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幽霊探偵・伊田裕美と宵爪の壺

【古地図の発見】

冬の冷たい風が屋敷の庭を吹き抜け、枯れ葉が舞っていた。

茨城の名家、茶夫倉(ちゃぷくら)家。その当主である茶夫倉元雅(もとまさ)が静かに息を引き取ったのは、先週のことだった。代々続く家柄の主が世を去ると、屋敷には独特の寂寥感が漂うものだ。

元雅の死後、息子の茶夫倉圭一(けいいち)は葬儀を終え、屋敷の整理を始めた。古い書物や道具、先祖代々伝わる茶道具の数々。その中でも、彼が最も頭を悩ませていたのは、父が大切にしていた古い木箱だった。

「なんだ、これは……?」

埃をかぶった木箱を開けると、中から一枚の古地図が現れた。薄茶色に変色した紙には、手書きで精密な地形が描かれている。山や川、点在する建物の印があり、端には達筆な筆で「秘所」と書かれていた。

「秘所?」

圭一は地図をまじまじと見つめた。

この地図が示す場所はどこなのか。詳しく見てみると、どうやら現在の市街地の北側に位置する山間部らしい。しかし、圭一にはこの地図の価値がわからなかった。

「これ、もしかして宝の隠し場所とか?」

妹の美咲が後ろから覗き込んだ。家族の中でも探究心の強い彼女は、地図を手に取ると指でなぞった。

「おじいちゃんがこんなものを持っていたなんて、何かの謎がありそうね。でも、もし本当にお宝があるなら、もうとっくに見つかってるんじゃない?」

確かに、茶夫倉家は裕福であり、祖父が何か隠し財産を持っていたとは考えにくい。それに、この古地図自体が本物なのかもわからない。

「とりあえず、持っててもしょうがないし……」

圭一は悩んだ末、この古地図をネットオークションに出品することに決めた。数日後、オークションサイトに『江戸時代の古地図(秘所記載)』として出品すると、意外にも多くの入札が入った。

