言葉に責任の無いバカ こいつは本当に多い。自分の口で吐いた言葉すら守れずに生きていて何が楽しいのかとさえ思う。他人の約束云々の前に自分でやると言ったことを平気で辞められるような責任の無さが信じがたい。もしそれが他人と共にやることであればそれは損害でしかない。やると当然期待させているわけであって、それを裏切ることでまず精神的に損害を与える。その次にやらなかった時点からやらなかったと判明するまでの間に時間差があり、プロジェクトが止まるという具体的な損害も与えられる。邪魔したいの
アイツは死んだ。それは自殺だった。自殺という括り方に違和感を抱くこともあるが、絶望し生きたいなどと思えなくなり死にたくなり自らを殺した。よく死にたいは生きたいの裏返しだというヒトがいるのだが、私には到底そうは思えない。死にたいは死にたいでしかない。助けてほしいとも思わない。ただもしも誰かが何も押し付けることなく側にいて大変重たい話であっても聞いてくれるのであれば、手を握ってくれるのであれば、抱きしめてくれるのであれば、「この人を悲しませたくはないかもしれないな」という想い
この言葉の持つインパクトは大きい。 何よりも目の前の32歳の彼が彼自身の人生として語ってくれた。 彼の祖父母はインドの田舎の村で生まれ、育ち、その生涯を終えた。 その父は祖父母による教育機会提供と彼自身の圧倒的な努力を持ってその村で少しずつお金を貯めることができた。 そして彼の教育に全力を注いだ。 その結果彼は質の高い教育を受けることができ、彼自身の才能と努力もあってインド最高峰の大学、インド工科大学へと進学し、卒業後日系企業で就職をした。 そこでの努力、実績、人柄が認
小林君の自殺 2011年3月11日東京にいた僕はとても大きな揺れが起きた。 僕はそんなことはどうでもいいと思った。今まさに自殺しようとしていたのだから。 天井から吊るしたロープがほどけ、ココから出ていくための1歩を後押しするための台は簡単に倒れた。しばらくして揺れが止み、目の前には倒れた家具とロープと台とこれからの世界が広がっていた。生き延びてしまった。残念だ。 僕は高校の2年間を何とか休み休みしながらも時間を費やすことに成功し、なんとか最高学年まで進級することができそ
「乾杯!」 男三人と女三人はビールグラスを片手に乾杯をした。その日は見知った男三人と女二人に加え、女の一人が連れてきた新しい女がいた。彼女の名は清宮。下の名前は決して言いたがらないタイプだった。この手の女は大概いちいち拘りという名の思想を持っていて非常に面白い。 「初めまして。清宮です。」 「初めまして。」 初対面の男三人と女一人は誰が言うともなく言った。僕はその女に初めから何となく魅かれていた。決して容姿が好みという訳ではなく、ものすごく美人かというとそうでもないのだ
「僕」は自信がある。人生において「絶対」なんてものは無いのだから自分ぐらいは信じてやれよと思うと同時に、自信を無くす理由がない。何かうまくいかないとすべて努力不足に起因させるので、「僕」はダメだと思う直後に努力次第でどうにでもなるという感覚になる。そんな「僕」はいつも元気に見えるのでうらやましいと思う人も多く、よく「なんでそんなに自信があるんですか?」と聞かれ、「私は自信がないんですよー」と相談を受ける。そんな時に「僕」自身にするように「努力不足じゃない?」と言い放つことは心
2014年、東京大学を卒業した私は就職をせずにバックパッカーとして旅に出た。10年を経た今、当時の記録をここに残しておきたい。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 思うところあって特におもうところはない 生きることが辛いというごく普通の人間。皆と同じように辛いことから逃げ回ってきた。自分のために生きることから逃げて他人のためにがんばった大学受験。東大生とうまく馴染めずににげてにげて諦めた文部科学省。資本主義からにげてにげて諦めた就職活動。日本からもにげてにげて世界一周してし
貧困地域の人間は決してお前の自己実現のために今日お前と同じように息を吸って吐いてご飯を食べて働いて眠っているのではない。 個性尊重と行動の絶対視化 SDGsによる問題の単純化 少子化による若者への過剰な焦点 これらの事柄は”他人の課題を食い物、生きがいとして生きる人間を増やしている” そう思ってならない。 これまで様々な活動家がおり、経済的な8点があり、各種指標において貧困というものは絶対的に減ってきている。 それはおそらく多少統計にズレはあれども”正しい”のだろう
