真実は何処に
こんばんは!
やっと戻って来られました!
最近新しい事始めたのですが、初めてやる事って覚えるの大変ですが、とても良い刺激になりますね!
日々勉強。せっかく生きているのですから色々挑戦してみて試行錯誤しながら成長していきたいなと私は思います。
もう少し更新頻度増やせるようにしたい!これが最近の私の望みです。
今回は『人』について私が気を付けている事について書いてみようかと思います。
皆さん日々色々な人と接して居るかと思いますが、その人を知ろうとするとき何かに気を付けてる事はありますか?
この人の言っている事は信じていいのか?この人は何を考えているのだろう?そんな事ありませんか?
人間誰しも感覚を持ち合わせていて、この人怪しいとか直観って無意識に働いてしまいます。
人は言語を使ってコミュニケーションを図りますが、
言葉はとても誤解を生みやすい。
大切に扱わないといけないと何度も痛い目を見て痛感しています。
話し手と受け手の心境や環境で受け取り方が全然変わってしまうのです。
これはいくらどうにかしようとしてもどうにもならないなと悟ってからは私は多くを話さなくなりました。
しかし仕事をすると、どうしても意思疎通は図らなくてはならないですよね。一人ひとり個性がありますから合う人合わない人沢山います。
言葉が汚くても優しい人も居れば綺麗ごと並べて人を貶める様な人。
でも絶対に嘘つけない所があるんです。
それは
行動。
人は思った事を言葉にし、そして行動を起こします。
一過性の行動ならば人は誰しも失敗を犯したり、感情で動いてしまう事がありますが習慣はなかなか変えられません。
良い事言っていつもさぼっている上司と、厳しいけど言う事を実践している若しくはすぐに実践出来る上司だったらどちらを信じますか?
私なら確実に後者を選びます。
私は何気ない言動と行動の整合性を観察する様にしています。それが習慣になってからは大きな揉め事になる前に対応できるようになってきてる気がします。
そこで気を付けなけれいけない事
それは
感情を入れず理性で判断する。
感情入れると心理的に良い人だからと良い方向に考えてしまうので、感情は入れない事が大切。
そんなに簡単ではありませんが、皆さんも何か疑念が湧いたり大丈夫かな?とか思った時一度立ち止まって観察してみると見え方が変わるかもしれません。
皆さんにとって何かのきっかけになれば幸いです。
大昔の人は言葉を使わずにテレパシーで通じ合えた時代もあったと聞いたことがあります。それだけ霊性も高かったのかもしれません。縄文時代は無用な殺人なども無かったらしく、平和な時代が数万年続いていたのですから環境は厳しかったかもしれませんが今の物質に囲まれた世界より幸せだったのかもしれません。
幸せの定義は人それぞれあって良いと思います。
私は精神的な幸せを求めた結果、物質が無くても幸せで居られる事にやっと気付き始めました。
何かを得れば何かを失います。
スピリチュアリズムの視点で見ると魂は永遠。
今生で報われなくても来世に繋げるのですから、もし大変な思いをして報われないと思っても来世の自分へのプレゼントでもあるのですから沢山経験して沢山の思い出を作れたら幸せだなと私は思ってます。
絶対失わない物は
思い出!
これしかないので私はまだまだ走ります!
最後までお読みいただきありがとうございました。
皆さんが心健やかに幸せでありますように。
最後まで読んでいただきありがとうございました。 サポートの収益は活動費の他、必要な所に寄付させていただきます。 世界が平和で、皆さんの心が幸せであります様に!