「こんなものに興味を持つ人がいるんだな……」

最終的に、片倉和人(かたくら かずと)と野田太鼓(のだ たいこ)の二人が競り合い、それぞれが高値で入札した。

彼らがどんな目的でこの地図を買ったのか、圭一は知る由もなかった。

しかし、この古地図が導く先には、彼の想像を遥かに超えた恐怖が待ち受けていた――。

【地図の秘密】

片倉和人と野田太鼓は、人気のない古びたアパートの一室で地図を広げていた。部屋の照明は薄暗く、埃っぽい空気が漂っている。

「なあ、これ、本当に宝の地図なんじゃねえか?」

野田が煙草をくわえながら、興奮気味に地図を指差した。片倉は細い目をさらに細め、ぼそぼそと呟く。

「そうだな……普通の古地図なら、こんなに競り上がらねえ。何かがあるはずだ。」

彼らはこそ泥として生計を立てており、盗みや詐欺には慣れていた。しかし、今回の古地図には、いつもと違う特別な匂いがした。

「ここ、『川の裏』って書いてあるんだが……何のことだ?」

野田が地図を指でなぞる。地図には、山間部の川の近くに「秘所」と記された場所があり、その横に「川の裏」とだけ書かれている。

「川の裏? 川の反対側ってことか?」

「いや、それなら普通、そう書くだろう……まさか……」

片倉はゴクリと唾を飲み込み、地図の周辺に描かれた地形をじっと見つめた。そして、はっと気づく。

「滝の裏だ!」

二人は顔を見合わせ、ニヤリと笑った。

「こりゃあ、一発当てられるかもしれねえな……」

片倉は地図を折りたたみ、慎重にポケットにしまった。彼らは今、何かとんでもないものに手を伸ばそうとしていることに気づいていなかった。

【壺の封印】

片倉と野田は、昼間の明るい陽射しの下、山奥へと足を踏み入れた。地図に示された滝の裏側には、ぽっかりと洞穴が口を開けている。

「ここだ……間違いねえ。」

二人は懐中電灯を頼りに洞穴へと入り、慎重に地面を掘り始めた。しばらくすると、鈍い音が響く。何かにスコップが当たったのだ。

「おい、出てきたぞ!」

野田が手を伸ばし、泥にまみれた古びた壺を引きずり出す。その瞬間、冷たい風が洞穴の中を駆け抜け、周囲の温度が一気に下がった。

「な、なんだ……?」

突然、壺が震え出し、ひび割れた口から黒い靄のようなものが溢れ出す。そして、それはゆらりと揺らめきながら人の形を取り、立ち上がった。

「お前たちか……我を解き放ったのは……」

その声は低く、重く響いた。だが、不思議なことに、片倉と野田の顔には恐怖ではなく、好奇の笑みが浮かんでいた。

「へへ……こいつ、何か力を持ってるんじゃねえか?」

霊は静かに頷く。

「我に願いを告げよ……。」

こうして、欲深い二人と、飢えた幽霊の契約が始まった。

【霊の暴走】

「金だ! 金だ!」

片倉は興奮しながら叫び、野田も満面の笑みを浮かべた。「現金が欲しい!」と願った瞬間、霊はふっと消えた。

そして、その直後――街のとある銀行に異変が起きた。

突如として現れた何者かが、銀行強盗に乗り移り、驚くほど手際よく現金を強奪。警備員や銀行員たちは何もできず、犯人はたちまち姿を消した。

翌日、片倉と野田のもとには、分厚い札束の詰まったバッグが置かれていた。

「すげえ……本当に持ってきた!」

だが、彼らは知る由もなかった。霊はただ願いを叶えたのではない。自らの飢えを満たすための「代償」を求めていたのだ。

霊のエネルギー源は、若い女の魂だった。

片倉と野田の富が増える一方で、街では奇妙な現象が発生し始める。若い女性たちが次々と倒れ、魂の抜けた抜け殻のような状態で発見された。

医師たちは原因不明の症状に頭を悩ませ、警察も手がかりを掴めずにいた。街には不気味な静寂が広がり、人々の間には漠然とした不安が広がっていく。

しかし、片倉と野田はそんな異変には気づかないまま、さらなる欲望に溺れていくのだった――。

【幽霊探偵の登場】

伊田裕美は、旅行ルポライターであり、同時に幽霊探偵でもある。黒く艶やかな髪はショートボブに整えられ、切れ長の瞳は冷静な知性を湛えていた。黒のシャツにフィットしたスーツを身にまとい、無駄のない動作からは自信と経験が感じられる。しかし、その瞳の奥には、過去に背負った孤独の影が見え隠れしていた。

彼女には、生まれつき霊を視る力があった。幼少期から人には見えないものを感じ取っていたが、それを話せば周囲から奇異の目で見られ、次第に孤立するようになった。さらに、かつて死にかけた経験があり、そのとき霊の世界を垣間見たことで、旅行ルポライターとして各地を巡る傍ら、霊が関与する事件の調査も行うようになった。

裕美はカフェの窓際に座り、コーヒーを飲みながら街の異変について考えていた。どこから手をつけるべきか、まだ手がかりはない。しかし、そのとき、外の歩行者天国で一人の若い女性が突然倒れ込んだ。

瞬間、裕美の目には、白い霊が彼女の身体から抜けていくのがはっきりと見えた。

「……やっぱり、霊が関与している」

裕美は静かに立ち上がり、動揺する群衆をかき分けながら、倒れた女性へと駆け寄った。

この霊の名は「宵爪(よいづめ)」。

夜になると彷徨い、若い女性の魂を喰らう存在。次の犠牲者が出る前に、裕美はこの事件の核心へと踏み込んでいく――。

【事件の関連性】

裕美は宵爪の正体を調べるうちに、街で多発する銀行強盗事件にも目を向け始めた。最初は無関係に思えたが、調査を進めるうちに、抜け殻のようになった若い女性たちと、短期間で発生した連続強盗事件には奇妙な共通点があることに気づく。

「まさか……?」

裕美は資料を広げ、最近の銀行強盗事件の発生場所と被害状況を確認した。犯行は極めて計画的で、警察ですら手がかりを掴めずにいる。そして、それらの事件が発生した場所の近くでは、必ずと言っていいほど若い女性が意識を失う事件が起きていた。

「同じ根源がある……?」

裕美の推理は確信へと変わりつつあった。宵爪は若い女性の魂を喰らう霊。そして、銀行強盗事件には、何者かの異常な影響力が働いている。もしも両者が結びついているとすれば……。

