
残虐無道な獣鬼(じゅうき)
【ちょっとした事故】
秋田の山間に佇む温泉村は、連日の雷雨に見舞われていた。厚い雲が空を覆い尽くし、稲妻が山々を照らしながら、轟音とともに闇を引き裂く。激しい雨が地面を叩き、山の奥深くにひっそりと建つ古びた祠を無惨にも破壊した。
稲光の閃光の合間に、一瞬だけ闇の中に異様な影が浮かび上がる。雷鳴が轟いた瞬間、その影は祠の奥から這い出すように姿を現した。しかし、誰もその変化を目にする者はいなかった。
翌朝、天候が回復するとともに、山林の奥で異変が発覚する。一人の男が変わり果てた姿となって発見された。遺体は見るも無惨な状態で、全身には鋭い爪痕が深く刻まれ、骨まで露出するほどの惨状だった。まるで巨大な獣に引き裂かれたかのような光景に、発見者は言葉を失った。
「熊の仕業かもしれねぇ……」
地元の猟師たちは顔を見合わせながらつぶやいた。しかし、何かがおかしい。傷口の深さや角度、そして何よりも奇妙なことに、周囲には熊の足跡がまったく残っていなかった。
「おかしい……こんなに激しく襲われているのに、熊の気配がどこにもねぇ」
「それに、この傷の入り方、熊の爪とはちょっと違う気がする……」
猟師たちの間に不安が広がる。しかし、それはほんの始まりに過ぎなかった。
【第二の惨劇】
山間にある静かな村の中で、夜は特に闇が濃く、何かが潜んでいてもおかしくないような不気味な静寂が支配していた。林業を生業とする留吉は、その夜も普段通りに山仕事を終え、自宅へと戻る途中だった。
「今日はやけに静かだな……」
普段ならば夜の山道には虫の鳴き声や風に揺れる木々のざわめきが響いているはずなのに、その夜は何も聞こえなかった。まるで自然が息を潜めているかのような、不気味な静寂が広がっていた。留吉の心に不安が広がる。
「留吉か……」
突然、背後から聞き覚えのある声が響いた。驚いて振り返ると、そこには村長が立っていた。懐中電灯の光に照らされた村長の顔には、どこか異様な違和感があった。目がどこか冷たく、笑みは張り付いたように硬い。
「村長...? こんな夜更けにどうしたんです?」
留吉が問いかけるが、村長は答えずに一歩ずつ近づいてくる。その歩みは妙にぎこちなく、まるで別の存在がその体を操っているかのようだった。
「おい、村長? どうかしたのか?」
留吉は後ずさる。しかし、次の瞬間、村長の顔が歪み、目が爛々と赤く光った。口元が裂けるように開き、鋭い牙が覗く。そして、腕が異様に伸び、爪が獣のように長く鋭く変化していく。
「な...っ!」
留吉が悲鳴を上げる間もなく、獣鬼と化した村長が襲いかかる。鋭い爪が留吉の肩を深く抉り、鮮血が飛び散った。留吉は必死で村長を突き飛ばし、地面を転がりながら立ち上がる。
「なんだよ……これは……!」
目の前にいるのは確かに村長の姿だった。しかし、それはすでに人間ではなかった。留吉は足元の斧を掴み、恐怖と共に振りかざす。
「くそっ……!」
斧を振るうが、獣鬼はするりとかわし、再び鋭い爪を振り下ろす。留吉は間一髪で避けるものの、頬を浅く切られ、熱い痛みが走った。
「お前……村長じゃねぇな……!」
しかし、獣鬼は獰猛な笑みを浮かべるだけだった。人間の姿をしていながら、完全に異形の存在へと変貌していた。
「留吉……お前も、こちらへこい……」
その声には村長の面影があった。しかし、留吉は決してそれが村長ではないと確信していた。体が震える。逃げなければ殺される。しかし、恐怖で足がすくみ、思うように動かない。
その時、遠くから村の鐘の音が響いた。その音に反応するかのように、獣鬼の動きが一瞬止まる。
「今だ……!」
留吉は最後の力を振り絞り、斧を大きく振り下ろした。しかし、その刃が獣鬼の体に届く前に、獣鬼の鋭い爪が留吉の腹部を深々と貫いた。
「が...ぁ...」
苦痛に歪む留吉の顔。血が喉の奥から込み上げ、口元を赤く染める。彼の手から斧が落ち、地面に転がった。
獣鬼は留吉の体を乱暴に振り上げると、そのまま地面へと叩きつけた。鈍い音が響き、留吉の体は微動だにしなくなった。
獣鬼の目は冷たく光り、満足そうに口角を吊り上げる。村の鐘の音が虚しく響く中、留吉の生命は完全に絶たれた。
【幽霊探偵・伊田裕美】
旅行ルポライターの伊田裕美は、秋田県のとある温泉街を訪れていた。彼女はショートカットの黒髪を持ち、知的な印象を与える黒のスーツに身を包んでいた。端正な顔立ちと鋭い眼差しが特徴で、どこか探偵のような雰囲気を漂わせていた。この地の風情や歴史、そして名湯を紹介するための取材だったが、同時に長旅の疲れを癒す休養も兼ねていた。
