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余部(あまるべ)鉄橋『空の駅』 ~撮影旅行よもやま話集~

 明治45年の完成から約100年間、山陰本線の運行を支えてきた余部鉄橋。

 平成22年8月にコンクリート橋に架け替えられましたが、餘部(あまるべ)駅側の3本の橋脚は現地保存され、平成25年に余部鉄橋『空の駅』展望施設に生まれ変わりました。

 また、平成29年11月には展望施設への直通エレベーター『余部クリスタルタワー』も完成し、日本海・美しい眺望を簡単に堪能出来る観光施設となりました。

 旧余部鉄橋は、山陰本線『鎧(よろい)駅』〜『餘部(あまるべ)駅』間にあった鉄橋です。

 完成当時は『餘部駅』が存在していなかったため、昭和34年に『餘部駅』が新たに開業されるまで、近隣の住民たちは、最寄の『鎧駅』まで、列車の合間を縫って、余部鉄橋と仕立トンネルの線路を歩いて『鎧駅』へ向かっていたのだそうです。

 通勤・通学等するのに、列車の合間を縫って、余部鉄橋と仕立トンネルの線路を歩くルートでしか「鎧駅」に簡単に行けなかったとはいえ、毎日のことですから、普通じゃ考えられないような超危険な実態ですよね。

 昭和61年12月28日13時25分頃、香住駅より浜坂駅へ回送中であったお座敷列車『みやび』が、余部鉄橋の橋梁中央部を通過中に、日本海からの瞬間最大風速約33m/秒の突風にあおられて、『みやび』の機関車を除く全客車が台車の一部を残して転落した、痛ましい事故がありました。

 転落した客車は、橋梁の真下にあった水産加工工場と民家を直撃し、工場が全壊、民家が半壊でした。

 回送列車であったため乗客はいなかったものの、工場の従業員の女性5名と列車に乗務していた車掌1名の計6名が死亡、客車内にいた日本食堂の車内販売員3名と工場の従業員3名の計6名が重傷を負ったとのことです。

 列車転落事故後に風速規制が強化されたことから、列車の運休や遅延が相次ぐようになり、長期的な安全性を考慮して、橋梁の架け替えが決まったそうです。 

 また、住宅の上を列車が走る鉄橋であるため、列車が通ると騒音も凄いし鉄錆が降って来る、車窓からポイ捨てされたゴミも降って来る。

 更に昔の列車はトイレが解放式だったため、糞便までが降って来ると言った、鉄橋の下に住む住民にとって、非常に困った迷惑極まりない問題もあったのも事実・史実です。

 地元住民との話し合いで、鉄橋記念施設、道の駅、自由広場、水辺公園、散策路などを整備して、余部鉄橋の物語を継承していくことが条件になったのだとか。

 そんな悲しい歴史のある、余部鉄橋『空の駅』展望施設と『餘部駅』、『餘部駅南展望台』に行き、写真を撮ってきました。

 余部鉄橋『空の駅』展望施設では、高さ40mから日本海を眺め、旧余部駅の線路が現在の線路と並行して保存されていました。

 途中までですが、保存してある旧線路の上を歩くことが出来たりしましたので、この鉄橋を歩いてトンネルを通って『鎧駅』まで行ったのか~命がけだな~と思いながら、少し歩きましたよ。

 『空の駅』からは列車に乗れないのに、大勢の観光客が『空の駅』に居る、不思議な光景になっていましたね。

 餘部駅南展望台は、駅の裏にある歩いて直ぐの小さな展望台で、新橋梁・旧鉄橋と日本海、上手くタイミングが合えば、オレンジ色の列車も一緒に写真におさめることが出来る、絶景スポットです。

 新しく造った橋梁が旧鉄橋の横となるため、トンネルから出てくる線路が、直線ではなく、カーブして新橋梁に繋がっていることも、写真で写すとよく判ります。

 私はとても運が良い人らしく、しっかりオレンジ色の列車も入れて写しましたよ~

 餘部駅南展望台には、地上側からも整備された遊歩道を歩いて登って、行くことも出来ます。

 餘部駅南展望台に向かう遊歩道からは、街並みを入れて日本海を撮影することも出来ますから、往復ともに直通エレベーター『余部クリスタルタワー』を使うのではなく、片道は遊歩道を歩くとイイですよ。

 餘部駅南展望台以外にも、鎧駅から遊歩道へ入る『たかのす展望台』や『サワリ鼻展望所』も絶景ポイントなのだそうですが、今回は行く機会がありませんでした。

 機会があれば是非とも再び訪れて、風景写真を写したいですね・・・


追伸

『note』の「#冬の1コマ」フォトコンテストで、優秀賞の10名の中に入りました。

テーマ『冬の1コマ』 タイトル『冬の朝の紅富士逆さ富士』

https://note.com/info/n/nfdd6b7fc677a

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