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ヘミングウェイと戦争

『いかに必要であろうと、
いかに正当化できたとしても
戦争が犯罪だということを
忘れてはいけない』

ヘミングウェイが残した言葉ですが、 
彼の人生から、
戦争は切っても切り離せません。

19歳の時に傷病兵を運ぶ車の
運転手としてヨーロッパ戦線に
向かい、
前線で兵士たちにお菓子を
配っている最中に
爆撃に遭い、
全身に200以上の爆弾の破片が
刺さる大ケガを負っています。

この経験は、後の彼の
代表作のひとつ
『武器よさらば』に生かされます。
 
またスペイン市民戦争では
ファシストに対抗する
人民戦線を助けるために、
戦争に関連する
ドキュメンタリー映画
『スペインの大地』を制作しています。

ヘミングウェイが
ナレーション原稿を自ら書き、
ナレーターはオーソン・ウェルズでした


この時の経験を生かして
書かれたのが
『誰がために鐘は鳴る』です。

第2次世界大戦の時には、
志願してカリブ海をパトロール、
ドイツのUボートを探したリ、
のちには新聞記者として
ノルマンディ上陸作戦を
取材し、軍に帯同して、
パリの解放などを目撃しています。
 
ヘミングウェイは、
1899年、シカゴ近郊の
オークパークで誕生。

多くの優れた作家やアーティストに
共通するのですが、
彼もまた母親の愛情に恵まれず
複雑な少年時代を過ごしています。

母親との確執から
母の葬儀をあえて欠席。

一方、父親とは仲が良く、
釣や釣りや狩猟、ボクシングなどを
教えてもらったことで、
のちの彼のライフ・スタイルの
象徴となるアウトドアの
基礎を身につけたとされます。
 

戦争終結後、ヘミングウェイは
キーウェストに移り住み、
ノーベル文学賞に輝いた
『老人と海』を執筆します。

『老司と海』(角川文庫)



受賞後、彼は二度の航空機事故に遭遇。
二度とも奇跡的に生還したのでずが、
重傷を負つたため
1954年のノーベル賞の授賞式を
欠席しています。
 
さらに事故以降、
これまでの売りであった
屈強な肉体や、行動的な性格を
取り戻すことは出来ず
事故の後遺症による
躁うつ病に悩まされたのでした。


そして61歳のとき、
父親からもらった猟銃で
自ら命を絶っています。
 


最後にヘミングウェイの名言を・・・

「人間の価値は、絶望的な敗北に
直面して、いかにふるまうかにかかっている」

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