関西行 リトル沖縄編
昭和以前から出稼ぎ労働のために沖縄から移り住んできた人々とその子孫が住み続けてきた大阪市大正区南部。その名もリトル沖縄。
出稼ぎ労働者が集住するリトル沖縄の中でも一際「沖縄らしさ」を感じるのは間違いなく同区南部にある平尾商店街だろう。
先月末、そんな大阪のディープスポットの大正区平尾商店街に人生で初めて足を運んだ。JR梅田駅から大阪環状線に乗車して10分ほど。停車時に沖縄民謡の「てぃんさぐぬ花」のメロディーが鳴る最寄りの大正駅に着いた。
停車メロディに沖縄の代表的な民謡が選ばれているあたりで、ここに沖縄と深い関係があるのだと察するすることができた。
無計画で想定外
駅の改札口を抜けると、隣には沖縄料理屋が集中していた。思っていたよりもだいぶ賑わっている様子。
オリックスの試合が行われる京セラドームが近いこともあり、駅前は沖縄料理屋から流れる民謡の軽快なリズムとポップ、そしてオリックスのユニフォームを着たファンたちで騒然としていた。
駅前の喧騒を抜けて目的地まで向かうため歩き出す。グーグルマップを開き経路を調べてみるとまさかの徒歩で45分掛かることを知った。全く自分の無計画具合を反省するしかない。駅前に戻り、バス停で待つこと5分。市営バスが来た。
大正駅から路線バスで15分。ようやく商店街のある平尾地域に到着する。平尾地域は大正区の中でも最南部に位置していた。街から大阪湾を臨むことはできなかったが、どこからともなく潮風が吹いてきた。
土壌が悪く大阪の端にあるこの場所に沖縄の人が集住していたのには深い理由がある。だが、自分自身深く書けるほどの知識がない。読んでいただいた方と一緒に勉強するつもりだ。
遅くに着いた言い訳
訪れた時間は16時ごろであったためか、周辺の建物は夕日に照らされていた。ビル街ではなく、本当に住宅地という印象を受けた。なぜこんなに夕方に訪れたのかと言えば、純粋に午前中丸ごと寝過ごしてしまったからだ。
「やってしまった」。目を覚まして自分自身で後悔しても遅かった。本当は東大阪市にある司馬遼太郎記念館も一緒に巡るつもりだったが、寝坊で完全に機を逸してしまったのだ。
幸いにも自分一人で行くつもりだったので何も文句は言われない。これが友達や先輩との約束となると大目玉を食らうだろう。
「平尾」という名前のバス停を降りて商店街に向かう。「牧志」や「比嘉」といった沖縄特有の名字のついたお店や病院などが軒を連ねていたのは印象的だった。
商店街前の通りにある沖縄風ホルモン
通りを歩いていると「沖縄風ホルモン」とでかでかと看板に書いてあるお店を発見した。どこからともなく漂ってきたあまじょっぱいタレの薫りと肉の薫り。「ジュー」という音に誘われて看板を掲げる屋台のプラスチックカーテンをくぐる。
すると中は巨大な鉄板が広がっていて、串に刺さったホルモン、レバー、あぶらといった美味しそうな面々のメニューたちが写真と共に壁に貼られていた。
「すみません。この3つ一本ずつお願いします」。頼んだら「はいよ!」と威勢のいい声が返ってくる。
看板に書かれていた沖縄風ホルモンが一体どのようなモノなのか興味を持った。試しに目の前の鉄板に油を引いてジュウジュウ音を立てながらたれを絡める店主に話しかけてみた。
すると「こっちは関西の牛のホルモンと違って豚のホルモンを使っているのが特徴なんですよ」。丁寧に教えてくれた。すると店主の話はそこで終わらない。「沖縄の中身汁って知ってます?あれと実は同じなんですよ」。
中身汁とは豚のホルモンを使った「沖縄風モツ澄し汁?」といったところだろうか。沖縄では豚は泣き声以外は全て食べると言われるくらい昔から身近なものだったという。
なるほど店主の言っていることが分かった。昭和期に牛肉はとても高価だった。沖縄出身労働者に安くてスタミナをつけてもらえる食べ物として、本土の人が豚を食べるときに捨ててしまうホルモンに目を付けたのだという。
