note のある半年 ~改めまして自己紹介&ざっくりサイトマップ
2024年1月始めからこのnoteをスタートし、間もなく半年を迎えようとしています。きっかけは1本目の記事でも触れましたが、自身で運営しているカットソーのECショップPRのためでした。
上記事内容と少々重複しますが、これまで私はプライベートでSNSを全く活用していませんでした。でも、今、商売をするなら必須よ!と、自他共に強く認識。それで昨年よりエッチラオッチラいじり始めていたのです。が、どうも使えない。いえ、デジタルが苦手というわけではないんですよ。でも、InstagramやX辺りではとりあえず投稿してみるものの、ナニコレ?状態・・お恥ずかしながら。
年齢のせい?
どういうことかしら?
ちっとも面白くないじゃないの・・。
そこへ、「書くといいよ」と人から勧められたこのnote。名前は知っていましたが「ブログでしょ?」と思っていました。
実は、私は自我が強いわりに、それを顕示しようとする気持ちは弱く、SNSにまつわる話題に触れるたび、「そんなにプライベートの話題や画を露出するのが楽しいのかな?」と思ったのが正直なところでした。
しかしながら、個人で物を作って売ろうというなら、アピールしないわけにはいきません。更に、よく言うじゃないですか・・モノを売るんじゃなく己という人間を売るんだ それが商売だ・・・というようなこと。
これはごもっとも。
結論からいうとnoteは私にとって救いの手でした。
そして楽しい。
相性がいいと感じています。
ちょっとだけ長くなりそうです。最後までお付き合い頂けたら嬉しすぎます。読了の際は良し悪し関係なく、どうか<読んだよ>シグナルとして<❤>に足跡残してくださいね。それではよろしくお願いします。
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私は・・・
家族と私
高齢の実母と夫、私の三人家族です。昨年の終わり、14年10ヶ月、共に暮らした愛犬が居なくなってしまい、まだ空席が空席のままで寂しさが抜けないでいます。昨年までは我家は4つの命の集合体でした。
多分<完璧主義>の部類に属するんだと思います。それは、一般的な<完璧>からは少し乖離していて、あくまで私のイメージに忠実であろうとするという意味です。ですから人が見れば「これで完璧」という物事も、「いや、敢えてどこか欠けているのが私のイメージなのよ」ということから勇んで真逆な方向へ行くことも。
こだわりがちな一方で、何かに過度に執着することには抵抗感も。物や習慣、美意識、他諸々「であるべき」「ねばならない」的な高い意識、などに執着し過ぎて捕らわれたくはない。この矛盾が悩ましい。でも、やはり何においても色々あるのが自然であり、望ましいというのは世間のみならず私自身も本能的に感じていること。多様性に富んだ世界ではちょっと異端的な自分だって認知される、気持ちが楽、と思うのです。
そういった思考からすると家族の存在って貴重だなと思います。親密な関係ではあっても自分と異なる別人と一つ屋根の下、狭いマンションで暮らしていれば、私ごときのこだわりや執着、価値観ばかりでは立ち行きません。多様がいいと感じているにも関わらず、ついつい押し付けたり、強いたりするのが悩ましいところ。夫は歯ブラシ柄にハミガキを付けたまま、スニーカーの紐をほどかず脱ぎ履きするから傷みが早い、アルツハイマーの母はむやみやたらと私の名前を呼ぶ、会話が妙チキリン、夜中に「客布団がないのょぉ」と言って私を起こしに来る、故愛犬はたまにとんでもない所で粗相をする、そして私は「何とかならないかしら」と眉間のシワが深くなる、だから少し諦めて自分のこだわりを通そうとしなくなる、ひいては家庭内が緩んで丸みを帯び、私も家族も楽になる。
随所で小さな選択を迫られているとも考えられます。自分のこだわりを通す、即ちそれは相手である家族に強いる、強制するということ、それってバイオレンスかも? 強いられるのは自分がされて最もイヤなこと それを人に対してスル? それも大切な家族に向けて? だいたい家族にだってそれぞれに理想やイメージはあるはずなのに、一方的に通しちゃう?