「金と魂……その二つを操る存在がいるのか?」

彼女の脳裏に、一つの恐るべき仮説が浮かび上がった。

【罠に落ちる探偵】

裕美の推理は、ついに核心に迫りつつあった。銀行強盗と若い女性の魂が抜かれる事件。その両方を繋ぐもの――それは、片倉と野田の存在だった。

彼女は慎重に彼らの足取りを追い、ついに古びた倉庫へとたどり着いた。倉庫の奥には、不自然なほど整然と積み上げられた札束の山と、埃をかぶった壺が鎮座していた。

「やはり、ここがすべての始まり……」

裕美は倉庫の陰に身を潜めながら、慎重に観察した。しかし、そのとき、背後から冷たい声が響く。

「探偵さんよ、ずいぶんと嗅ぎ回ってくれたじゃねえか」

気づく間もなく、鋭い衝撃が背中を打ち、意識が揺らいだ。倒れ込む裕美の前に現れたのは、片倉と野田だった。二人は不敵な笑みを浮かべながら、ゆっくりと歩み寄ってくる。

「てめえみたいな女に邪魔されるわけにはいかねえんだよ」

野田が屈み込み、裕美の顎を掴む。その目には金と欲望が渦巻いていた。

「でもな、いいことを思いついた。お前、あの霊のエサにするにはちょうどいいんじゃねえか?」

片倉が壺の蓋を開けると、中から冷たい風が渦巻き、闇が倉庫内に広がった。宵爪の影が、ぬるりと形を成し、嗤うように揺らめく。

「やめろ……!」

裕美は必死に体を動かそうとしたが、すでに縄で手足を縛られていた。宵爪の白い手が、ゆっくりと彼女に向かって伸びていく――。

絶体絶命の状況の中、裕美は霊視の力を駆使し、最後の希望を探ろうとしていた……。

【決着のとき】

裕美は幼い頃、一度死にかけたことがあった。そのとき霊の世界の境界に触れ、特別なエネルギーを宿すことになった。それ以来、彼女の魂には霊を浄化する力が秘められていた。そして今、それが宵爪を討つ決定的な鍵となる。

宵爪の手が裕美に触れた瞬間、彼女の視界が暗転した。

次の瞬間、彼女の魂は宵爪の体内へと引きずり込まれる。

「ふふ……ようやく、満たされる……」

しかし、異変が起きた。宵爪の体内で、裕美の魂が青白い光を放ち始めたのだ。

「な、何だ……!?」

電撃のような衝撃が霊の体内を駆け巡る。宵爪はもがき苦しみ、その形がぐにゃりと歪んだ。裕美の魂には、霊を内部から焼き尽くす力が宿っていたのだ。

「まさか……!」

片倉と野田が後ずさる。

その隙に、裕美の肉体がわずかに動いた。猿轡を噛み切り、懐に忍ばせていた小さな鏡を取り出す。

「これで……終わりよ!」

鏡が宵爪に向けられると、その表面に霊の歪んだ顔が映し出された。宵爪は自らの姿を見た瞬間、恐怖に満ちた表情を浮かべ、必死にもがいた。

「やめろ……!」

しかし、もう遅い。今まで宵爪が喰らってきた魂たちが、次々と光の粒となって解放されていく。霊の力が失われていくのを感じた片倉と野田は、慌てて逃げ出そうとした。

「待て!」

裕美は素早く立ち上がり、片倉と野田に鏡を向けた。鏡に映る彼らの背後には、解放された魂たちが無数に浮かんでいた。

「お前たちも、罪を償う時よ」

怨霊たちは片倉と野田を取り囲み、そのまま彼らの体を貪るようにして消えていった。男たちの悲鳴が倉庫に響き渡り、やがて静寂が戻る。

裕美は倒れ込みながらも、鏡をしっかりと握りしめていた。

「……終わったの?」

倉庫にはもう、邪悪な気配はなかった。宵爪は完全に消滅し、解放された魂たちは光となり、静かに夜空へと昇っていく。

裕美はゆっくりと立ち上がり、夜空を見上げた。

「もう、苦しまなくていい……」

こうして、長きにわたる悪夢は幕を閉じた。

しかし、まだやるべきことが残っていた。

裕美は最後の力を振り絞り、片倉と野田を睨みつけた。意識を取り戻した彼らが逃げ出そうとした瞬間、裕美は素早く動く。

「逃がすわけにはいかない!」

片倉の顔面に鋭いパンチを叩き込み、野田には強烈なキックを浴びせる。二人は悲鳴を上げて地面に倒れ込んだ。

手早く倉庫にあった縄を使い、二人をしっかりと縛り上げる。もがく彼らを尻目に、裕美は携帯を取り出し、警察に通報した。

「これで、おしまいね。」

数分後、警察が到着し、片倉と野田は逮捕された。

宵爪に喰われていた魂たちは、一斉に光の粒となり、それぞれの持ち主のもとへと戻っていく。倒れていた女性たちが、何事もなかったかのように息を吹き返し、ゆっくりと目を開けた。街には希望の光が戻ったのだった。

裕美は深く息を吸い込み、最後の力を振り絞って倉庫を後にした。

――夜空はどこまでも澄んでいた。

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