宿泊先の老舗旅館「桜の湯」の女将・薫子は裕美と同年代で、気さくな人柄もあってすぐに打ち解けた。二人は温泉に浸かりながら世間話に花を咲かせた。
「最近、熊の被害が続いてるって聞いたけど、本当?」
裕美が尋ねると、薫子は湯気の向こうで少し渋い顔をした。
「ええ……でも妙なのよ。確かに遺体の傷跡は獣の仕業に見えるけれど、誰一人として熊を見た人はいないの」
「足跡とかは?」
「それが、ないのよ……。でも、猟師さんたちは『熊の仕業に違いない』って口を揃えて言うわ。村の者も皆、怖がっていてね」
裕美は首を傾げた。野生の熊が出るというのに、その痕跡が一切ないとは不可解だ。
「うーん……もし熊が出るなら、まともな取材もできないわね。危険すぎるし」
少し困ったように裕美がため息をついたその時だった。
突如、旅館の外から悲鳴が響いた。
「いやぁああああっ!」
湯船から飛び出し、浴衣を羽織ると裕美はすぐに悲鳴の聞こえた方へと駆けつけた。旅館の裏手、林の入口付近には人だかりができていた。
そこに横たわっていたのは、またしても無惨な姿をさらした遺体。身体は引き裂かれ、まるで巨大な獣の爪で切り刻まれたかのようだった。
しかし、裕美の目がとらえたものは、それ以上に衝撃的な事実だった。
(これは……熊の仕業じゃない!)
足跡がない。血の流れ方が不自然。何よりも、人間の意思を持つような巧妙な攻撃。
裕美の背筋がぞくりと震えた。これは、単なる獣の仕業ではない——。
第三の惨劇が、新たな謎を呼び込んでいた。
【裕美の捜査】
翌日から、裕美の調査が始まった。村役場、郷土資料館、そして村の長老たちを訪ね歩いたが、誰一人として件の怪異について知る者はいなかった。
「何か手がかりがあるはず……」
そう考えながらレンタカーを走らせ、村外れの道を進んでいると、ふと視界に入ったのは無惨に崩れ落ちた古びた祠だった。ふと視界に入ったのは、無惨に崩れ落ちた古びた祠だった。
裕美は車を停め、静かに車外へ降り立った。ゆっくりと歩を進め、慎重に祠の跡を見つめる。
「もしかして、これに関係があるかも……」
何かを感じた裕美は、そのまま宿へ戻ると、女将に祠について尋ねた。しかし、薫子女将も何も知らなかった。ただ、古い言い伝えについてなら、隣村の多聞寺にいる虚空和尚が詳しいかもしれないと教えてくれた。
裕美は早速、多聞寺へと向かうことにした。
多聞寺の門をくぐると、奥の堂に佇む虚空和尚の姿が見えた。彼は痩せてはいるが背筋がまっすぐに伸び、どこか威厳を感じさせる僧侶だった。
眉は白く短く、穏やかだが鋭い目つきをしている。その瞳には、長年の経験と知識が詰まっているような深みがあった。
「……なるほど。村外れの祠が壊れたとな?」
虚空和尚は深く頷き、静かに口を開いた——。
【獣鬼の正体】
裕美の捜査
翌日から、裕美の調査が始まった。村役場、郷土資料館、そして村の長老たちを訪ね歩いたが、誰一人として件の怪異について知る者はいなかった。
「何か手がかりがあるはず……」
そう考えながらレンタカーを走らせ、村外れの道を進んでいると、ふと視界に入ったのは無惨に崩れ落ちた古びた祠だった。
裕美は車を停め、静かに車外へ降り立った。ゆっくりと歩を進め、慎重に祠の跡を見つめる。
「もしかして、これに関係があるかも……」
何かを感じた裕美は、そのまま宿へ戻ると、女将に祠について尋ねた。しかし、薫子女将も何も知らなかった。ただ、古い言い伝えについてなら、隣村の多聞寺にいる虚空和尚が詳しいかもしれないと教えてくれた。
裕美は早速、多聞寺へと向かうことにした。
多聞寺の門をくぐると、奥の堂に佇む虚空和尚の姿が見えた。彼は痩せてはいるが背筋がまっすぐに伸び、どこか威厳を感じさせる僧侶だった。
眉は白く短く、穏やかだが鋭い目つきをしている。その瞳には、長年の経験と知識が詰まっているような深みがあった。
「……なるほど。村外れの祠が壊れたとな?」
虚空和尚は深く頷き、静かに口を開いた——。
【獣鬼の正体】
昔、この村に一人の男がいた。彼は熊の面をかぶり、子供たちや村人を驚かせるのを楽しんでいた。しかし、ある日、その面が何の前触れもなく彼の顔に貼りつき、外れなくなった。
混乱と恐怖に駆られた男は村を飛び出し、山林を彷徨い歩いた。飢えと絶望の中で獣のように唸りながら森をさまよっていた彼を、猟師たちは本物の獣と勘違いし、射殺してしまった。
