スキゾフレニアワールド 第三十四話「文章」
有る雨の日の事だった。
私はお母さんの手に繋がれ、長靴と雨合羽を着て水溜りで遊んでいた。時々聞こえる雨蛙の鳴き声の在り処を探してはお母さんに注意をされて居た。お母さんの手は温かくて大きくて優しさに満ち溢れていた。私はお母さんの事が大好きだった。雨雲が空を覆って太陽さんは顔を出さないけど、例え悪天候でもお母さんの隣りに居て帰って行けばへっちゃらだった。私は幼稚園で聞いた好きな歌を鼻歌交じりで歌っていたら、陽気そうな姿を見てお母さんが言った。
「涼子、晩御飯は何が食べたい?」
「うーん。グラタン!」
お母さんは傘を指しながら「OK」と指を立てて答えた。私達は雨道を只上っていった。家に帰れば温かいストーブとぽかぽかの炬燵がある。見兼ねたお母さんがコーンスープを作ってくれた。私は嬉しかった。
幼稚園での私は引っ込み思案で中々友達も出来なかったけど、愉しい思い出はいっぱい有った。元々横領の良さと物を大事にする優しさが有った私は御遊戯会で主役の御姫様を演じた。其れが何より幼少期の成功体験として色濃く出ていた。私の他にも色々な役が有った。その演技は御伽噺の物語で絵本の様なストーリーだった。御姫様を慕う者、嫉妬する者、恋に落ちる者……幼稚園児略全員が役を演じた。その中に彼が居た。台詞は一言、「助けてくれ、死にたくない〜」。盗賊に殺された村人で舞台の幕が降りるまで死体の役を演じていた。それが輝だった。輝は子供の頃からひねくれていて皆からはゲゲゲの鬼太郎のキャラクターから「鼠男」と揶揄されていた。無愛想無鉄砲打切ら棒……悪い所を挙げれば切りが無かった。同じ幼稚園で過ごした記憶は無きにしも非ずだったが、お互いが関わった事は無いと言っても過言でも無い。親同士の交流も顔見知り程度以下で会話も儘ならなかった。幼少期の思い出も此れと言って無く、小中学校も違うクラスで有った。急接近したのは高校一年生からで在り私が持病を発病した当時だった。あの青空の下、屋上で一緒に昼休みを過ごした記憶が色濃く残っている。其れからと云う物の彼の独断と偏見のペースで此処まで来たが、後悔など一度もした事は無い。そう断言出来る。此れからの生活も保証は出来ないけど彼と一緒に生きて行くと心に誓って強い意思が持てた。輝には本当に感謝している。私は退院後、給料で買った日記帳にそんな文章を書いて一日の幕を閉じた。