社会活動をする上での必要十分条件
まずは自分の幸せを
まずは自分が食べていかないと
まずは自分の生活を
将来設計を
そうやってただの人類が人類だと分類した1生命体の中身にそれぞれがそれぞれの分類方法で区切った境目の内側の質というものに重きを置いてきた結果
産まれた場所
今いる環境
たったのこれらが原因で、背景で、夢や目標や志や好奇心を抱いたその瞬間に、同時に諦めなければいけない、全く同じ人間が、人類として私たちが分類した人類が、全く同じ空のもと、全く同じイマという時間を過ごし、呼吸をし、生命活動をしている。
この様なことはただの周知の事実
ただ境目の外側にあったというそれだけのことで放置され続けてきたただの外側に生きる人間
時に可哀想だとレッテルを貼られて
場合によっては自己責任だと責められて
またある地域ではその状態を消費されて
行為者が行為者の満足、名誉、地位、金銭的成功、自己の倫理観の保持、甘すぎる論理のために支援・善意の名を冠して「影響」を与えることもある
それは外側にいる人間の一部を切って課題だとレッテルを貼り、場合によると怠惰な人間を増やし、地元のお店を潰し、急速な経済的発展とともに文化、生活のよりどころを破壊していくこともある
ここまでのことは全てもうとっくに繰り返され続けてきたただの周知の事実
一切定義した状態を定めない幸せや
いつどの様な状態でいたいかを定義しない自分の生活
食べていけているのにまるで食べていけていないかのように伝えるあり方
それらの上で踊っている間に
時間を過ごし
喜怒哀楽を繰り返し
寿命を迎える
そうしている間に放置されている外側の人間を放置したまま
まさか自分の生活、消費、仕事が影響を及ぼしているなどということは想像する必要もなく
安らかに眠っていく
それが個人としてみたときの人間生涯の幸せなのだと
私は思う
ただ私は私に個人としての価値を認めていない
論理的に直観的にも能力的にも
私にはその様な幸せな個人としての生き方を“選択“することができない
それは私の記憶の始まりから現在に至るまでの経験からも
ギリギリのところで論理的だと思える範囲での私の思考からしても
私は私性に価値を抱かない
期待をしない
だからこそ、道具としての身体と精神とを磨き、できることを増やし続け、外部環境が原因できない全く同じ人類が
少なくとも努力できないことによる絶望から自殺などせずに個人としての幸せを求め続けているその苦しくてつらくて嬉しくて楽しい時間を経過させて、寿命を迎えることができる
その様な状態に
地球上に生きているせめて人類というカテゴライズされた
唯一自分で自分の命を絶つ生物とまで表された人類が
その表現をされずに済む世界
そんな世界を私の目が黒いうちでなくてもいい
どこかのいつかの誰かが観ることができる
絶対的にそうだと
言い切ることができる世界が
私は欲しい
そのために私がやることは
外側も内側も創らずに、またその様な所与に見える境目を捨て続け、その上で状況に応じて
外部環境が原因で努力できないというその原因となっている要素を、背景をどうにか共に変更していくこと
それだけ
それだけで必要十分な人生
もしも共にその世界を観たいと、もしくは自分の子供に、後輩たちに、次の世代に見せたいのであれば、私の既知未知を問わず活動、支援、応援していただけたらと
私個人の唯一残した我儘としてお願いしたいと
そう思います
私という肉体・精神を通して共に活動していただける方にはぜひ、以下から支援していただけると幸いです。
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