勘の良さ

 勘というものを考える時、感覚や感性などを類義語として参照するのだが、畢竟これらは違和感へと還元されていく、と考えている。何かをするときの心と意思の摩擦を違和感とする。
 勘の良さとは未知のことを直感的に把握するような、超能力的なものではなく、なにかしらの違和感を無視することなく受け入れることである。その違和感をいかに展開し、敷衍し、自らの解釈を推し進めるのか、は勘の良さとはまた異なる領域の話である。
 したがって、如何にして勘の良さを磨くのか、といえば、どれだけ自ずから自らの心に従うことができるかにかかっている。
 己の心の声を無視して、意思だけで何かを続けることで何が起こるかといえば、身体への不調である。これといった理由がないのにも関わらず、体調が全快ではない、優れないというのは、もしかしたら心の問題かもしれない。

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