一人暮らしだったら、私は私色一色な方向へ突進していたことでしょう。だって一人なんだから私への抵抗勢力がゼロなんですもの。こだわる程に許容量はチッチャくなり、リアリティに欠けた人間になっていたんじゃないでしょうか。
また、夫はたまに「大したモンダイじゃない」という言葉を口にします。そうかも…と思うときもあれば、と、と、と、とんでもない!重要なことょっ!と思うときも。この場合の着目すべきポイントは、一つの事象を前に「なーんにもモンダイない」とする夫と「モンダイである」と深刻に捉える私との価値観の大きなズレ。
一般に、パートナーに求める一つとして「価値観の一致」ということがよくいわれます。価値観が同じというのは、他人同士の二人が共存していくのにある意味便利で楽なことだと思います。そうであるに越したことはことはない。ただ、一概にそうでなければいけないということではないと思います。縁あってすれ違いざまに立ち止まり、向き合った二人。それまでは気が付かなかったこと、好きとは思わなかった色、興味のなかったことなど一人のときには見えていなかった景色、感受性や価値観が芽生えるのも二人で生きていく意味の一つになると思います。
疎遠になってしまった昔の女友達が、「この歳まで一人なんだから相手に妥協はしない」ということを言っていました。今頃はそんな気持ちも変わっているかもしれませんが、そのセリフの意味することに私は「なんか、ちょっと違うなぁ」と。 ここでまたまた余談・・・夫のよく言うセリフにもう一つ、「『ちょっと違う』の『ちょっと』は実は全然違うんだ」。これには私も「なるほど、たしかに」と即同意。 話を元に戻すと、バッグや靴、洋服や食べ物じゃないんだから、これから共に生きようとする相手に対し品定め的な選び方をするのは、ちょっと、いえ全然違うと思うのです。(それとも現代は、ダメだったらさっさと取り替えればいい、ということなのかなぁ…?)
お相手を選ぶ理由は十人十色。
一言でいえば(いきなり安易ですが)単にご縁なのだと思います。出会ったご縁。パートナーはこのご縁から始まります。
どんなご縁だったのかは、どうでも良いのです。ロマンティックな出会いか、ただの行きずりから始まったのか、どなたかの紹介やお見合いか、不純な動機から始まったのか、お金持ちだったからか、顔が好きだったからか・・・。ただ、そのご縁をきっかけにパートナーシップが始まったのであれば、その相手とどう歩んで行くのか、どう変わり合っていくのか、どう譲り合って行くのか、どう補い合って行くのか(いっぱいですね。すっきり現わせたらいいんですが…)が大切なのだと思います。そんな歩みの時間を慈しむとか愛し合うとか呼ぶんじゃないでしょうか。そんな歩みの時間を経ながら、少しずつパートナーに成って行くのだと思います。
そしてお互い、居心地が良ければハッピーですよね。
※あくまで夫婦orパートナーシップを組んだ<二人>のことです。そこまで到達していない恋愛関係はまた別物だと思っています。
ともあれ、人生色々、人間も色々。
色々あった方が毒も薄まり毒でなくなる。
家族は私を中和させてくれる、最も身近なダイバーシティ。
アリガトウ 私の家族❣️
正論が苦手
正論が苦手です。言われると「そんなことわかってるし、みんな知ってるよ」と思ってしまう。でも、つい口をついて出そうになるときがある。そんな時、即座にもう一人の私が「え~、それ言っちゃう?」と呟くから、言おうとする私にブレーキが掛かるのです。
それはひとえに自分がこれまで正しく生きて来たわけじゃない、と知っているからだと思います。おそらく、誰しも大なり小なり、正しさから外れた事象やそのときの認識と傷みはご経験なのではないでしょうか。
正論は文字通り正しい論理。皆が内側で認識していて、出来ればそうでありたいと望む理想でもあります。それ故、そこからどれくらい乖離しているかも認識できて苦しかったり、カモフラージュしたり、言い訳をしたり、逃げたりするのだと思います。
