく分かります。
これからも機械オンチなりに下手なりに、楽しみつつ写真を撮っていこうと思います。

(おわり)

最後までお読み下さり、誠にありがとうございました。私のnoteはすべて無料です。サポートも嬉しいですが、「スキ」がとても励みになります(^▽^)/