猟師二人は自分たちの過ちに気づいたものの、罪を恐れ、男の遺体をひそかに山中に埋めた。だが、それで終わることはなかった。
その男の霊は、やがて凶悪な怨念を宿し、熊の姿をした異形の怪物へと変貌した。獣鬼となった男は、まず自らを射殺した猟師二人を襲った。それも、尋常ならざる残虐な方法で——。
恐怖に駆られた猟師の一人は、息絶える間際にすべてを語った。そして、村人たちが真実を知った頃には、獣鬼はその復讐の矛先を村全体へと向けていた。
この異形の存在を封じるため、当時の怪奇現象研究家でもあった先代の虚空阿闍梨が立ち上がった。彼は長年の修行と研究の末に、獣鬼の怨念を封じる術を編み出し、ついに村外れの祠へと封印した。
だが、数日前の雷雨によって、その祠は無惨にも破壊されてしまった——。
「封印が解けた今、獣鬼は再び村人に復讐を始めたのだ……」
虚空和尚の言葉に、裕美は背筋が凍るのを感じた。
【獣鬼の退治方法】
虚空阿闍梨が遺した退魔の武具——それが、獣鬼を退治する唯一の方法だった。
裕美は多聞寺の奥深くにある宝物庫へと案内された。古びた木箱の中から現れたのは、長年封じられていた一本の弓と三本の矢。弓は50cmほどの小型なもので、矢も同じくらいの短さだったが、その小ささとは裏腹に強大な力を秘めているように感じられた。弓は黒檀で作られ、矢の先端には特別な術式が施されていた。
「これは……?」
虚空和尚が説明する。
「かつて虚空阿闍梨がこの村を救うために作らせた弓と矢だ。この矢は、獣鬼の魂を封じる力を持っている。だが、矢を放つ者に迷いがあれば、その力は十分に発揮されない。」
裕美は弓を握りしめ、矢を手に取った。冷たい木の感触と鋭い矢先の輝きが、彼女の決意を固める。
「これが……獣鬼を倒す鍵なのね。」
「そうだ。だが、気をつけるのだ。獣鬼は変幻自在、おそらく最もお前が疑わぬ者の姿をとって現れるだろう。」
虚空和尚の言葉が、裕美の胸に重く響いた。次に獣鬼と相対するとき、それは誰の姿をしているのか——。
いよいよ戦いの幕が上がる。
【幽霊探偵対獣鬼】
裕美は矢を筒に納め、背中に背負い、手には弓をしっかりと握りしめながら山林へと足を踏み入れた。森の奥からは、風に揺れる木々のざわめきが微かに響く。
その時、山間の小道から和服姿の薫子女将が静かに降りてきた。
「裕美さん、こんな時間にどちらへ?」
「女将こそ、どこへ?」
女将は微笑みながら、ゆっくりと裕美に歩み寄る。その動きがどこか不自然だった。
「何?その格好……弓に、背中には矢が三本も……」
「……女将は、こんなに熊騒動があるのに平気なんですか?」
「ええ、近くで子猫の鳴き声がしたの。捨て猫かと思ったのだけれど……何もいなかったわ。」
裕美の背筋が凍った。女将——いや、この女将は何かがおかしい。
迷うことなく、矢をつがえ、弓を構えた。
「どうしたの?」
女将がさらに近づく。距離はもう2メートルもない。
次の瞬間——裕美はためらわずに矢を放った。
矢は一直線に飛び、女将の胸を貫いた。その瞬間、女将の姿は大きく歪み、黒い毛むくじゃらの獣鬼へと変貌した。
「ギャアアアアアッ!」獣鬼は苦しげにうめき声を上げ、その体を激しくよじらせた。
獣鬼は苦しげにうめき声を上げ、身をよじる。その姿は次第に薄れ、闇へと溶けるように消え去った。
裕美は静かに弓を下ろし、最後に呟く。
「……女将は、虫も動物も嫌いなのよ。」
こうして、獣鬼は討たれ、村に再び平穏が訪れた。もはや祠も必要なくなり、長く続いた恐怖の幕が閉じたのだった。
【エピローグ】
獣鬼との死闘を終えた翌日。裕美は温泉に浸かりながら、ゆったりと湯の温もりを楽しんでいた。
「本当に助かったわ。改めてお礼を言うわね。」
薫子女将はほっとした表情を浮かべ、隣で肩まで湯に浸かっていた。裕美も肩の力を抜き、久々に心から安堵のため息をつく。
「いやあ、こんな大変な取材になるとは思わなかったわ。」
湯上がりの裕美が浴衣を羽織り、涼みながら一息ついていると、スマートフォンが振動した。
「ん?」
画面を見ると、編集長の伝兵衛からの着信だった。
『お前、どれだけ滞在しているんだ! いつになったら原稿を送る気だ!?』
電話越しの怒鳴り声に、裕美は額に手を当てて苦笑する。
「天国から地獄ね……」
せっかくの安らぎの時間も束の間、次なる仕事が裕美を待ち構えていた。
次はどんな事件が待っているのか——幽霊探偵・伊田裕美の旅はまだ続く。