そこで豚のホルモンを安く美味しく食べる方法としてこの「沖縄風ホルモン」が大正区で食べられるようになったというのだ。
出来上がったアツアツの串に刺さったホルモンを食べると、どれも言うまでもなく絶品だった。特にホルモンが歯ごたえが良く、臭みもあまりない。絡まっているタレは店直伝らしい。あっという間に口に入って消えていく。
店の奥で美味しそうに串を片手にレモンサワーを飲むおじさんに対して途端に親近感を抱いた。
食べ終わり支払いを済ませてまたカーテンをくぐる。物足りなさはあったがこれ以上食べると夕飯が食べられなくなると思い我慢した。
再び商店街までの道を歩いていると「これって関西と沖縄が融合した料理だよな?」と新たな発見が浮かんできた。何気なく食べたホルモンから沖縄の文化や生活の吸収の早さや融合のうまさを感じてしまった。
そして食物を大事にする考え方は遠く離れたここ大正区でも根付いているのだと思うのである。
美味しいサーターアンダギーとおかみさん
商店街の入り口に数件の精肉店や八百屋さんを残し、シャッターが下ろされた商店街。東に向かって10分ほど歩いていくと、「沢志商店」と書かれた沖縄の土産物やお肉、野菜など「何でも屋」のような食料品店を見つけた。
周りがシャッターに囲まれてどこか砂漠のオアシスを見つけたような気分になる。早速店内に入るとおかみさんに声を掛けられた。「大学生かい?」。どうやら珍しがられた。
話を聞いてみると、店が50年前から沖縄の物産品を取り扱うようになり、今も周辺の料理屋に卸しているのだとか。おかみさん自身は月に一度商店街の女性会で集まって、踊りを近くの民謡酒場で披露したり、沖縄芸能の教室を開いたりしているのだという。
おかみさんが嬉しそうに話をする姿を見て、「またこようかな」と心に決めた。
「ここもコロナ前まではもっと賑わっていたんだけどね」。話をしていると突然おかみさんがトーンダウンした。店の周りを見回すようにしておもむろに店の奥から写真を取り出してくる。
写真を指差して、「これはコロナ前にやっていた年に一度の商店街のお祭りだよ」と語る。そこに映っていたのは今の商店街の姿からは想像がつかない賑わいのある景色と、目の前のシャッターが開き客先から笑顔で声が聞こえてくる不思議な情景だ。
うつむくおかみさんにかけられる言葉が無い。明るい一言も上手くかけられない。そのうち新しくベビーカーを押した家族連れのお客さんが店先に来て、おかみさんは吸い寄せられるようにしてその場から離れていった。
その後自分もサーターアンダギーの売り場を物色した。あとから来た子連れのお姉さんが「ここのサーターアンダギー美味しいですよね」とおかみさんに言う。おかみさんは嬉しそうに「隠し味が入ってるんだよ」と答えた。
「ピーナッツですか?」とお姉さんが答えて正解だと言いおかみさんは、サーターアンダギーの購入を勧めていた。
お姉さんとおかみさんを横目に大きなサーターアンダギー2つとムーチー(月桃の葉で包んだお餅)を買って帰った。
考えたこと
おかみさんが大正区と沖縄のあれこれを教えてくれたのがとても嬉しかった。何というか温かみのある地域だなと身に染みて感じたのだ。
前述した出稼ぎ労働者やその家族として移住してきた人の多いリトル沖縄には、いまや「リゾート沖縄」や「観光地」として取り上げられている沖縄の「昔のままの姿」を保存している側面がある。
しかし時代とともに地域に過疎化や高齢化、そして同化の波が押し寄せてるとも感じた。
商店街を歩いていると1組の家族連れ以外は年配の方が多く、若者のいない景色にもどこか寂しさが残る。
大正区にあるリトル沖縄をこれからも次の世代に残してほしい。そのために訪れた者として一人でも多くの人に知られざる魅力を伝えられないだろうか。
そんな思いから今僕はこのnoteを書いたのである。拙筆だが是非この内容を見て大正区のリトル沖縄に行きたいと思う人が増えたらいい。
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