とはいえ、正論を前面に出し再認識が必要な場合もあります。特に公的なことに係る場面では。
それ以外のところで純度の薄い正論が表立つのを目撃すると「言ってる側は現在・過去・未来そんなに正しいのか」と懐疑的にならざるを得ません。
大人になれば、そうそう逃げてもいられないので、口に出して言う必要がある時の心得として、<わきまえる>ことと<言葉の選択>を心掛けます。
喃語に反応する
年齢という数値や見た目では十分すぎるほど大人なのですが、未だに、密かに喃語に反応し、言葉遣いにそれらしき言葉が何気に入ると自覚しています。そしてEテレの<おかあさんといっしょ>辺りの番組は今も好き。なかなか時間的に見ることは出来ませんが、いっときはアニメ<おじゃる丸>にハマっていたことも。ついでにアニメや漫画では他にフォスターズ・ホーム、デクスターズラボ、パタリロなんかが好きです。一見イージーなナンセンスモノがどうも刺さるみたいです。
物心ついた時分から変わらない何かが核に温存されている感じがします。性格ではなく、性質的なものか・・・。
昔、友人と小さい頃の写真を見せ合ってお喋りしていたことがありました。私の1、2才の写真を見て、その友人が「ヤダ、ちっちゃい頃と髪型変わってないのね~」と。
そういえばそうでした。
何気ない指摘はスルドカッタ。
変わってないのは髪型だけじゃない。
笑ってユルシテ
こだわるタイプだけどこだわり過ぎて固執するあり様を良いとは思えない、押し付けられるのは嫌いだけど気付けばそれに似たことを人に(家族に)しているかも、大人な年頃でもありそれなりのわきまえは有るはずだが恐ろしく稚拙なところがある・・・などなど整合性に欠ける箇所も多々あり、そのまま猛進したら人に不快を与え敬遠されかねないので、そんな私としては稚拙を極め常にどこかに<お茶目>感を持ち合わせることをモットーとしています。平たく言えば割と分かりやすいスキや欠陥を持つということです。(敢えて持とうとしなくても、そもそも欠陥多し)
「さっきから何言ってるんだよ」
「それ、間違ってるょ」
「オマエナンカお呼びじゃないよ」
そんな風に言いたければ言えちゃうような。もちろん私に対して。
そして言い過ぎちゃった私、間違っちゃった私、やり過ぎちゃった私を「笑ってユルシテ」と言えるように。
音楽
幼少期からピアノを、小学生の半ば頃から詩を書いていたことから、自然と音楽の道を目指すようになりました。
作詞・作曲・編曲・ピアノ演奏・ヴォーカルをやります。過去にインディペンデントレーベルからCDをリリース。約10年前、赤坂で行ったライブ以降、ブランクとなっています。
一般企業で仕事をした経験もありますが、夜の酒場掛け持ちでピアノ演奏をしたり、WEBライティングをしたり、直近では異色のパン屋さんでの仕事というのも経験しました。パン屋さんは本当に異色でした。パンは食べるのも焼くのも好きで、日頃朝食のパンは焼いています。しだいに業務用機器を使いたい気持ちが強くなり、探したのでした。異色も異色、初めての体験で記事にしないわけには行きませんでした。☟
表向きはブランクですが、そもそも自分のライフや自身の一部である音楽については常にアクティブ状態であると認識しています。ピアノも詩も生きている上でインプットされたことを自分というフィルターを通してアウトプットすることなので、ライフと切り離せるものではありません。
この辺の本音もちょっぴり織り交ぜた記事がこちらです。☟
とはいえ、かろうじてアクティブ状態を保つために、ピアノに関しては常に運指のためのHANONが手の届くところに置いてあります。今さら上手くなることなどさすがに考えませんが、自分のたった今の気持ちをやさしいフレーズに変換したり、自分の楽曲演奏くらいはクリアできるようにと。
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note サイトについて
