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小林一茶の人生

「われと来て 遊べや親のない雀」

小林一茶の俳俳句の中でも
特に有名なものですが、
この俳句の裏にあるのは、
彼の子供時代の寂しさだと
云われています。
 
一茶は、八代将軍・吉宗が
亡くなったあと
信濃の裕福な農家の長男として
生まれました。

3歳の時に生みの母を亡くし、
8歳から継母に育てられます。

しかし、継母と父の間に
子供が生まれると、
子守を命じられ、赤ん坊が泣く度、
わざと泣かせたとして、
父や継母に杖で日に
百回くらい打たれたそうです。
 
「日に百度、月に八千度」。
そのときの様子を
日本の私小説のルーツといわれる
『父の終焉日記』という
本に一茶は綴っています。


長野県にある一茶記念館 信濃町観光協会HPより


 
そんな子供時代の経験が、
一茶の句作にお菊影響を
与えたとされ、
先程の「われと来て 遊べや親のない雀」が
生まれたとされます。
 
一茶が俳諧の世界に飛び込んだのは、
唯一、一茶の味方であった
祖母が亡くなり、
15歳で江戸に出されたときです。

江戸で一茶は俳諧の世界に目覚め、
30歳を前に俳諧の世界で
認められるようになります。
 
その後、故郷に帰りますが、
父は重い病に倒れ、最期を看取ることに…。

亡くなる前、父は
「財産を一茶と
弟たちで二分するように」と
遺言を残しますが、
継母と弟たちが一茶に財産を
分配することに反対し
長年に渡ってもめます。
 
和解に至ったのは一茶が50歳のとき。
和解後、初めて妻を娶りますが
生まれた4人の子どもは
全て夭折し、
しかも妻にも先立たれてしまいます。


小林一茶


 
3度目の結婚で再び子供を
授かります。
しかし火事で家を焼失したため
仮住まいしていた土蔵で、
持病の発作により一茶は
生まれてくる子供の顔を
見ることなく65歳いで
旅だったのでした。
 
辞世の句は
「盥から 盥へうつる ちんぷんかん」

生れて産湯に浸かって
死んだら湯灌…
人生はちんぷんかんぷん、
という意味です。
 
最後に小林一茶の名言を…

「他の富めるをうらやまず、
身の貧しきを嘆かず、
ただ慎むは貪欲、
恐るべきは奢り」

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