NPO法人を代表として運営し、現場で活動するものとして現場の課題解決の他にすべきこととして活動、支援の失敗事例を共有することが挙げられる。 それは必ずしも私の知った管轄外であれ、具体的な失敗事例を挙げることは今後活動をし、”課題を解決する”ために活動する人間全員にとって好ましい事例であり、当然被支援者いう同じ人間の方々にとっては是非とも共有しておいて欲しい事例であろう。 1違法居住地の建設支援 インドの大都市では建設ラッシュが続いており、違法で住んでいるスラムの立ち退きは日
「勉強したくてもできない子供たち」ってなんなのか 年度が変わる。 3つの法人を経営している身としはなかなか時間が現場の活動以外に食われるしょうもない次期だと思う。 箱なんて世界で1つでいいと心底思う。 絶対に実現することはないが、倫理と罪と罰が完全に機能していれば。 そんな私のくだらない時間の浪費とは関係がなく今日もまた外部環境が原因で努力できない人間が生きており、教育活動と女性の自立支援活動をしている。 勉強したくてもできない子供たちなんているのか? 勉強したくても
「いつまでインドなのか?」 6年目に入った今、日本人の方からはよくこの質問をいただく。 回答であり解答は「私が影響を与えなければいけないと考えており、私の価値を出せるところ」。 相手によって言葉の選び方は変えているが、私が場所を選ぶ基準は以下。 外部環境が原因で努力できない人がいる 私がその環境において想像可能な将来的な意味も含めて価値がある この2点。 どうように選択の際に気にしていないことは以下。 国“名”・地域“名“など人類が勝手に地球上に引いてきた線
手すりをつかみ、立ち上がり思った 「あぁ、なんて気持ちがよいんだろうか」 少し手を放して手すりから遠ざかった 「せっかくの運動神経だ。助走をつけて飛び越えたらどんなに気持ちがいいだろうか」 パタパタパタパタパタ ヒョンッ 「きれいに飛べる。もうどこにも向かわなくていいんだ」 あ、まだ遺書残してなかったな 飛び降りというのは嘘で、飛んだら重力で下に行くだけ 思い返してみれば友達と呼べるような関係の人間、即ち特に価値を与えることを考えることなく連絡をし合って
何度その様な時間が訪れても何とか明日を迎えられている状態の今を迎えられているということ 一番簡単に明日に向かえる方法は隣に誰かいる状態でいること ただそれはとても難しいこと そんな人がいるならそもそも死にたくも消えたくもならない じゃあどうするんだというんだ この期待が持てない人間社会での自分がたまたまにでも明日を迎えるためにできていたこと それは感情のままにいること 考えていることは「もう死んでもいい」ということだけ 後は感情のままに自分を放置している 結
端的に身近に一緒に居たい人、守りたい人、特定の個人存在がいることで 時間の使い方 居る場所の選択 お金の使い方 それらに影響する それが身近で大切であればあるほど それ以外の人とその人との間に差が埋まれる そうしてその選ばれなかった人のことを人間はいつのまにか存在自体を無視し、放置し、無関心に自然となっていく 裏を返せばその様な特定の個人が身近な存在になったその瞬間から 人のカテゴライズが始まり、考え行動することができない人という存在が埋まれる その様な時
まずは自分の幸せを まずは自分が食べていかないと まずは自分の生活を 将来設計を そうやってただの人類が人類だと分類した1生命体の中身にそれぞれがそれぞれの分類方法で区切った境目の内側の質というものに重きを置いてきた結果 産まれた場所 今いる環境 たったのこれらが原因で、背景で、夢や目標や志や好奇心を抱いたその瞬間に、同時に諦めなければいけない、全く同じ人間が、人類として私たちが分類した人類が、全く同じ空のもと、全く同じイマという時間を過ごし、呼吸をし、生命活動
ガイジンが活動する価値、事実として以下3つ 1いつかはNGO,NPOの様なことをやろうと思っていた人が実際に始めた 2全く関心が無かった人が私に寄付をしてくれた 3現場やNGO同士の間接的な協力の中間に入りやすい 1はスタートアップの経営者の方で、コロナを機に教育支援について話す機会を得た友人で、いつの間にかNGOを設立し、活動を初めていた。 「ガイジンであるお前が国を捨ててでもこのインドで活動してくれているのに俺はしていないことが恥ずかしく、いつかではなくてイマす