瞬発力に欠ける私にはInstagramやXのようなSNSは向いていないかも。対してnoteはじっくり向き合えて、アップ後にも更新ができるので、私にとっては初めての相性がいいSNSでした。noteに軸足を置きショップや自身の発信を展開しています。
書いた記事は現在三つのマガジンに分けています。
Ⅰ ライフ
何気ない日々で感じたこと、考えたこと、経験したことなどなど、いわゆる随筆をまとめています。書いていて気付いたのは料理モノ、キッチンモノが結構多い。炊事を担当しているとどうしてもキッチンワークが多く、脱力しながら楽しく書くとなると自然とこの手の話題に行ってしまうよう。
どれも赤裸々で、<私>丸出し気味に。取り繕って記事を書けるほど器用ではないし、お面を被って書くことも、書かれた文章もつまらないと思うので、いい意味で開き直って書きたいことを書いています。
そうすることにより、意外にも改めて見える自分を認識することも。それも何だか<楽しい>の一部です。
ここに入る記事が最も多いので、いずれはまた細分化するなどの整理が必要になると思います。
Ⅱ 運営しているショップ【DeeDee】のこと
スリーブレスのカットソーを扱うECショップを運営しています。
販売しているのは何より自分が欲しかったアイテム。そもそもファッションに関する仕事をするとは考えてもいませんでした。しかし、あまりにもイメージする商品に出会えず、それもそんなに特別な洋服ではないし、いっそう自分で作ってしまおう、と考えたのがきっかけです。私のような、これを「欲しい」と思う人は多いんじゃないかと思ったので、小さな事業という形にしました。
洋服づくりは基本的に母から教わったもの。凝った時期があり、かつて随分と自分の洋服を作ったことがありました。原型をアレンジすることでいかようにも作ることができると教えてくれたのは母でした。
商品のPRや、洋服に関する話題、またこうした事業を進めて行く上で自身が大切にしていることや考え方なども表現していきます。
Ⅲ ECショップ開設までのプロセス
こちらにまとめたのは、タイトル通りネット上にショップを設置するまでの経緯を記録的に記しています。
各記事に都度書いていますが、私的には想定していなかったポイントで思った以上にやることがありました。何しろ一人ぼっちで全てやっている、いわばワンオペな上に初めてのことなので、何だか大変でした。そこのところを自分の為の記録として、また、これからネットショップを個人でやろうとお考えの方の参考になればと思い7本にまとめました。
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瞬発力がなく、決して器用でもなく、子供の頃から「遅い」と言われる人間でしたが、ようやく最近になって一ついい案が浮かびました。一瞬の判断や即答を求められると不適切な対応をしかねない自分。そもそも遅い、でもじっくり向き合えばそんなに悪い対応をするわけではない。ということで、どうせ遅いんだから<一旦持ち帰る>、いわば<短い保留>という策をとることにしています。
目新しい案ではないですが、一瞬「え!?」と動揺するような事象に直面しても、先で触れた夫のセリフではないですが「大したモンダイじゃない」的な思考に変わり、落ち着いて事を乗り越えられるようになっています。
現在、カットソーのショップ運営と主婦業で日中はほぼほぼ一人ぼっちの業務。以前は一人が好きでしたが、愛犬が居なくなってからというもの妙に一人が寂しくなりました。今までの一人は実は一人ではなく、愛犬が傍に居てくれる二人なのでした。喃語交じりの二人間(私と愛犬)でだけの話し言葉でよくお喋りをしました。未だに、一方的に話し掛けている(傍から見れば怪しい独り言)自分が時々可哀そうになる💦。
そんな一人の時間にnoteを書くことが慰めにも、楽しみにも、ストレス解消にもなっています。
ここまでお読み頂き有難うございます。
これからもどうぞよろしくお願いします。
https://deedee-t.com ☟