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はじまりは大航海時代
子供の頃、昆虫採集をした方も
多いことでしょう。
その昆虫採集のルーツとは
ヨーロッパの大航海時代とされます。
★トップページの写真は、福音館のかがくの本『昆虫 ちいさななかまたち』より
お借りしいます。
世界に出向いたヨーロッパの人々が、
珍しい昆虫を捕まえて
標本にした他、様々な動物や植物、
鉱物の標本を持ち帰ったのが
はじまりとされます。
これまでに見たこともない
姿や色をした昆虫や
花に魅せられた人々は
やがてこの地球上に
どんなモノがあるのかを
系統立てて調べようとします。
これが博物学の始まりとなります。
江戸の終わり、日本は国を
閉ざしていましたが、
ケンペル、ツュンベリー、シーボルトと
いった人物たちが、
日本の動植物の研究をしたのです。
ドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルは、
『日本誌』という
日本の社会、風俗、政治、歴史から
動植物に至るまでの
観察記述した本を記しています。
植物学者で医者でもあった
スゥェーデン人のツュンベリーは、
日本植物学界の父と呼ばれ、
「日本植物誌」という本を刊行,
日本の植物の学名をきめた人物です。
また、医学をはじめ、動物学、
植物学、民族学などを学んだ
ドイツのシーボルトは、
『ニッポン』『日本植物誌』
『日本動物誌』と言った本を
ドイツで出版しています。
彼らの影響を受け、
江戸時代中期以降は
日本でも博物学が盛んになり
その分野で活躍した人物の一人が、
武蔵石壽(むさし・せきじゅ)。
石壽は991種もの貝を
詳細に記した図鑑『目八譜(もくはちふ)』を
記した他、昆虫の標本も作りました。
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この標本は現在も
東大の農学部に保存されていて、
現存する日本最古の昆虫標本となります。
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昆虫採集が一般的になったのは、
戦前で、昆虫採集が
小学校(国民学校)の
夏休みの課題として
とり上げられて以降です。
しかし、最近、問題となっているのは、
採集とともに自然破壊にも
つながるケースが
増えていることです。
日本昆虫協会では、ゴミはかならず持ち帰る。
農地などに踏み込まない。
特にメスの採集には配慮する、
といったフィールド・マナーを設けています。